実は歳の差カップル? 八岐大蛇神話
◆日本書紀の第七段
クシナダ姫は奇(く)し稲田とある。奇しは尊称なので、貴い稲田の女神である。
古事記ではコシノヤマタノオロチと呼ばれている。コシは高志で越、現在の北陸地方を指す。四隅突出型墳丘墓の分布をみると、日本海沿岸に沿って出雲から北陸地方まで分布している。越も出雲の影響下にあったと見ることができるけれど、ここではコシのヤマタノオロチとされている。越に怪物のイメージが投影されているのは、出雲が越を平定したイメージがあったのかもしれない。
大筋では古事記の八岐大蛇神話と同じ流れであるけれど、日本書紀の一書には意外な話が記録されている。
◆一書に曰く
クシナダ姫というと妙齢の、または年頃の娘を連想する。が、日本書紀の異伝ではクシナダ姫は生まれたての赤ん坊なのだ。生まれた後出雲で養育したとあるけれど、姫が成長するまで十五、六年くらいか、随分気の長い話ではある。
日本神話の中でトリックスター的な性格を持つスサノオ命は八岐大蛇を退治することで出雲の英雄となる。横溢するパワーを持て余していたスサノオ命が悪龍を退治して出雲の王として君臨するのである。悪龍退治は欧米の叙事詩で語られる英雄譚でもしばしば登場するモチーフである。
◆神楽のイノベーション
未だに語り継がれているそうだが、大阪万博が「大蛇」普及の一つの転機になったという。八頭の大蛇がステージに登場する勇壮なもので、当時、一緒に公演した他の伝統芸能の人たちは「大蛇に喰われた」と述懐していたそうで、それだけインパクトのあるものだったらしい。
牛尾三千夫「神楽と神がかり」に蛇胴開発以前の大蛇の写真が収録されているけれど、それはウロコ状の模様をあしらった
石見神楽は観光資源化が著しく、ショー化するのを好ましく思わない人たちもいる。が、蛇胴の開発は神楽における創造的破壊、イノベーションだったと言えるだろう。
蛇胴を得た大蛇の舞はスペクタクル化し、見た目にも分かり易いものとなった。都会での公演や海外の公演で大蛇が請われて舞われるのは迫力があって、悪龍退治という分かり易い図式でセリフが分からずとも理解できるからだろう。
僕が子供の頃に観た神楽の共演会では大蛇がトリの演目だったように記憶している。石見神楽は岩戸と五神を重視しているとされ、トリの演目は五神とする社中が多いようだけど、地域によっては大蛇をトリの演目とするようだ。
五神は陰陽五行思想に基づく世界の再編を描いた演目で、言わば農民の哲理を説いているとも言える。その最重要演目を押しのけるまでに大蛇が成長したのは蛇胴の開発無くてしては成し遂げられなかっただろう。大蛇自体、純然たる出雲神話だからトリの演目でも問題ないのだろう。
◆関東の里神楽
2018年3月に「江戸里神楽を観る会」で「八雲の舞」(品川神社太太神楽)を、2019年6月に「第二回 かながわのお神楽」公演で佐相社中「八雲神詠」を鑑賞する。「八雲の舞」は太々神楽で演劇化されていないが、この二つの舞には連続性があることが見てとれる。いずれも石見神楽の様な提灯式蛇胴は使用していない。
八雲の舞:大蛇
八雲の舞:大蛇と須佐之男命と櫛名田比売命
八雲の舞:降参する大蛇
八雲神詠:櫛稲田姫命
八雲神詠:足名槌
八雲神詠:手名槌
八雲神詠:大蛇
八雲神詠:大蛇
八雲神詠:酒に酔って眠る大蛇
八雲神詠:須佐之男命が大蛇の様子を伺う
八雲神詠:須佐之男命が大蛇と戦う
八雲神詠:須佐之男命、天叢雲剣を手にする
◆古事記
古事記の八岐大蛇神話を直訳調ながら現代語訳してみた。
そこで(高天原を)去り追われて出雲国の肥の河(斐伊川)の河上の鳥髪(とりかみ)というところに降った。この時、箸がその河から流れ下ってきた。ここで須佐之男命は人が川上にいると思って、訪ね求めて上って行ったところ、翁と媼とが二人いて童女(をとめ)を中に置いて泣いていた。そうして問うて「お前たたちは誰だ」とおっしゃった。そこでその翁が答えて「私は国つ神である大山津見神(おほやまつみのかみ)の子です。私の名は足名椎(あしなづち)、妻は手名椎(てなづち)と言い、娘の名は櫛稲田比売(くしなだひめ)と言います」と言った。また問うて「お前たちが泣く理由は何だ」と問うた。答えて「私の娘は本から八人の稚女(をとめ:娘)がいたのですが、高志(こし:越)の八俣(やまた)のをろちが毎年やって来て喰らうのです。今をろちが来る時です。そこで泣くのです」と言った。そうして問うて「その形はどの様なものだ」と問うた。答えて「をろちの目は赤かがちの様で、身体一つに八つの頭と八つの尾があります。また、その身に日影かずらと檜(ひのき)と杉とが生え、その長さは谷八つ山八つに渡って、その腹を見れば悉く常に血でただれています」と申した。<ここに赤かがちと謂うのは今のホオズキだ>。
そうして速須佐之男命はその翁に「お前のこの娘は自分に献上するか」とおっしゃった。答えて「畏まって。またあなたの名を知りません」と申した。そうして答えて「自分は天照大神の同母の弟だ。そこで今天から下っているのだ」と仰せになった。そうして足名椎と手名椎の髪は「左様でしたら、恐れ多いことです。献上しましょう」と申した。そうして速須佐之男命はただちんい神聖な櫛の爪にその童女を変えて、自分のみずらに差して、足名椎と手名椎の神に告げて「お前たちは何度も繰り返し醸造した強い酒を用意し、また垣を作って巡らして、その垣に八つの門を作り、門毎に仮に設けた棚を八つ用意し、その棚ごとに酒船(さかぶね:船形の大きな器)を置いて、酒船ごとにその強い酒を盛って待って」と告げた。そこで告げた通りにこのように設け備えて待ったその時に、その八俣のをろちがまことに話した通りに来て、ただちに酒船ごとに己の頭を垂れて入れ、その酒を飲んだ。ここで飲んで酔い留まって伏して寝た。速須佐之男命はその佩(は)いた十拳(とつか)の剣(つるぎ)を抜いてその蛇を切り散らしたところ、肥河(ひのかわ:斐伊川)は血に変わって流れた。そこでその中の尾を切った時に刀の刃があこぼれた。そうして怪しいと思い。刀の先で刺して割いてみたところ、つむ羽の太刀が出てきた。そこでこの太刀をとって特別な物っと思って天照大神に申して献上した。これは草那芸太刀(くさなぎのたち)だ。
◆日本書紀
この時に素戔嗚尊は天から出雲国の簸の川(斐伊川)の川上に降って至った。その時川上で泣く声があるの聞く。そこで、声を訪ねて探して行ったところ、一人の翁と媼がいた。中に一人の少女(をとめ)を置き、かき撫でつつ慟哭した。素戔嗚尊が問うて「お前たちは誰か。何をしてこのように泣く」とおっしゃった。答えて「我はこれ国つ神、脚摩乳(あしなづち)と申します。我が妻は手摩乳(てなづち)と申します。この童女(をとめ)は我が子です。奇稲田姫と申します。泣く理由は、往事に我が子は八人の少女(をとめ)がいたところを、毎年八岐大蛇の為に呑まれたのです。ちょうど今この小童(をとめ)が呑まれようにしています。免れる手立てがありません。そこで悲しんでいるのです」と申した。素戔嗚尊が曰く「もしそうならば、お前は娘を私に献上しないか」と仰せになって、答えて「仰せのままに献上します」と申した。そこで素戔嗚尊はたちどころに奇稲田姫を神聖な爪櫛に変えてみづらに挿した。ただちに脚摩乳と手摩乳に何度も醸造した強い酒を醸し、併せて仮の棚(仮ヅチ、ここでは佐受枳サズキと云う)。八つの棚を作り、各々に一つの槽(さかぶね:酒を入れる桶)を置いて酒を盛って待った。時が来て、果たして大蛇が出て来た。頭と尾は各々八つあった。眼が赤かがち(ホオズキ)の様で、(赤酸醤、ここでは阿箇箇ガ知と云う。松と柏(かや)の木が背の上に生えて、八つの丘、八つの谷の間に這い渡った。酒を飲むに至って、頭が各々一つの槽(さかぶね)を飲んで酔って眠った。時に素戔嗚尊はたちまち帯びた十握(とつか)の剣(つるぎ)を抜いてずたずたにその大蛇を斬った。尾に至って剣の刃が少し欠けた。そこで、その尾を割り裂いて見たところ、中に一つの剣があった。これがいわゆる草薙剣(くさなぎのつるぎ)である。草薙剣、ここでが俱娑那伎能都留伎と云う。一書(あるふみ)に曰く、本の名は天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)。まさしく大蛇が居る上に常に雲があった。そこで名づけたか。日本武皇子(やまとたけるのみこ)に至り、名を改め草薙剣と云うという。素戔嗚尊は「これは霊妙な剣だ。どうして敢えて私用しておこうか」と仰せになって、ただちに天照大神に献上した。
日本書紀の異伝(一書に曰く)を直訳調であるが現代語訳してみた。
<第二>一書に曰く、この時に素戔嗚尊は安芸国(あきのくに)可愛(え)の川上に下り到った。そこに神がいた。名づけて脚摩(あしなづ)手摩(てなづ)と言う。その妻(手摩)は名づけて稲田宮主簀狭之八箇耳(いなだのみやぬしすさのやつみみ)と言う。この神はまさに妊娠していた。夫婦(いもせ)共に憂えて、ただちに素戔嗚尊に告げて「私が生んだ子は多いとはいえども、生む毎にただちに八岐大蛇(やまたのおろち)が来て呑み、一人も生存することができませんでした。今や私は産もうとしています。恐れるのはまた呑まれてしまうことです。これで悲しむのです」と申した。素戔嗚尊はただちに教えて曰く「お前たちは諸々の木の実で酒を八つ醸すべし。私はお前たちのために大蛇(おろち)を殺そう」とおっしゃった。二柱の神は教えのままに酒を用意した。産むときに至り、必ずその大蛇が戸に当たって(直面して)子を呑もうとした。素戔嗚尊は大蛇に勅命を下して曰く「お前はこれ恐ろしい神だ。敢えて饗応しないことはないだろう(饗応しない訳にはいかない)」と仰せになり、ただちに八つの甕の酒を口毎に注ぎ入れた。その大蛇は酒を飲んで眠った。素戔嗚尊は剣を抜いて斬った。尾を斬るときに至って、剣の刃が少し欠けた。割いてみれば、剣が尾の中にあった。くれを草薙剣と申す。これはちょうど今尾張の吾湯市村(あゆちのむら)にある。乃ち熱田の祝部(ほふり)が司る神がこれだ。その大蛇を斬った剣は名づけて蛇(おろち)の麁正(あらまさ)と言う。これはちょうど今石上(いそのかみ)にある。この後、稲田宮主簀狭之八箇耳は児真神触奇稲田媛(こまかみふるくしいなだひめ)を生んだのを以て、出雲国の簸(ひ)の川上(斐伊川の川上)に遷り置いて養育した。そうして後に素戔嗚尊は(奇稲田媛を)以て后として生んだ御子の六世(むつつぎ)の孫(みまご)がこれを大己貴命(おほあなむちのみこと)と申す。大己貴、ここではオホアナムチと云う。
◆岩田勝の悪霊強制説
岩田勝は神楽の本義を悪霊強制説と主張したが、例としてヤマタノオロチ神話を取り上げてみる。
地霊の地上への顕現であるスサノヲは、その具象化としての蒭霊あるいは茅人形の始原的な像容である。(中略)
そのような矛による形象は、たとえば疫神の頭(かしら)とされてスサノヲに習合された牛頭天王が疫神を統御する霊威をよく揮うものとされているように、それに蛇形の地霊がつよく顕れるものなるがゆえに悪気邪霊を攘う威力もまた強いものとされた。蛇形のスサノヲは、根の国(出雲国)ではみずからの分身の八岐大蛇を殺害する。
岩田勝「神楽新考」52P
とある。「蛇形のスサノヲは、根の国(出雲国)ではみずからの分身の八岐大蛇を殺害する。」とある。地霊である(故に蛇形である)スサノヲが自らの分身であるところの地霊である八岐大蛇を退治する。なんともアクロバティックな解釈ではなかろうか。普通に読めば何か変と思わざるを得ない。この一文で岩田の悪霊強制説は決定的に破綻してしまうのだ。
◆余談
◆参考文献
・「古事記 新編日本古典文学全集1」(山口佳紀, 神野志隆光/校注・訳, 小学館, 1997)
・「日本書紀1 新編日本古典文学全集2」(小島憲之, 直木孝次郎, 西宮一民, 蔵中進, 毛利正守/校注・訳, 小学館, 1994)
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