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2017年7月

2017年7月26日 (水)

石見神楽の動員力

[Part1]神楽があるからここが好き
http://globe.asahi.com/feature/article/2013100300006.html

多分毎週土曜日の夜神楽定期公演だと思うが、益田市の公演では一回当たり300人程度の集客が見込めるようである年間だと15,000人くらいだろうか。浜田市の三宮神社ではそこまでの人数は難しいだろうけれど、本物の神社で催される神楽であり、そこが魅力だといえるので、一概にどちらが良いとは言えないだろう。

<訂正>
益田市の石見の夜神楽定期公演の動員数は年間4,000人ほどであった。神楽シーズンを除き年40回公演しているとすると一回当たり100人ほど集客していることになる。浜田市が40から50人ほどなので浜田市より多い計算になる。

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論文で読む島根の神楽の入門編

■藤村和宏「地域伝統芸能の継承と変容が市場創造に及ぼす影響に関する考察―― 島根県の3地域における神楽をケースとして――」香川大学経済論叢(PDF形式)

島根県の神楽に関する入門編とでも呼べるような資料である。87ページあるが、一気に読んでしまった。元が経済の論文だけにさすがに演目の解説はない。しかし、本来は観光やマーケティングに関する論文であるが、これは島根大学や島根県立大学がやるべき仕事ではないかという気もする。

「観る神楽」と「観せる神楽」とに分類されている。「観せる神楽」はショー化したものが典型的で分かり易いが、「観る神楽」の方はピンとこない。神楽の本義のごとく、神が観る神楽ということだろうか。

石見神楽といえば「ショー化」であり即ち観光資源であるという観点で論述されている。また、蛇胴は石見神楽におけるイノベーションであると言える。

神楽の盛んな石見地方で、児童も幼いころから自然と神楽に親しんでいるけれど、実際に社中に所属する児童は全体の1%ほどとのこと。また、その中から天才的な才能を示す児童は三~四年に一人といった割合だそうである。

出雲神楽や隠岐神楽についても詳しく、出雲神楽では主に佐陀神能が取り上げられ、隠岐神楽では古代より貴人の流刑地だったため古式を残した形式の舞が残されていることが挙げられる。一部地域では笛の継承者が途絶えたため、現在では笛無しとなっているそうである。隠岐神楽ではプロの神楽師がいること、女性の担い手も多いこと、児童の割合が多いことなど。小学生の女の子が神楽を始める動機は綺麗な巫女装束を自分も着たいからだそうである。

観光、マーケティング的な観点でみると、裾野に当たる石見神楽で先ず神楽の世界に入り、より神事性の強い出雲神楽、隠岐神楽へと鑑賞行為のステップアップを図ることがモデルケースとして挙げられている。芸能自体、商業性と芸術性の間で常に揺れ動いているものだろう。

プロフィールを参照すると、出身地は不明だが、学習院大学→神戸大学大学院→広島大学→香川大学とキャリアを積んだ先生のようだ。仮に島根出身の人でないとすると、広島大学時代に石見神楽を見たとかそんなところが動機だろうか。

こちらは外国人の手になる石見神楽の概論である。要旨しか掲載されていないが、音楽と詞章双方に踏み込んだ総合的な研究がなされているようである。

通常、石見神楽は出雲流神楽に分類されるのだけど、
しかし,佐陀以外の出雲神楽や石見神楽の演目を構成や音楽の面から検討すると,佐陀神能の影響はほとんど認められなし」その意味でも,出雲系神楽という用語の概念、は,その是非が問われるべきである。
と従来の定説を覆すようななことが記述されたりもしている。

これまで神楽の研究者にとって、石見神楽といえば大元神楽や六調子のそれで、通俗化した石見神楽は研究の対象外だったかもしれない。それが、外国人の研究者によってようやく研究の俎上に挙げられることとなったというところだろうか。

■図書館
これらの論文を読んだ後は図書館で石塚尊俊の「西日本諸神楽の研究」を読むとよいかもしれない。僕自身、通読していないけれど、中国・四国・九州の諸神楽の概説が読める。まず全体像を掴むのによいだろう。そうしたら、次に岩田勝「神楽源流考」や牛尾三千夫「神楽と神がかり」三村泰臣「中国地方 民間神楽祭祀の研究」(※主に広島県の神楽について。中国地方の神楽は島根県と広島県の神楽を先ず押さえればよい)等を読んでいけば個別の論点に触れることができる。

「神楽と風流」という雑誌「山陰民俗」に寄稿された神楽の論文をまとめた本がある。これも主な研究者の論文が載っているのでよいだろう。

なお、「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」に中国地方の主な神楽の口上台本が収録されている。石見神楽の「校定石見神楽台本」は浜田市観光協会で通販可能。JR浜田駅の土産物屋で「神楽の台本ください」というと出してくれる。
<追記>
藤村論文を再読する。石見神楽に関して「ショー化」といった言葉が頻繁に登場する。文脈から読むに悪意はなさそうである。「石見神楽はショーである」は安易に使って欲しくない気もする。

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2017年7月25日 (火)

日本標準「神奈川の伝説」を読む

日本標準「神奈川の伝説」を読む。横浜市立図書館で借りてきたもの。島根県以外のシリーズを読むのは初めて。自分の住んでいる身の回りの伝説だけど、兵庫県にいたときに地元のを読んでおけばよかったと思う。

神奈川県ということもあって鎌倉武士に関する伝説が多い。「曾我兄弟」が収録されている。他、「坂田金時」や『名馬「生唼(いけずき)」と「磨墨(するすみ)」という名馬池月に関する伝説も収録されている。全国に分布していると思しき伝説では「白米城」がある。

大蛇の伝説も多い。「池子の大蛇」という逗子市の伝説では七つの頭を持つ大蛇を六人の郷士が退治する話があるが、酒樽に入れた酒を大蛇に飲ませ酔わせて退治するという、八岐大蛇神話と類似する伝説であった。ただ、神話と違うのは、大蛇を退治した六人の郷士たちは退治された大蛇の祟りで亡くなってしまうのである。

田舎である島根と違って、神奈川県は東京のベッドタウンとして発展したこともあって、伝説の舞台が開発で失われたケースも多いようだ。

神奈川県に住んで長いのだけど、点と線でしか移動しておらず、横浜と川崎の一部しか知らない。お寺にまつわる伝説が多いので、お寺を探して歩けば、伝説の舞台に足を運ぶこともできるかもしれない。

日本標準の各県の伝説シリーズの美点は挿絵や写真が多いことで、実際に伝説がその場で語り継がれていることを実感させ良い作品群だと思うけど、再販されていないのが残念。

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2017年7月24日 (月)

普通の人の神楽体験数十年分くらいに匹敵するか

偶然、石見神楽について詳しいブログに辿り着く。ブログ主さんは女性で、読んでいて途中で女性であることに気づいて驚く。山口県長門市の人らしいが、島根県内の社中に属して六調子の神楽を学んでいるらしい。わずか三年でこれだけの内容をものするとは普通の人の数十年分を一気に体験したことになる。

自分なんか生で神楽を見た体験は建て替え前の市民ホールでの神楽大会と、生湯の八幡さんだと思うが、夜神楽を一回か二回、その程度である。当然良しあしなんて分かるはずもない。

実際に神楽をやっている人の書く記事なので神楽の演出論など具体的で詳しい。同じ演目でも各社中毎の違いについても触れられている。なお、石見人にとっては耳の痛い苦言も含まれている。

僕自身は浜田の三宮神社まで歩いていけるので、いずれそこでの鑑賞がメインとなると思うが、自動車で移動・鑑賞するとなると、駐車場の確保が大変そうだ。夜だと道も分からないし。そもそも行ったことのない神社を探すこと自体が難しい。

ブログに掲示した写真はソニーRX100で撮っているらしいが、綺麗に撮れている。やはり明るいレンズの方が暗い場面では強いのだろうか。ちなみに神楽撮影はノーフラッシュでがマナーらしい。シャッター音もOFFにできるならOFFで。

僕自身、神楽を直に学べたらと思わないでもないが、楽器も演奏できないし、何よりパフォーマンスの類には全く不向きな男であるので、実現困難である。

高校生のとき、柔道の授業で型の練習をビデオで撮影したのであるが、僕のそれは関節の油の切れたロボットの様であり、人様にお見せできるものではなかった。今でも保存されているかもしれないが、消したいくらいである。

ふと思う。うちの父は笛を吹いていて、笛も自作したりする人だったのだけど、神楽の社中とは縁が無かった。そもそも国鉄の機関士だったので休日が不定期ということもあったのかもしれない。

ブログの方は具体的なアドレスは書かないでおいた方がいいだろうか。記事中のキーワードで検索すればヒットすると思う。

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2017年7月22日 (土)

伝統芸能と郷土芸能の違い?

Facebookをみると(なぜかアカウント持っている)、浜田商業の郷土芸能部が文系クラブの全国大会に出場とあった。数年前に全国優勝を果たしているので、今回も好結果を期待されているだろう。ところで、伝統芸能ではなく郷土芸能とある。この違いは何なのだろう。こと神楽に関しては進取の気風の溢れる地域だし、必ずしも伝統にこだわらないというニュアンスだろうか。

<追記>
橋本裕之「民俗芸能研究という神話」を読んで違いが分かる、芸能というのは芸術まで昇華されていない段階の技芸を指し、伝統芸能というと歌舞伎や能楽など芸術となったものも含まれるため、郷土芸能として区別しているようだ。郷土にはローカル色が込められている。

ちなみに類似する「民俗芸能」という概念の定義は以下のとおりである。
一民族の範囲内において、各地域社会の住民が、みずからの手で伝承してきた演劇・舞踊・音楽、およびそれに類する行動の伝承っを、広く「民俗芸能」と総称したい。(中略)「民俗」とは、一般の人々が、慣習として繰り返し伝承していることばや行為、または観念のことである。したがって民俗芸能は、各地域社会において、だれそれの創作といったものではなく、その社会における前代から受け継いだ習慣として、住民一般が毎年繰り返し行なっている芸能の類を意味することになろう。
橋本裕之「民俗芸能研究という神話」21P
日本人が、昔からそれぞれの生活の中で伝承してきた芸能で、まだ芸術と呼ぶにふさわしくない状態にあるもの。
橋本裕之「民俗芸能研究という神話」22P
ところで、このあたりの事情については、三隅治雄がある程度素描しており参考になる。三隅の指摘によれば、郷土を冠した先行の術語に替えて「民俗芸能」を使用するようになった背景には、昭和二十年から三十年代にかけて、「郷土……」の語感が中央対地方の図式を連想させ、ことさらにローカリティを強調しているがごとき印象を拭えなかったことに対する抵抗が存在していた。つまり、

従来とかくローカルカラーという点においてのみ価値を問われがちだった土地土地の芸能に、日本人全体の芸能の歴史にかかわる民俗資料としての意義を認めて、それをより鮮明に名称の上にあらわしたい気持ちがあり、そのことからなるべくは「郷土芸能」の名を避けて、民俗資料としての内容と意義をそなえた芸能に「民俗芸能」の名をたてまつったという事情も、わたしなどにはあったのである。
橋本裕之「民俗芸能研究という神話」26P
民俗芸能、郷土芸能という言葉も、終戦後用いられるに至ったもので、これは民俗行事の中に行なわれる芸能、都会の芸能に対して、郷土に古風を守って伝承されているものの意にほかならなかった。
橋本裕之「民俗芸能研究という神話」27P
<追記>
伝統芸能の中でもプロが演じているのとノンプロが演じているものの差もあるか。ただ、宮崎県にはプロの神楽師がいるらしく、専業の人がいたとしても神楽は芸術と呼ぶまでには至っていないだろう。広島の中川戸神楽団のように舞台芸術を標榜する団もあるにはあるが。

<追記>
郷土芸能部が呼称なのは全国高等学校総合文化祭(総文)で郷土芸能部門が置かれているかららしい。Wikipediaで郷土芸能のリンクをクリックすると日本伝統芸能のページへ飛ばされる。それにしてもやはり何故「伝統」の文字が外されて「郷土」が入るのか分かったような分からないような感じではあるが。

<追記>
細かなところでは共演大会と競演大会の違いもある。共演大会は複数の社中が「共に」演じるのだが、競演大会では、複数の社中が「競う」のである。神楽は本来は神様が楽しむものなので、そこに競争原理が働くのはどうなのだろう。競演の場合、競うという性格上、演技の質の向上が見込めるというメリットもあるが、一方で技術に優れた団員しか出場できなくなってしまい、間口が狭くなってしまうのではないかという問題点も指摘されている。

専業ではない大人の社中だと週一回の練習が限界だろうけど(週三回練習している社中もあるとのことである)、高校生の場合は日曜日を休むとしても、月曜日から土曜日まで週6日近く練習時間がとれる。上手くなるのもむべなるかな。

<追記>
民俗芸能とは要するに民俗学的手法で研究するに値いする芸能を指すと極論すればそうできる。

<追記>
久保田裕道「神楽の芸能民俗的研究」にも関連する記述があった。

郡司正勝の挙げる郷土芸能の属性
・その地方特有のニュアンスをもってそこに伝えられてきた芸能
・誰が始めたのか不明
・アマチュアによる
・主体は村落の共同体
・年中行事的に実施

本田安次のもの
・時期が定められている
・場所が定められている
・鑑賞者が存在している
・身体による芸術的表現である
・郷土色をもつ
・信仰との結びつきがある
・伝統的である
・集落・町村などと関わる

池田弥三郎の民俗芸能の定義
・民俗芸能とは民間に存続する芸能・芸能的事象を民俗として捉え、民俗学の対象として見る時の名称(芸能伝承)
・季節、舞台、俳優、観客、台本、目的に制約を有する

三隅治雄の民俗芸能の定義
・芸術意識を伴わず、民俗として伝承されたもの
・没個性的で集団性の強いもの
・祈願、能率確認などの共同目的のもとに行われる
・現在において民間伝承の境遇と性格を保持しているもの
・その土地に伝わる知識や習慣を優先させる制約を有する

西角井正大の挙げる属性
・信仰的な精神生活の文化的な表出(心意伝承)
・生活の古典としての善なるしきたり(周期伝承)
・受け継ぐべき生活経験(行動伝承)

※民俗芸能とは、没個性的な芸能であり技芸の巧拙は本来問題外だとしている。

山路興造
・職業芸能者による舞台芸能以外の伝承芸能
・演じられるのはハレの日のハレの場(娯楽的要素のみではなく保守的生活感情の支配する特殊な時空)
・演者と観客との区別の希薄さ、交換性のある一体感
・現在という時点での限定

高取正男
・民俗芸能を都市に対する郷土の中で古風を守って伝承されてきた芸能
・郷土とは近代国家の母体でもあり伝統的生活文化の支柱であったもの

後藤淑
・一口に民俗芸能というものの、本来民衆芸能と民俗芸能とがあり、民俗芸能は支配者階級の中で発生・伝承された芸能をも含む

久保田裕道のまとめ
・人、時、場所といった様々な制約条件を有すること
・伝承者とその民俗社会および享受者との間に共通理解があること
・上記要素を満たした身体表現もしくは道具を使用した操作表現であること

とある。筆写してみるに、どれも妥当な内容であり優劣をつけ難い。

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