« 芸北神楽を題材としたドラマ | トップページ | 土地の開墾で責任を取った伝説――大東町のすくも塚 »

2017年12月 9日 (土)

六調子石見神楽「山の大王」はメタ神楽か

◆山の大王

 六調子石見神楽に「山の大王」という演目がある。手草(たぐさ)の舞いにつられて出て来た山の大王を祝詞司(のっとじ)がもてなすが、難解な山言葉をしゃべる大王に、それを一々曲解する祝詞司の滑稽な姿を描いたものである。

祝詞司「山の大王さん、大変ご苦労さまでございました。わしゃ言葉が解りませんから、どうぞ大和言葉でおっしゃって下さい」
大王「あいあい。祝詞司、さんげ、さんげ」
祝詞司「大王さん、さんげさんげとおっしゃっても、今子供を産めというても産むものはいませんが、後家くらいではどうでしょうか」
大王「いやいや、さんげとはお前のいう子供を産むことではない。神明から申して、かのみそぎのことじゃ」
祝詞司「みそぎと言うのは」
大王「神明から申して、かの祓いのことじゃ」
祝詞司「高天の原に神づまります、神漏岐漏美(かむろぎかむろみ)の命以ちて、皇御祖(すめみおや)いざなぎ命、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原(あはぎ)、禊ぎ祓いし時に成りませる祓戸の大神たち、もろもろの禍事、罪汚れあらむをば、祓い清め給へと申す事の由を天津神国津神八百万の神たち、共に聞こしめせとかしこみかしこみ申す」
  祝詞司の祓詞が途中間違うと、大王は機嫌が悪くなる。
大王「うん、なかなか良く出来た」
祝詞司「神饌ものは、何から先に供えましょうか」
大王「あいあい、祝詞司、からくり、からくり」
祝詞司「からくりからくりと申されても、今からあの遠い唐の国は栗を拾いに行くのは出来ませんが、私のやりくりさねくり(女陰、陰核か)では、どうでございましょうか」
大王「これこれ、やりくりさねくりの事ではない。神明から申してお神酒の事じゃ」
  ここで神酒を大王に捧げる。
「山の大王が降りなされて、神酒を上る時や、左廻しが十九と九つ、右に廻しが十九と九つ、廻いたり廻いたり」
大王「うん、なかなか良く出来た。今度は、仏の耳、仏の耳」
祝詞司「仏の耳仏の耳と言いましても、仏の耳を取りに行くわけには参りません。私の耳ではどうでしょうか」
大王「仏の耳ではない。神明から申して鏡餅のことじゃ」
  大王に鏡餅を捧げる。
大王「今度は、またあり、またあり」
祝詞司「又あんなことを言われるが、またありまたあり言うて、人の股を借りてくる訳には行きませんが、私の股ではどうでしょうか」
大王「人の股の事ではない。神明から申して肴の事じゃ」
  祝詞司が肴を捧げるとき、長短二本の箸を用いる。
大王「これこれ、祝詞司、上箸が長く、下箸が短いのは一体どうした訳じゃ」
祝詞司「上箸の長いのは悪魔災難をずっと押しのけるためです。下箸の短いのは、福徳円満をずらずらずらずらと引っ込むためです」
大王「ふん、なるほど、もう一回やり直せ」
  やり直し。次いで神饌を下げる。
大王「うん、なかなかよく出来た。大王は一足先に帰るから、祝詞司も早く帰って来い」
  大王入り、祝詞司、舞い収めて入る。

◆手草の先

 校訂石見神楽台本では一名「手草の先」とあり、「手草の後」の意であり、その伝来は古いとしている。八調子石見神楽では手草を真榊として改訂しており、「山の大王」は改訂の際省かれたのだろうと推察している。

 「校訂石見神楽台本」では戯事としており、実際に滑稽な内容であるが、神を招いてもてなし、神を送り返す(祭却)という内容であり、神楽内神楽という見方もできるのではないだろうか。入れ子構造である。観客の視点と演者の視点のズレはいわばメタ視点と言えるかもしれない。「山の大王」はメタ神楽なのだ。

 出雲神楽において神楽の演劇化が始まり、石見神楽にもその影響が及んだが、古い六調子神楽の時点でメタフィクショナルな視点を既に得ていたという見方も可能ではないだろうか。

◆山の神と炭焼き

 牛尾三千夫「神楽と神がかり」でも「山の大王」は取り上げられている。参考資料として「山の神と炭焼き」が挙げられている。

 昔、ある処に炭焼きがいて、毎日山に行って炭を焼いていた。ある日、山の天狗が着て「わしも炭を焼いて暮らしているが、お前は一日にどのくらい仕事がなるか」と言った。「この竈へ一杯木を伐って立てるには五、六日かかる」と言うと、天狗は「それなら竈を開けておけ、わしが一杯炭を焼いてやる」と言ったので、炭焼きはその通りにして寝た。
 朝起きてみると、竈の中に木が一杯入っていた。これは昨日の天狗の仕業だと思って、竈へ火を焚いていると、天狗が来て、今日は火を焚かしてもらおうと言う。炭焼きは「大変ご苦労して下さったので、お酒をあげようと思いますが、肴が何も無い」と言うと天狗はその一言を聞いただけで逃げてしまった。それは山では天狗にはマタアリと言わなければならないのに、肴と言ったため、食べずに逃げられたのである。
 そこで炭焼きは天狗へ断りを言ってもらうように山の神へお願いした。すると山の神はそれならば自分が断りを言ってやろうと言われたので、今度は山の神に向かって「お礼をしなければならないが、お酒を差し上げましょうか、それともお餅を搗いてあげましょうか」と言うと、山の神は逃げていなくなった。
 山の神は餅と言うと気に入らない。ネコノミミと言わねばならなかった。炭焼きは二度も不作法したので、山の木を伐っている時に、木にはねられていなくなった……という内容。

 「山の神と炭焼き」の昔話を読むと、「山の大王」の意味する所がようやく伝わって来る。

◆山の神

 出雲神楽には類似の演目として「山の神」(山神祭、香具山)という演目があるとのこと。先ず柴叟(しばそ)と称する直面の者が両手に柴を持って舞う。次に着面の山の神が白幣を持って現れて柴叟を見つけて「我が山の柴を勝手に取るものは何者か」となじる。そして追いつ追われつとなるが、やがて山の神は柴叟を捕らえ、持っている柴を取り上げる。ところが柴叟は開き直り、「われは天照大神に仕える春日大明神なり」と名乗る。たちまち山の神は平伏する。柴叟がさらに「この度天照大神が天の岩戸にお隠れになったので、岩戸の前でお神楽をすることになった。そのため真榊がいるので、自分が採りに来た」と言う。そこで山の神はそれならばこれを献じましょうと言って、取り上げた柴を改めて柴叟に奉る。春日大明神は褒美として山の神に宝剣を与える。山の神はそれによって「悪切り」の舞いを舞う、という内容である。

 大田市の仙山神楽の「山の神」では山の神が荒平となっていることが特徴として挙げられる。荒平は広島の十二神祇神楽で登場する鬼で、道返しの鬼のルーツとも言える存在である。

◆抜月神楽

 「山の大王」や「山の神」のルーツを探ると、抜月神楽に「山舞」という古い儀式舞があることが分かった。ただ、この舞は藁蛇を使った舞ですなわち蛇神なのだ。蛇体から人体に変貌する上では幾つかの変遷があるものと思われるが、そのミッシングリンクを埋めるものはあるだろうか。

 石塚尊俊「山の神出現の神楽」では「山の神」のルーツを求めて遠く土佐や日向の神楽を取り上げている。そこでは神が直面の者の舞いで誘い出され、司祭者の代表と問答をして、その答えに満足して帰るという形となっており、「山の大王」や「山の神」に至る原型がほの見えて来る。

◆動画

 Youtubeで検索すると「山の大王」がヒットする。一分ほどしか収録されていないが、それでも笑い声に満ち溢れていて、観客を楽しませるものであることが伝わってくる。

◆芸北神楽の新舞

 広島県の芸北神楽の新舞に「天香山(あまのかぐやま)」という演目がある。天照大神が天の岩戸に籠ったので、世界は闇に閉ざされる。そのため神々が集まって協議する。天児屋根命が祭りに使う真榊を天香山に採りに行くことになる。天児屋根命が真榊を採ったところ、大山津見神が現れ、自分に断りなく真榊を取るのは誰だと問う。天児屋根命は自ら名乗って天の岩戸を開くため真榊が必要であることを訴える。大山津見命は快く応ずる。天児屋根命は代わりに神剣を大山津見命に与え、四方の魔物を調伏すべきことを伝える。魔神が登場し、大山津見神と戦うが討ち取られる……という内容である。

 「天香山」は出雲神楽の「山の神」とほとんど同じ粗筋であることが分かる。一方で「山の神」には無い大山津見神と魔神の立ち合いという要素が付加されている。これに関しては蛇足であるように感じられる。

◆余談

 「山の大王」は「神楽と風流 山陰民俗叢書9」を読んでいて石塚尊俊「山の神出現の神楽」で存在を知った。「満足した。帰る」が気に入った。校訂石見神楽台本では戯事との評であるけれど、こういうのが好みなのである。八調子神楽でも取り入れるところがでないか。

◆参考文献

・「校訂石見神楽台本」(篠原實/編, 1982)pp.214-217
・石塚尊俊「山の神出現の神楽」「神楽と風流 山陰民俗叢書9」(山陰民俗学会, 島根日日新聞社, 1996)pp.16-23
・石塚尊俊「山の神出現の神楽」「山陰民俗」第27号(山陰民俗学会, 1976)pp.8-13
・「神楽と神がかり」(牛尾三千夫, 名著出版, 1985)pp.228-231
・「西日本諸神楽の研究」(石塚尊俊, 慶友社, 1979)pp.381-385
・「里神楽の成立に関する研究」(石塚尊俊, 岩田書院, 2005)pp.111-118
・川上登「山の神と荒平―仙山神楽の詞章―」「山陰民俗」第32号(山陰民俗学会, 1979)pp.57-58
・牛尾三千夫「信仰としての神楽」「西石見の民俗」(和歌森太郎, 吉川弘文館, 1962)
・「抜月神楽 島根県古代文化センター調査研究報告書 11」(島根県古代文化センター/編, 島根県古代文化センター, 2002)
・「見々久神楽 (島根県古代文化センター調査研究報告書 9) 」(島根県古代文化センター/編, 島根県古代文化センター, 2001)
・「かぐら台本集」(佐々木順三, 佐々木敬文, 2016)
・三村泰臣「佐伯郡佐伯町の神楽―旧佐伯郡津田村を中心として―」「広島民俗」第57号(広島民俗学会, 2002)pp.28-38

記事を転載 →「広小路

|

« 芸北神楽を題材としたドラマ | トップページ | 土地の開墾で責任を取った伝説――大東町のすくも塚 »

江津市」カテゴリの記事

神楽」カテゴリの記事