貴船――謡曲「鉄輪」を元としつつ結末の解釈が異なる神楽の演目
◆はじめに
鉄輪とは五徳のことである。五徳といっても現在のガスレンジのそれではなく、火鉢で使うものである。
◆石見神楽「貴船」
六調子の神楽台本によると、
抑(そも)呪詛怨念の始といつぱ 神代に於て磐長媛命其形醜しとて天孫宣ひしを恥ぢ恨み玉ひて天地の神を祈り給ふ是を以て始めとす
「校定石見神楽台本」(192P)
◆謡曲「鉄輪」
三十番神とは、
ひと月三十日を守護する三十の神々。ことに法華信仰とも関連して中世に著しい信仰があった。貴船もその一つ。
「新潮日本古典集成 謡曲集 上」(327P)
◆平家物語
満仲の代を継いで嫡子である摂津守頼光の代となった。頼光の代となって様々な不思議なことがあった。先ず第一の不思議として、天下に人が多く失せる事があった。失せると言っても死んで失せるのではない。行って(逃げて?)失せるのでもない。座席に連なって集っていた中にも立ったとも見えず、出たとも見えずに、かき消すように失せる。あそこでも失せたと言う、ここにも無いという、行方も知れない。いるところも聞こえず失せる人が多かったので、恐ろしいとも何とも言いようがない。これはいかなる不思議だといって万民の騒ぎとなった。是を詳しく尋ねたところ、嵯峨天皇の御代にある公卿の娘があまりに物を妬んで、貴船の大明神に詣でて七日籠って「帰命頂礼貴船の明神、願わくは七日籠った利益として、わらわは生きながら鬼になしてください。恨めしいと思う女をとり殺しましょう」と申した。大明神はお聞きになって哀れとお思いになったのだろう、「申すところが実に不憫である。まことに鬼になりたくば、姿を変えて宇治川の川底が浅くて流れの速いところに行って三七二十一日浸りなさい。されば鬼となそう」と示現があった。女房は喜んで都に帰って人気の無いところに籠って、猛々しい髪を五つに分けて飴を塗って巻上げて五つの角に作った。顔には朱を塗りつけ、頭には金輪(五徳)を被り、松明を三束火をつけて一束ずつ金輪の三つの足に結いつけて、長い松明に上下に火をつけて、中を口にくわえて、夜が更け人が寝静まった後で大和大路を宇治へと走り出し、南を指して行けば、頭から五つの炎が燃え上がった。偶然これに行き合った者は肝を抜かれ魂を失い、死なないことはなかった。こうして宇治の川瀬に行って三七二十一日浸ったので、貴船大明神のお計りで、彼女は生きながら鬼となった。宇治の橋姫とも是を言うと承る。鬼になった後、妬ましいと女の所縁の者、自分を嫌い捨てた男、彼の親戚、前世の報いとして受ける境遇は上をも下をも選ばず、男女を嫌わず思うままに取り失った。男を取ろうとしては美しい美女と変じ、女を取ろうとしては見目良い男と現れて多くの人を取る間、恐ろしいと言うばかりであった。このようなので、京中の上下は申(さる)の時(午後四時ごろ)から後は人の出入りが無くなった。門を堅く閉じて慎んだという。
◆また来るぞ
一方、神楽台本では、鬼女が元夫の人形を手にしている。人形を打ち据えても本体には影響がないのだけど、鬼女はそれで満足して去る。六調子の台本でも後妻(うわなり)を打ち据えたからと満足して去っていく。このように謡曲と神楽台本でラストシーンの解釈の違いが生じている。なぜなのか理由は分からないが、理由の一つとして鬼女が人形をわしづかみにする場面が見せ場だということができる。他、石見神楽では滑稽さを演出することがあるからだろうか。
◆動画
石見神楽の方は細谷社中の「貴船」を鑑賞した。こちらも一時間近い上演時間だったけれど、男が茶利なのか滑稽な筋立てなので気楽に見られた。また、安倍晴明は老人として登場していた。
三葛神楽の六調子の貴船を鑑賞した。急調子のところでは八調子と変わらないくらいのテンポであった。そういう意味では六調子と八調子はつながっていると言えるか。
◆謡曲「鉄輪」現代語訳
シテ:女
ワキ:安倍晴明
ツレ:夫
狂言:貴船社人
處は:京都
嫉妬の一念凝って捨てられし夫を取り戻さんとせしに、安倍晴明に祈り伏されて立ち去ることを太平記其他によりて作れり
狂言「このような者は、貴船の宮に仕える者でございます。扨(さ)ても(ところで)今夜不思議な霊夢を蒙(かうむ)りました。その言われたことは、都から女の丑の刻参りをするのに申せと仰せになった子細をば新たに霊夢を蒙って、今夜参られるならば、ご夢想の様子を申そうと思う」
シテ次第「日も数沿いて恋衣(恋という着物)、恋衣。貴船の宮に参ろう」
サシ「実に蜘蛛の(糸で)家に荒れた駒は繋ぐといっても、二道(分かれ道)に隠れるあだ人(真心のない浮気者)を頼むまいと思ったところに、人の偽りを行く末も知らずに、契りそめた口惜しさも、ただ自分からの心です。あまりに思うも苦しさに、貴船の宮に詣でつつ、住む甲斐もない同じ世の、内に報いを見せ給えと」
歌「頼みを懸けて貴船川、早く歩みを運ぼう。通い慣れた道の末、道の末、夜も糺(ただ)すのの変わらないのは、思いに沈むみぞろ池、生きる甲斐ない憂き身の、消える程だろうか草深い、市原野辺の露を分けて、月の遅い夜の鞍馬川、橋を過ぎれば程なく貴船の宮に着いたことだ、着いたことだ」
詞「急ぐ間に貴船の宮に着きました。心静かに参詣しましょう」
狂言「どのようにしてか申すべき事がございます。あなたは都から丑の刻参りされるお方でいらっしゃるか。今夜あなたの身の上をご夢想に蒙っております。申される事は既に叶っております。鬼になりたいとの願いですが、我が家へお帰りになって、身には赤い衣を着て顔には丹(たん)を塗り、頭(こうべ)には鉄輪(かなわ)を戴き、三つの足に火を灯し怒る心を持つならば、忽ち鬼神となるであろうとのお告げでございます。急いでお帰りになってお告げの様になさい。なにほどの奇特なお告げでございますぞ」
シテ詞「これは思いも寄らない仰せでございます。妾(わらわ)の事ではないでしょう。きっと人違いでしょう」
狂言「いやいやしかとあらたかな夢想でありましたので、あなたのことですぞ。このように申す内に何とやら恐ろしく見えてきました。急いでお帰りなさい」
シテ「これは不思議なお告げかな。まず我が家に帰りつつ、夢想の様になるべしと」
地「言うより早く顔色が変わり気色(様子)が変じて、美女の形と見えたのが、緑の髪は空ざま(空の方)に立つか黒雲の雨降り風と鳴る神(稲妻)も、思う中を避けられた、恨みの鬼となって人に思い知らせよう、憂き人に思い知らせよう。
男詞「このような者は下京の辺りに住む者でございます。私はこの間うち続いて夢見が悪くて、晴明の許へ立ち超えて夢の様子を占なってもらおうと存じます。どのように案内申しましょう」
ワキ詞「誰ですか」
男「左様でございます。下京の者でございますが、この程うち続く夢見の悪さを尋ねる為に参上しました」
ワキ「あら不思議かな。考えるには及びません。これは女の恨みを深く蒙った人です。殊に今夜の内にお命も危うく見えます。もしや左様な事でござるか」
男「左様でございます。何を隠しましょう、私は本妻を離別して新しい妻と語らった(契った)のですが、もしや左様な事でもあるでしょうか」
ワキ「実にその様に見えております。彼の者が仏神に祈り数積もってお命も今夜に究(きわ)まっておりますので、自分の調法(調伏の呪法)では叶いそうにありません」
男「ここまで参ってお目にかかった事こそ幸いです。平にしかるべき様にご祈念し給え」
ワキ「この上はどうともしてお命を転じ変えて参らせましょう。急いで供物を調えなされ」
ワキ「どれどれ、転じ変えようといって、茅(ち)の人形(ひとがた)を人の背の尺に作って、夫婦の名字を内に籠め、三重の高い棚と五色の幣に、各々供物を調えて、肝胆(かんたん:心の中)を砕いて祈ったことだ。謹上再拝(きんじやうさいはい)。それ天が開け地が固まってからこの方、伊弉諾(いざなぎ)伊弉冉(いざなみ)尊、天の磐座(いはくら)でみとのまぐわい(まぐわい)をなしてから、男女夫婦の語らいをなし。陰陽の道が長く伝わる。それにどうして魍魎鬼神が妨げをなし、非業(業因によらない死)の命を取ろうとするか」
地「大小の天神地祇、諸仏菩薩、明王部天童部、九曜七星二十八宿を驚かせ、祈れば不思議かな雨が降り風が落ち、雷稲妻しきりに満ち満ち、御幣もさざめき鳴動して、身の毛もよだって恐ろしい」
後シテ「それ花は斜脚の(斜めに)吹く暖かいに風に開いて、同じ暮春の風に散り、月は東の山から出て早く西の嶺に隠れる。世間の無常はこの様である。因果は車輪が巡る様に、私につれない人々に忽ち報いを見させるべきだ。恋の身の浮かぶ事のない加茂川に」
地「沈んだのは水の青い鬼」
シテ「我は貴船の河瀬の蛍火」
地「頭(かうべ)に戴く鉄輪の足の」
シテ「焔(ほのほ)の赤い鬼となって」
地「伏した男の枕に寄り添い、いかに殿御(貴方)よ珍しや」
シテ「恨めしい、そなたと契ったその時は玉椿の八千代二葉の松の末にかけて変わるまいと思っていたのに、どうして捨て果ててしまうのか。あら恨めしや捨てられて」
地「捨てられて思う思いの涙に沈み、人を恨み」
シテ「夫(つま)の愚痴を言い」
地「ある時は恋しく」
シテ「又は恨めしく」
地「起きても寝ても忘れぬ思いの因果は今だと白雪の消えようとする命は今宵ぞ。いたわしい」
地「悪しかれと思わぬ山の峰にさえ、人の嘆きは生じるのに、いわんや(長い)年月思いに沈む恨みの数、積もって執着心の鬼となるのも道理かな」
シテ「いでいで(どれどれ)命を取ろう」
地「どれどれ命を取ろうと、細枝(しもと)を振り上げ、後妻(うはなり)の髪を手に絡ませて、打つや宇津(うつ)の山の夢とも現(うつつ)とも分かれぬ憂き世に因果は巡り合った。今更さぞ悔しいだろう、扨(さ)ても(ところで)懲りろ思い知れ」
シテ「殊更恨めしい」
地「殊更恨めしい、あだし男(薄情な男)を取って行こうと伏した枕に立ち寄って見たところ、恐ろしや幣帛(みてぐら)に三十番神がおいでになって、魍魎鬼神は汚らわしい、出でよ出でよと責めるぞ。腹立たしいや思う夫(つま)を取らずにあまつさえ神々の責めを蒙る悪鬼の神通通力自在の勢いが絶えて、力もたよたよ(弱々しく)足弱車(あしよわぐるま:車輪の堅固でない車)の、巡り合うべき時節を待つべきか。まずこの度は帰るべしと言う声ばかりは定かに聞こえ、云う声ばかり聞こえて、姿は目に見えぬ鬼となったことだ。目に見えぬ鬼となったことだ」
◆参考文献
・「平家物語剣巻」「完訳 日本の古典 第四十五巻 平家物語(四)」(市古貞次/校注・訳, 小学館, 1989)※平家物語剣巻pp.411-412
・「謡曲叢書 第三巻」(芳賀矢一、佐佐木信綱/編, 博文館, 1915)※「鉄輪」pp.459-463
記事を転載 →「広小路」
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