論文で読む島根の神楽の入門編
■藤村和宏「地域伝統芸能の継承と変容が市場創造に及ぼす影響に関する考察―― 島根県の3地域における神楽をケースとして――」香川大学経済論叢(PDF形式)
島根県の神楽に関する入門編とでも呼べるような資料である。87ページあるが、一気に読んでしまった。元が経済の論文だけにさすがに演目の解説はない。しかし、本来は観光やマーケティングに関する論文であるが、これは島根大学や島根県立大学がやるべき仕事ではないかという気もする。
「観る神楽」と「観せる神楽」とに分類されている。「観せる神楽」はショー化したものが典型的で分かり易いが、「観る神楽」の方はピンとこない。神楽の本義のごとく、神が観る神楽ということだろうか。
石見神楽といえば「ショー化」であり即ち観光資源であるという観点で論述されている。また、蛇胴は石見神楽におけるイノベーションであると言える。
神楽の盛んな石見地方で、児童も幼いころから自然と神楽に親しんでいるけれど、実際に社中に所属する児童は全体の1%ほどとのこと。また、その中から天才的な才能を示す児童は三~四年に一人といった割合だそうである。
出雲神楽や隠岐神楽についても詳しく、出雲神楽では主に佐陀神能が取り上げられ、隠岐神楽では古代より貴人の流刑地だったため古式を残した形式の舞が残されていることが挙げられる。一部地域では笛の継承者が途絶えたため、現在では笛無しとなっているそうである。隠岐神楽ではプロの神楽師がいること、女性の担い手も多いこと、児童の割合が多いことなど。小学生の女の子が神楽を始める動機は綺麗な巫女装束を自分も着たいからだそうである。
観光、マーケティング的な観点でみると、裾野に当たる石見神楽で先ず神楽の世界に入り、より神事性の強い出雲神楽、隠岐神楽へと鑑賞行為のステップアップを図ることがモデルケースとして挙げられている。芸能自体、商業性と芸術性の間で常に揺れ動いているものだろう。
プロフィールを参照すると、出身地は不明だが、学習院大学→神戸大学大学院→広島大学→香川大学とキャリアを積んだ先生のようだ。仮に島根出身の人でないとすると、広島大学時代に石見神楽を見たとかそんなところが動機だろうか。
こちらは外国人の手になる石見神楽の概論である。要旨しか掲載されていないが、音楽と詞章双方に踏み込んだ総合的な研究がなされているようである。
通常、石見神楽は出雲流神楽に分類されるのだけど、
しかし,佐陀以外の出雲神楽や石見神楽の演目を構成や音楽の面から検討すると,佐陀神能の影響はほとんど認められなし」その意味でも,出雲系神楽という用語の概念、は,その是非が問われるべきである。
と従来の定説を覆すようななことが記述されたりもしている。
これまで神楽の研究者にとって、石見神楽といえば大元神楽や六調子のそれで、通俗化した石見神楽は研究の対象外だったかもしれない。それが、外国人の研究者によってようやく研究の俎上に挙げられることとなったというところだろうか。
■図書館
これらの論文を読んだ後は図書館で石塚尊俊の「西日本諸神楽の研究」を読むとよいかもしれない。僕自身、通読していないけれど、中国・四国・九州の諸神楽の概説が読める。まず全体像を掴むのによいだろう。そうしたら、次に岩田勝「神楽源流考」や牛尾三千夫「神楽と神がかり」三村泰臣「中国地方 民間神楽祭祀の研究」(※主に広島県の神楽について。中国地方の神楽は島根県と広島県の神楽を先ず押さえればよい)等を読んでいけば個別の論点に触れることができる。
「神楽と風流」という雑誌「山陰民俗」に寄稿された神楽の論文をまとめた本がある。これも主な研究者の論文が載っているのでよいだろう。
なお、「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」に中国地方の主な神楽の口上台本が収録されている。石見神楽の「校定石見神楽台本」は浜田市観光協会で通販可能。JR浜田駅の土産物屋で「神楽の台本ください」というと出してくれる。
<追記>
藤村論文を再読する。石見神楽に関して「ショー化」といった言葉が頻繁に登場する。文脈から読むに悪意はなさそうである。「石見神楽はショーである」は安易に使って欲しくない気もする。
藤村論文を再読する。石見神楽に関して「ショー化」といった言葉が頻繁に登場する。文脈から読むに悪意はなさそうである。「石見神楽はショーである」は安易に使って欲しくない気もする。
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