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2017年10月

2017年10月28日 (土)

運慶展に行く

東京国立博物館に寄って運慶展を見る。混雑していたのでじっくり見ることはできなかったけれど、玉眼というのか、水晶で作られた眼球はリアルだった。ライトで照らされる仏像の影が壁に写るのだけど、それが神々しかった。

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日本標準「北海道の伝説」「沖縄の伝説」を読む

上野の国際子ども図書館に行く。国立博物館の向こう側なので上野駅から少し歩く。資料の到着まで、やはり30分くらいかかる様なので、午前中には入らないと一日で二冊読むのは厳しいようだ。帰り、通路が分からなくて(ドアを壁だと思っていた)職員さんに訊く。

日本標準の「北海道の伝説」を読む。和人とアイヌのそれぞれの伝説が収められている。興味深いのは義経伝説で、蝦夷が島に逃れたとされる義経は、サマイクルというアイヌに生活文化を教えた神と同一視されたとされる。他、オキクルミというアイヌに生活の手段を伝えた神の伝説もある。また、コロポックルという小人の神の伝説もある。「チバシリ」という伝説は網走の地名説話だが、イガシと呼ばれる動物の声を聞くことのできる予言者が登場する。

日本標準「沖縄の伝説」を読む。御嶽(うたき)にまつわる伝説が多いが、御嶽が何なのか分からない。島々であることもあって、水不足に悩まされ、湧き水の伝説が多い。また、稲の起源として安南(ベトナム)や中国の福建省に由来する伝説がある。意外なところでは白米城に関する伝説もあった。また、女が卵を生んで、そこから十二人の子供が誕生したとする伝説「大主(うはるず)兄弟の神がみ」(平良市)や、津波で滅んだ村に取り残された兄妹が結婚して、しかし最初は蛇やトカゲが生まれ、三度目で子供が生まれる伝説「ブナゼー兄妹」(宮古郡多良間村)もあった。

また、琉球が中華王朝に朝貢して冊封体制下にあったお話として、中国からの使者に随行してきた中国人の横暴を誰も止められない、身体が大きく力が強いものが取り押さえたが、罪に問われかけるという話もあった。属国であることの悲哀である。

 

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2017年10月23日 (月)

雑誌「山陰民俗」が神楽の研究で盛り上がっていた時代

国会図書館でコピーした雑誌「山陰民俗」を読み終える。主に神楽の記事。山陰民俗が盛り上がっていた時期は確かにあって、その一端に触れることができた。

大学は法学部だったのだけど、もしも文学部に進学していたら、と思わないでもない。まあ、熱心な神楽ファンという訳ではないし、大学で神楽を研究している先生も限られているから、学生当時に到達できたかどうかは分からない。

中心になっているのは石塚尊俊。「山陰民俗」の神楽に関連する記事を集めた「神楽と風流」という本もある。大活躍した岩田勝の「神楽源流考」も多くは山陰民俗に投稿した記事が基になっている。

 

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2017年10月10日 (火)

無意識と昔話――河合隼雄「昔話と日本人の心」

河合隼雄「昔話と日本人の心」を読み終える。昔話には人間の持つ無意識の世界がよく反映されている。ユング派の心理学者である河合隼雄が日本の昔話を分析した本。といっても、ユングの学説は西欧の近代的な自我を前提としているため、この本では日本独自の心理的要素を見出すべく考察されている。

通常、退行というのはマイナスのイメージでとらえられるけれど、ユングは必ずしもそうではなくて、無意識のレベルに下りることで、そこから得るものがある、創造的退行があることを認めている。昔話の主人公たちは無意識という非日常の世界へと分け入っていくのである。

考察されるのは人間関係で、父―息子、母―息子、父―娘、母―娘といった親子関係や姉―弟、兄―妹といった兄弟関係。自我を確立させるには、これらの親子関係を一旦克服する必要がある。要するに、結婚することで親子関係を克服する……というところだろうか。

父権的な欧米の親子関係に対し、日本は母権的だとされる。父権的な親子関係は全てを裁断し、父なる神へと至る。三位一体をはじめとした完全たる構図である。それに対置する母権的な親子関係は全てを呑み込むもの(グレートマザー、日本では山姥がそう)であり、完全という概念に対して無という概念が見いだされる……というところか。

結婚を軸とした昔話として、異類婚姻譚が挙げられる。西洋のそれは人が魔法に掛けられて蛙や白鳥になったものであるのに対して、日本の場合は人ではなく動物は動物そのものである。また、「見るな」の禁止を破るモチーフも西欧と重なる面があるのだけど、西洋の場合は波の様に浮き沈みの激しい物語(結局は成功して結婚する)となるのに対して、日本の場合は「見るな」の禁止を破ったら、そこで婚姻関係は破れ、物語の始めの元の状態に戻ってしまう。波状ではなく円状に循環しているイメージで説明される。日本人はそこに「あはれ」の感情を見出すのである。

これは個人的な意見だけど、日本の昔話が無に帰るのは、日本の古典文学が無常観を通過しているからではなかろうか。日本人はどうやって末法の世という仏教的世界観を克服したのか知らないけれど、万物が流転する世界観を未だに持っているのではなかろうか。また、仏教の知識がないので分からないが、無という概念は仏教でいう空の概念に繋がるのだろうか。

余談
時折り水面の夢を見ることがある。水面は無意識の世界のことだろうけれど、僕の場合、それに身を浸しても潜ることができないのである。

 

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2017年10月 8日 (日)

日本標準「千葉の伝説」「埼玉の伝説」を読む

千葉県立中央図書館に行く。武蔵小杉での乗り換えで30分くらいロスした。千葉城には行けず。日本標準「千葉の伝説」を読む。それから広尾(麻布)まで移動して東京都立中央図書館で日本標準「埼玉の伝説」を読む。

千葉県ではダイダラボッチをでえだく坊とかデーデッポと呼ぶようだ。千葉県には平将門の伝説も残されている。京の都で貴族たちが華やかな生活を送っているその時、安房の民たちは重税で苦しんでいた。将門は百姓たちの味方だったということで、関東の現地では人気が高いようだ。また、北条氏に破れた里見氏の伝説もあった。なお、「千葉のむかし話」には続編の第二部「房総かたりつたえ」という本があるとのこと。

東京都立中央図書館で日本標準「埼玉の伝説」を読む。平将門や太田道灌の伝説が見られる。また、関東一帯に強清水(こわしみず)、親は酒、子は清水と養老の滝ような伝説が伝えられている。また、「空に消えた長者屋敷」(秩父市)という伝説では長者が一日で秩父のワラビを採ってしまえと命じ、自分は高篠山を受け持ったが、至るところにワラビが生えている。そこで沈もうとした太陽を金の扇で戻した。それでも終わらないので、再び扇を招いたところ、長者も長者屋敷も消えてしまったというお話が残っている。鳥取の湖山池の伝説に似ている。

興味深いのは「マツを植えない調(つきのみや)神社」(浦和市)という伝説。月読姫命、スサノオ命、稲田姫命という三柱の神様が足立の地にやってくる。月読姫はスサノオ命を愛していたが、スサノオ命は稲田姫と結ばれて帰ってこなかった。「待つ(マツ)ほど、つらいものはない」と言って、それから調神社の境内には松の木を植えなくなったという。(188P)

 

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2017年10月 7日 (土)

日本標準「東京の伝説」「山梨の伝説」を読む

東京都立多摩図書館に行き、日本標準の「東京の伝説」と「山梨の伝説」を読む。両方で5時間ほど掛かった。都立多摩図書館、立川から国分寺に移ったのだけど、フロアが広くなって利用者が増えていた。乗換が3回に増えたのは面倒。JR武蔵野線に乗るのは初めてか。いっそのこと武蔵野線でぐるっと一周、東京まで行ってみようか。

「源五郎岩と埋蔵金」西多摩郡檜原村の伝説が目に留まる。八王子城落城の後、檜原城を落とされた城主の平山伊賀守氏重が落ち延びようとしたところ、岩陰に隠れていた氏重を見つけた炭焼きの源五郎が檜原城の主と知って侍はここだと声をあげる。村人の裏切りに合った氏重はひとにらみで源五郎を岩にしてしまい、自害したという。

山梨にはやはり武田家にまつわる伝説が多い。白米城や名馬池月の伝説もある。また、「しずまない夕日」(都留市)という伝説があって、一町歩(約1ヘクタール)もある田んぼの田植えを一人一日で済ませたら、その田をやろうという長者の言葉を聞いた娘が(気が進まないものの断る訳にもいかず)田植えを行い、ついには沈みかけていた日を止めた。そうして田植えを見事終わらせたものの倒れてそのまま亡くなってしまったという。鳥取の湖山池の伝説に近い類話である。人さらいの話で読んでいて、能のような筋立てだと思ったら、実際に能の話であった伝説もある。

「山梨の伝説」では、山梨に流された親王の相手を務めていた男が上京、何とか目通りが叶うものの、下賜されたのが煙草だったという伝説がある。その煙草が実は非常に上物だったということなのだけど、これを読んで思い出したことがある。僕の父は国鉄の機関士で、お召し列車を運転したことがあるそうなのだけど、恩賜の煙草を貰ったそうだ。煙草だと吸ってしまったらなくなるので、何か後に残るものの方がいいような気もするのだけど、こういう伝説を読んで違う考え方もあることに気づかされる。

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