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2017年8月29日 (火)

神楽の舞をモーション・キャプチャで取り込む

渡部信一「日本の『わざ』をデジタルで伝える」(大修館書店)という本を読む。技というと、製造業における職人さんがまず挙げられるけれど、具体例として挙げられているのは伝統芸能の名人で、青森県の八戸法霊神楽の舞をモーション・キャプチャで取り込むことが行われている。

発行が2007年なので、もう10年前の本だけど、モーション・キャプチャには重いバッテリーを背負わなくてはならない制約がある。バッテリーは20分しか持たないそうだ。

神楽のモーション・キャプチャが他の伝統芸能と比べて異なっているのが、他の伝統芸能だとテープに録音した伴奏で演じても問題ないのに対し、神楽だと舞手と囃子手が互いの呼吸を感じながら、それに応じて演じているので、テープの伴奏ではやり難いと演者の人から言われたことである。

・日本の「わざ」は、本当にデジタルで表現し伝えることができるのか
・デジタル化することで、何か本質的なものが抜け落ちてしまうのではないか
・「わざ」の何がデジタル化可能で、何が不可能なのか
・もし、デジタル化が可能だとしたならば、そのときのポイントは何か
といった問題点を挙げている。

伝統芸能は小学校の「総合的な学習時間」の教材として取りいれられているが、多くは学校の体育館で学習することが多く、神楽を学ぶとしたら神社であるところが実際には学校なので、場の雰囲気等、実際には漏れてしまう学習要素もあるという指摘だった。

他、漢方医の事例を通して、漢方医のスキルはデジタル化できるかというのが論点となっている。今思うに、AIが急速に発達して、AIによる画像診断が実現化されているので、全く不可能ということではないだろう。

本書は対談形式で、デジタル化に取り組んでいる人もいれば、懐疑的な人も登場する。多くはデジタルはあくまでツールであるという認識であることだ。

余談
学習の題材として神楽を取りいれるのはありだと思うけれど、たとえば神道以外の宗教の信者からクレームはこないのだろうか。実際、幼稚園の学習で子ども神楽をやっていたら、仏教の坊さんがクレームをつけて選択式となったという事例を記憶している。

本書とは関係ないけど、回転寿司のシャリはもう何十年も前からロボットが握っている。何十年もの年季を積み重ねた職人の腕とそう変わらないということなので、指先の微細な感覚もデジタル化できるのかもしれない。

 

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