世阿弥の処世術
土屋恵一郎「処世術は世阿弥に学べ!」(岩波アクティブ新書)という本を読む。著者は僕が卒業した大学・学部の先生で、実際に講義を受けたことはないけど、能に詳しい先生である。本業は法哲学。
神楽について調べていると、能を題材としていることが多いので、図書館で能関連の書棚を見ていて気づいたもの。
世阿弥の伝書である「風姿花伝」は一度読んでみたいと思っていて、なかなか手が出なかった。実際に原典にあたっても、その10分の1も理解できないと思うが、ここでは世阿弥の伝書を平易に解説してくれている。
たとえば「男時」「女時」。流れが自分に傾いているときが男時で、相手に傾いている場合が女時である。世阿弥の時代は能は他の一座と対決する形で演じられていたということで、要するに世阿弥は勝負の世界に生きていたのだけど、そういう流れについて語っている。
自己流に解釈すると、相手に流れが傾いているときは、無闇に逆らわずに仕込みの時間とするということだろうか。普段から準備しておかないと、いざ自分に流れが傾いたとしても対応できないのである。僕なんか、常に女時であるが。
能の世界では二十代半ばで芸が心技体ともに充実してくるのだけど、それは「時分の花」であるという。まだ本当の「花」ではないのだ。謙虚に技を磨き続けることの大切さが指摘されている。
老境に至っての「花」もあるという。ピークを過ぎ年老いた芸術家の中に花を見出すのが日本の文化であるとのこと。身体が動かなくなっても、心は自由である。そこから生まれてくる芸があるというのだ。
世阿弥の創造性についても触れ、旅の要素を能に取りいれ、旅の僧を聞き役として配置することで題材を幅広くとることが可能になった。また、第一幕で旅の僧にその物語の主役が話を聞かせ、その主役が亡霊であることを明かした後、第二幕を旅の僧の見る夢の世界とすることで――複式夢幻能と呼ぶらしいが――飛躍的な自由度を得たといったことを挙げている。
本書は土屋ゼミナールを卒業した生徒たちを念頭において執筆されている。本書の発行が2002年なので卒業生も既に50代になった人もいる(執筆当時は40代)。リストラされたり転職された方たちもいる。人生には色々節目がある。世阿弥は人生を七段階に分けて語っているが、それが実に的確なのである。
歳をとって読書ができなくなってきたのだけど、この本は160ページ程度で数時間で読み切ってしまった。もっと若い内に読んでおけばよかったかもしれない。そういう意味では若い人にこそお薦めの本である。
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