岩田勝「神楽源流考」にみる神楽の理論書と暗黙知の働き
◆本は一冊書けばいい
文系に限るが、学者・研究者としての人生には色々あるだろう、その究極の目標としてのゴールは、教授になるといったゴール、更にそれに留まらず学部長・学長になるなど政治的なゴール、法学だと司法試験の委員になるといったその道の権威的なゴールもある。
本を一冊書けばいいというのは、研究の集大成として理論書を一冊執筆するというゴールがあるということだろうか。
ブログをはじめて14年、ようやく視界に入ってきた研究者として岩田勝という中国地方の神楽に詳しい先生がいる。もうお亡くなりになったが、本業は郵政公務員で、独学で兼業ながら、本職の研究者に勝る実績を叩き出した驚異的な人物である。
◆岩田の業績――神楽の理論化
岩田の業績として
例を示すと以下のようになる。
神楽は日本の文化の一つで、現在では伝統芸能/郷土芸能であるけれど、掘り下げると、日本人の精神性と深く関わっているのだ。
学生向けの教科書ではない理論書を執筆する、それは研究者として大成したことを示すものではないだろうか。もちろん、ただ独りのみで成し遂げたのではない、石塚尊俊、牛尾三千夫ら先行する研究者がいて、畑を耕し種を播きということはやっている。だが、その中で二冊の理論書という形で花を咲かせ、他に大きく影響を及ぼした点で抜きんでているのだ。
批判もある。諏訪春雄という学者は「日中比較芸能史」で、井上隆弘という研究者は「神楽祭文研究の方法について―岩田勝・山本ひろ子の所説を中心として―」という論文で、また「霜月神楽の祝祭学」という著作でそれぞれ岩田説について批判的検討を加えている。
諏訪説は神楽を天の岩戸神話や奥三河の花祭りのような擬死再生のモチーフと土公祭文のような祟る神を鎮める御霊祓いのモチーフとに分類した。折口説と岩田説との折衷説のような形である。
井上説では神楽の託宣型と悪霊強制型は明確に分離できるのではなくそのどちらの要素も、いわば両義性が見られると指摘している。
僕自身、まだ著書の一部しか読んでいないが、岩田説の天の岩戸神話の解釈には微妙なものを感じるのも事実である。天鈿女命にスサノオを憑依させ攘却するという解釈になるからである。
しかし、批判的検討を加えるということは、検討する叩き台となる材料があるということでもある。とにかく一つの理論として体系だてたこと自体が誰にでもできることではない。
長年に渡ってこつこつと地道に研究を重ねる。ここまでは学者・研究者ならば誰しもがそうだろう。しかし、研究がいい具合に煮詰まって、あるときポンと発想が飛躍する、これは一部の者にしか訪れないのではないか。
◆暗黙知
知識はピラミッド型で下部構造から上部構造が発生、相互に影響を及ぼすと説明していいだろう。上位概念を得ることで下位の概念をコントロールできる、つまり統一的に理解するのである。ここが「下部構造が上部構造を規定する」と考える唯物論と違うところだ。
面白いことに「神楽源流考」のあとがきを読むと、「神楽源流考」に記載された文章は元々は「山陰民俗」「広島民俗」等、各地域の民俗学会の学会誌に発表されたものなのだけど、1970年代の約5年という短いスパンの中で生み出されているのである。
マイケル・ポランニーなら、岩田に暗黙知の働きを見出すかもしれない。悪霊強制型という概念はマックス・ウェーバーの宗教社会学に由来するとのことなので、いつなのかは不明だが、宗教社会学を読んだ時点で予見というか構想のようなものがあったのかもしれない。
大学生のとき、別の先生だが、文系の学問は(理系のような新発見などはないのだから)一つ一つ積み重ねて一歩でも進むことが大事だと、そのようなことを述べていたと他の学生から聞いた。普通、文系の分野で新発見なんてないのである。大抵は誰かが既に考えていたことなのだ。なので、岩田勝の達成した神楽の理論化は稀な事例とも言えるかもしれない。
◆死
備後福山の生まれで本業は郵政公務員
雑誌「広島民俗」42号に田中重雄「岩田勝さんを惜しむ」という追悼記事があった。家庭の事情で旧制中学卒業で旧制高校や大学には進学していないようだ。大学には行っていて実学を学んだのではないかと予想していたが、実際にはそうではなかった。高等教育を独学で学んだのだろう。独学でくずし字を読み、難しい神楽の詞章を読解している。そしてそれらを体系づけて理論の構築。驚異的というか異次元だ。「神楽新考」に見られる折口信夫に直接接したかったという述懐は大学に進学できなかったことからくる真摯なものだったのだ。
なお、著書のあとがきによると、神楽の観光資源化、要するにショー化には強い懸念を抱いていたようである。特に広島県の芸北神楽に顕著だけど、現代の神楽は神事性と商業性の間で揺れ動いている。これは後の世代に託された問題なのだろう。
◆神楽新考
「神楽新考」は平成4年で、岩田が亡くなったのは平成6年だから、批判を受け付ける時間がほとんどなかったものと思われる。次回作の構想もあったけれども、結局出ないままとなった。
◆備後東城荒神神楽能本
「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」に収録された広島県比婆郡東城町戸宇の宮脇栃木家蔵の神楽能本(備後東城荒神神楽能本)の延宝本と寛文本を精読した。詞章が崩れている箇所も多々あって内容を理解しているとは言い難いが、これは能本、つまり昔の田舎のエンタメなのだと思わされた。読む前はもっと呪術的な内容かと思っていたが、読んでみると意外と面白いのだ。確かに「目蓮の能」「松の能」「身売りの能」等、葬式神楽で演じられたと思われる演目もあるが、「身売りの能」など、読んでいて、この後、物語はどういう風に展開するのだろうと思わされる内容だった。
岩田は「神楽源流考」で備後東城荒神神楽能本を託宣型と悪霊強制型に分類した(499-502P)。儀式舞ならともかく能舞で単純にこれらの図式を当てはめられるのだろうかという疑問が湧いた。岩田は備後東城荒神神楽能本に呪術性を見出した。それは作品の解釈には寄与する。が、それは全体像の中の一面に過ぎないのではないだろうか。
「日本庶民文化史料集成」の編集者の山路興造は備後東城荒神神楽能本を能楽大成以前の能の有り様が記されていると見た。それにしても能である。この能を持ち伝えたのは修験の山伏たちだろう。呪術的な側面が無いとは言えないが、当時これらの神楽能を見物していた人たちはどう見ていただろう。娯楽としてではないのか。
◆権威として
岩田は岩田勝「シンポジウム雑感」「民俗芸能研究」18号という小論を寄稿している。1993年だから晩年のものになる。この中で岩田は岩手の中野七頭舞を「それは、私にはフェスティバルか余興の場で観衆も演者もともに楽しむことができる“少女歌劇”化したおどりとしか思えなかった」と酷評している。中野七頭舞は練習方法が近代化され、腕を何度上げるとかいった指導がされているそうだ。要するにモダナイズされた舞なのだけど、そのことがお気に召さなかったようだ。そこには「神楽源流考」の実績で権威と化した晩年の岩田の姿を見ることができる。
また、岩田は、岩田勝「“神々の乱舞”全国神楽フェスティバル」「民俗芸能学会会報」第21号という小論を書いてもいる。高知県で催された全国神楽フェスティバルに出席し、シンポジウムに参加している。フェスティバルのトリは石見神楽の「大蛇」が演じられたようだ。新聞報道では「身体が左右に揺れ出した。ジャズやロックを聴いている時のようにリズムを刻む」「舞い手と観客が一体となってどよめいた数時間は興奮以外の何ものでもなかった」と報じられた様だ。対する岩田は「そこには民俗芸能研究などという、客観的で冷静な態度などはありようがない。あえて学問としてというならば、おそらくこれから本格的に取り組まれるべきなのは、祭りの場から離れた民俗芸能の社会学(あるいは経営学)であり、祭祀組織の基盤を失ってもなお一人歩きさせるための民俗芸能保護行政学であるであろう。」と冷めた見解を披露している。
また「“神々の乱舞”全国神楽フェスティバル」では
前夜の強烈な印象の覚めやらぬ私は、いささか非情なことになってもやむを得ないと、同族や地縁の共同体祭祀組織の式年ごとの神楽の祭りの構造とその意図するところを強調したりして、昨夜と今夜の“神楽”は、そのような神楽の祭りの中からいちばん見た眼に面白い部分だけを上演するのであって、くれぐれもあれだけ(※石見神楽と備中神楽)をもって神楽だと受け取られないようにと、人々の興奮に水をさす役目を勤めざるを得なかった。(2P)
と書いている。石見神楽の大蛇だけが神楽ではないのだと。だが、反対のことも言える。呪術性のある神楽――大元神楽や比婆荒神神楽だけが神楽ではないとも。現代の神楽は多岐に渡っているのだ。
更に「神楽新考」のあとがきを読むと分かるが、そこでは中国地方の神楽の沿革が記され、近代に入って能舞偏重となり、更に八調子石見神楽や芸北神楽が盛行する有り様を神楽のショー化だと批判している。
「神楽新考」の「あとがき」では「能舞の芸能神楽は、もはや民俗芸能の範疇でとらえることすらためらわれるほどになっている。」(472頁)と記している。意訳すれば八調子石見神楽や芸北神楽の能舞は学問的対象ではない、つまり研究に値しないと述べているのである。これに加えて「“神々の乱舞”全国神楽フェスティバル」では「そこには民俗芸能研究などという、客観的で冷静な態度などはありようがない。」と記している。だが、本当に客観的冷静にみて八調子石見神楽系の能舞が研究に値しないものだと断言できるだろうか。ある意味では神楽の最先端を走っている、そして現在でも変化し続ける生きている神楽なのである。そこには神楽の権威としての個人的な嗜好が含まれてはいないだろうか。
これらから伺えるのは岩田は神楽のジャンルにおいて本質主義をとっていることだ。本質主義に対抗する構築主義は平成に入った辺りから論じられる様になったようで、岩田はその世代ではないのである。
本質主義の欠点は芸能の歴史的変容の過程を認めないことだ。現在を後世の堕落した姿と捉えるのである。言わば、理想化された神楽の幻影を追い求めて、ありのままの神楽を見ていないことにもなる。権威主義と表裏一体なのである。
◆昇華させられないか
僕自身、原史料を読む力が無いし(くずし字を学んだ方がいいのかと考え中)、そもそも高等教育が頭に受けつけなかった身であるから、研究というのはおこがましいが、これまでで得たものを何らかの形で昇華させられないかなとは思っている。
具体的には創作のジャンルなのだけど、このブログのこなれていない文章で容易に想像できるだろう、とにかく文才が無くて、とても人様に見せられるものではない。島根の伝説は観光資源にはならないのだろうかという問題意識がちょっとだけある。
◆参考文献
・岩田勝「シンポジウム雑感」「民俗芸能研究」18号(民俗芸能学会編集委員会/編, 1993)pp.76-78
・岩田勝「“神々の乱舞”全国神楽フェスティバル」「民俗芸能学会会報」第21号(民俗芸能学会, 1991)pp.2-3
記事を転載 →「広小路」
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