反乱とは別の伝説も――滝夜叉姫と如蔵尼
◆芸北神楽の新舞
広島県の芸北神楽に「滝夜叉姫」という新舞(戦後の新作神楽)がある。滝夜叉姫は関東で乱を起こした平将門の娘で、父の仇を討つために貴船神社に七日七夜の願掛けをする。その一念が通じて妖術を授かる。滝夜叉姫は反乱を企てるが、陰陽道に通じた大宅(おおやけ)中将光圀(みつくに)が征伐に向かい、抵抗したものの討ち取られるという粗筋である。
◆歌舞伎「忍夜恋曲者―将門―」
芸北神楽の「滝夜叉姫」は歌舞伎の「忍夜恋曲者(しのびよる こいはくせもの)」が出典と思われる。「忍夜恋曲者」では島原の如月という傾城(遊女)に扮した滝夜叉姫が大宅太郎光圀に近づくが、光圀は姫の正体を見破る。滝夜叉姫は蝦蟇(ガマ)の妖術を使って光圀を苦しめる……という内容である。
◆伝説
「ふるさとの伝説 8 城・合戦」(伊藤清司/編, ぎょうせい, 1990)に収録された「滝夜叉」の伝説だと、福島県が舞台となっている。
天慶年間(938~947年)に朝廷に反旗を翻し、自ら新皇と名乗った平将門は関東一帯を席捲するが、反撃に転じた朝廷側の前に敗れ、将門をはじめとした配下たちはことごとく打ち滅ぼされてしまった。
が、北を目指してひそかに落ち延びる者がいた。将門の娘、滝夜叉姫と兄の良門(よしかど)である。追手から逃れた二人は奥州の恵日寺に庵を結んで新たな生活を始めた。
しばらくすると、滝夜叉姫は近在の者たちに地蔵菩薩の信仰を説いて回るようになった。高貴な姿の滝夜叉姫に惹かれ、多くの老若男女が姫の許に集まるようになっていった。
しかし、姫の布教は純粋な信仰心から出たものではなかった。宗教に名を借りてできるだけ多数の帰参者を集めて彼らを扇動するつもりなのであった。姫は表向き尼僧の姿ではあったが、豊かな黒髪をたくわえ、手にした錫杖には刀が仕込まれていた。
機は熟したと判断した滝夜叉姫と良門は地蔵菩薩の名の元に集まった信者たちの信仰心を巧みに朝廷に対する敵愾心に転じてみせたのである。もともと辺境の土地で中央の搾取に悩まされていたから、皆の内にわだかまっていた鬱屈した心に火をつけたのである。
自分たちだけの王国を作る、そう意気込んだ人々が立ち上がった。加えて滝夜叉姫は勝軍(しょうぐん)地蔵の呪術を会得していたので、反乱軍はたちまち勢力を伸ばし、相馬の一体を彼らの勢力下に置いた。
一方、事態を重く見た朝廷は大宅(おおや)太郎光圀をを総大将とする大軍を派遣した。怒涛のように押し寄せる精鋭部隊を相手に反乱軍は奮闘した。しかし、所詮は一地方を拠り所にする少数派に過ぎない。数の上で圧倒的な優位を誇る征討軍に反乱軍は崩れ落ちてしまった。
相馬の居城で良門は討死にした。滝夜叉姫も最期を遂げたであろうとと無念の涙を流し、人々がそう囁き合っていたそのとき、朝廷軍に制圧された城の門を凄まじい勢いで駆け抜けていく者がいた。滝夜叉姫と姫を乗せた白馬であった。
あれこそは敵の首領だ、総大将の号令の下、朝廷軍は騎馬を繰り出して追撃した。しかし、相馬は原野で馬を放し飼いにする土地であった。滝夜叉姫の乗った馬は草原に放たれた馬の群れに紛れ込んでしまい、朝廷軍の探索は徒労に終わった。
反乱が終息し、時代は下っても、牧場の群れの中に滝夜叉姫を乗せた白馬を見かけたと語る者はあとを絶たなかったという。
勇壮な伝説である。芸北神楽の新舞の特徴は姫が貴船神社で妖術を授かったとしていることだ。ところが、一方で平将門の娘である姫には全く別の伝説が語り伝えられているのである。
◆今昔物語
今昔物語の「陸奥国の女人、地蔵の助けにより活(よみがえ)りを得る語(こと)」に平将門の娘であるともされる尼(如蔵尼)の伝説が語り伝えられている。一旦死んで、冥途に行った女人だったが、地蔵菩薩の助けで、善行を積んだ罪のない善人と閻魔大王に判定され蘇ったという伝説である。
陸奥国女人依地蔵助得活語第二十九(みちのおくのにょにんじぞうのたすけによりてよみがえるをうることだいにじゅうく)
今は昔、陸奥国に恵日寺と云う寺があった。これは興福寺の前の入唐の僧である得一菩薩と云う人が建てた寺である。その寺の傍らに一人の尼がいた。これは平政行(たいらのまさゆき)と云う者の第三の娘である。この尼は出家していなかった時、姿形が美麗で心は柔和であった。父母があって、度々夫と合わせようと(結婚させようと)したが、全くこれを好まず、寡婦(やもめ)にして年を送った(重ねた)。
そうした間にこの女人は身に病を受けた(病気になって)、日ごろ悩み煩(わずら)って遂に死んでしまった。冥途に行って閻魔の庁に至った。自ら庭の内を見れば、多くの罪人を縛って、罪の軽重を勘定して定めていた。罪人が泣き悲しむ音は雷の響きのようであった。この有様を見て聞くに、肝が砕けて心は迷って限りなく耐え難かった。その罪人の考える(勘える)中に一人の小僧がいた。その形は端正で厳めしかった。左の手に錫杖を取り、右の手に一巻の書を持って東西に往復して罪人の罪の軽重・有無を計っていた。その庭の人は皆この小僧を見て「地蔵菩薩が来たもうた」と言った。この女人はこれを聞いて、掌を合わせて小僧に向かって地に跪いて泣く泣く申した。「南無帰命頂礼地蔵菩薩」と三度申した。その時、小僧が女人に告げて宣わく、「汝は私を知っているか否か。私はこれ三途の苦難を救う地蔵菩薩である。私が汝を見るに、既に多大の善根を積んだ人である。そうであるならば、私は汝を救おうと思う。いかに」と。女人は申して云った。「願わくは、大悲者(大慈悲の心を持って衆生を済度する菩薩)よ、私の今度の命を助けてください」と。その時に、小僧は女人を引き連れて、閻魔庁の前に行き向かって、訴えておっしゃった。「この女人は大いに信心のある良人である。女の形を受けたと言えども、男と姦淫の業を成したこと無いためである。今既に召されたと言えども、速やかに返し遣わして、いよいよ善根を修めさせようと思う。どうだろう」と。王は答えておっしゃった。「ただ仰せの旨に従うべし」と。
そうだったので、小僧は女人を門の外に連れ出し、「私は一行の法文を持っている。汝はこれを受けて保つか否か」と。女人は答えて言った。「私は能く保って忘れまい」と。小僧は一行の法文を唱えておっしゃった。
人身難受 仏教難値 一心精進 不惜身命
またおっしゃった。「汝は極楽に往生すべき縁がある。今その肝要な句を教えよう。ゆめゆめ忘れるな」と言って、
極楽の道の標(しるべ)は我が身なる心一つが直きなりけり
と、このように聞く。と思った間に蘇っていた。
その後、一人の僧を請じて出家した。名を如蔵と云う。心を一にして地蔵菩薩を念じ奉る。この故に、世の人はこの尼を地蔵尼君と言った。このようにして年を重ね、歳八十歳あまりにして、心違わず端座して口に念仏を唱え、心に地蔵を念じて入滅した。
これを見聞きした人は尊ばないことはなかった、と語り伝えるとや。
ここでは平将行の三女とされているが、注釈では平将行は伝未詳で、行は門の誤写かとされている。伝説によっては、反乱を起こしたものの討伐され、敵の囲いの中を自ら白馬にまたがり奥州玉山村の恵日寺に逃れ、寺内に庵を結んで仏門に帰依し、地蔵菩薩を信仰した。そしてあるとき病で息絶えるが、地蔵菩薩の救済で蘇り、得度して「如蔵尼」となったとしている。
「今昔如蔵尼物語」「徳一菩薩 ―ひと・おしえ・がくもん―」では如蔵尼は単に蘇ったのではなく、罪深き者たちは六道輪廻で地獄・餓鬼・畜生の三悪道が行く先であるところ、人間界に戻された、あるべき理想の人間として新生したという風に解釈している。
◆平将門の首塚
皇居の近くに平将門を祀る首塚がある。読売新聞社からほど近い。祟りで有名な首塚であるが、江戸城を守護するため、神田明神は江戸城の丑寅の方角に移転させられたとのことで、霊威の強さを伺わせる。将門公は新皇を名乗ったため朝敵であるが、関東地方では庶民の人気が高く、将門公にまつわる伝説も多く残されているようである。
◆広島発のドラマ
2016年にNHKBSで「舞え!KAGURA姫」というドラマが放送された。NHK広島局の制作である。東京から芸北地方に引っ越してきたヒロインが神楽と関わることで人間らしさを取り戻していくという内容らしい。劇中でヒロインが舞うのが「滝夜叉姫」なのである。なお、ヒロイン役は朝の連続ドラマでも主役を務める葵わかなである。
◆余談
動画投稿サイトで芸北神楽の「滝夜叉姫」を鑑賞する。結末は上記台本とは異なっていて、光圀に敗れた姫が改心するという内容のようであった。芸北神楽を鑑賞するのは初めてであったが、見た感じ「塵輪」を二倍派手にしたような演出であった。
◆参考文献
・「かぐら台本集」(佐々木順三, 佐々木敬文, 2016)pp.50-53
・「国立劇場歌舞伎公演上演台本 昭和48年1月~昭和48年12月」(国立劇場, 1992)pp.35-41
・「ふるさとの伝説 8 城・合戦」(伊藤清司/編, ぎょうせい, 1990)pp.40-41
・「伝説の女たち」(毎日新聞特集版編集部/編, 毎日新聞社, 1992)pp.48-52
・「徳一菩薩 ―ひと・おしえ・がくもん―」(高橋富雄, 歴史春秋出版, 2000)pp.63-71
・「日本伝説大系 第5巻 南関東編」(宮田登/編, みずうみ書房, 1986)pp.69-77
・岡田清一「平将門」「在地伝承の世界【東日本】講座日本の伝承文学 第七巻」(徳田和夫, 菊地仁, 錦仁, 三弥井書店, 1999)pp.84-98
記事を転載 →「広小路」
・「日本伝説大系 第5巻 南関東編」(宮田登/編, みずうみ書房, 1986)pp.69-77
・岡田清一「平将門」「在地伝承の世界【東日本】講座日本の伝承文学 第七巻」(徳田和夫, 菊地仁, 錦仁, 三弥井書店, 1999)pp.84-98
記事を転載 →「広小路」
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