山積み――話題の新刊らしい
神田神保町の三省堂書店では中公新書の「応仁の乱」が売れているようで、山と積まれていた。 積読になるのもアレなので今日は買わなかったけれど、読んでみたい一冊である。 <追記> 同一内容をTwitterでつぶやく。Twitterアナリティクスを見たところ、900インプレッションくらい稼いでいた。リツイートは1件。僕のフォロワーは20人ほどなので、予想外に多い反応である。
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神田神保町の三省堂書店では中公新書の「応仁の乱」が売れているようで、山と積まれていた。 積読になるのもアレなので今日は買わなかったけれど、読んでみたい一冊である。 <追記> 同一内容をTwitterでつぶやく。Twitterアナリティクスを見たところ、900インプレッションくらい稼いでいた。リツイートは1件。僕のフォロワーは20人ほどなので、予想外に多い反応である。
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「黒髪お京肉付鐘の緒伝説」が残る阿波の関所【19番札所「立江寺(たつえじ)」】
http://pilgrim-shikoku.net/tatsueji-19
という記事が目に留まる。阿波の国の伝説なのだけど、江戸時代、夫を殺した女が男と讃岐丸亀に逃れて心中しようとするも果たせず、遍路の旅に出る。享保3年(1718年)に阿波の国の立江寺にお参りし、本尊の地蔵尊を拝もうとすると、女の髪が逆立ち鐘の尾に巻き付いてしまった。あまりの苦痛に住職に救いを求めたところ、二人の行いを問いただされ、懺悔した。すると、女の黒髪は肉とともに剥がれ、命だけは助かった。その後、二人は改心して出家した……という内容。
江戸時代のお寺の話なので、ある程度、事実に即しているかもしれない。
以前、読んだことがあったのだけど、スクラップ帳に埋もれてしまっていた。忘れない内に投稿しておこう。
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ホームページの構成を微妙に見直す。SEO(検索エンジン最適化:サーチエンジン・オプティマイゼーション)という手法があって、自分のWEB記事を検索サイトでより上位に表示させるための方法論。
要するに、強調したい点をクローラー(検索ロボット)に向けて強調し、サイトのコンテンツ(ここでは文章)の構造(大見出し、中見出し、小見出し……)をクローラーに把握し易いものにするという手法である。
<title>タグに強調したいキーワードを盛り込むのが手始めなのだけど、「島根県」の記述が漏れていて「石見地方の伝説」「石見地方の昔話」となっていた。これでは「島根 伝説」「島根 昔話」では検索でヒットしづらいので「島根県」の記述を入れる。ホームページを運営して今年で9年目だけど、今まで気づかなかった。
修正した結果、上位3ページ目くらいに表示されるようになった。同じ記事をブログとホームページで公開しているのだけど、ブログ:正、ホームページ:従としているので(canonical属性で紐づけ)、ホームページ自体が従の記事を集めたものとなっていて、ミラーサイトとでも言うのか、検索する上での重みが低いようだ。
その他、<h2>タグで記述していた大見出しを<h1>タグに修正。また小見出しを<p>タグから<h2>タグに修正。これで記事の文章構造ははっきりしたと思う。
写真ブログの狛犬記事にもタイトルに「島根県」の記述を入れる。島根以外の人にもどの県の市区町村か分かり易いし、「島根 狛犬」でも検索でヒットするようになった。
「島根 伝説」で検索すると、都市伝説のページもヒットする。なので、ランキングは混沌としている感じ。通常、上位2ページくらいまでしか読まれないとされているけれど、そうでもないかもしれない。「島根 伝説 -都市伝説」で検索するとすっきりするが、わざわざマイナス検索する人は少ないか。
「島根 神話」だと、これはさすがに出雲神話を期待している人がほとんどだと思うので、諦める。
普通にホームページを運営している範囲でできるのは<title>タグ、<meta>タグ、<h>タグ、パンくずリスト、<img>タグのalt属性の記述、サイトの構造を体系だったものにする、くらいか。
結局はコンテンツの中身次第なのだけど、島根ネタ中心なので、アクセス自体はこれ以上伸びないだろう。
<追記>
ブログにも手を入れる。画像のalt属性、title属性に画像の説明を記述する。また、小見出しを<h4>タグに修正する。結構な作業量だった。効果はでるか。
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Wikipediaに島根の伝説関連の項目のページを幾つか作る。神社のご由緒書を元にして書いているのだけど、著作権的に大丈夫だろうか? 乙子狭姫のページも書いたのだけど、粗筋をこのブログから持ってきたら著作権侵害で削除されかけた。慌てて釈明して事なきを得る。
元はといえば、僕のブログやホームページは僕の生死次第でいずれは消えてしまうから、より永続性の強いWikipediaに記事を書いておこうという考え。WEB辞典なので独自の考えは盛り込めないが、参考文献で地元の郷土史家たちが開拓した跡を追えるようにしている。
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折居田のお腰掛岩
むかし物部神社の御祭神宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)が白い鶴に乗ってこの川合に天降られました。そのところを鶴降山(つるぶやま)といいます。鶴降山から国見をなされたところ、八百山(やおやま)(神社の後山)が大和国の天の香具山(あまのかぐやま)によく似ているので、八百山の麓にお住まいなさることになりました。このとき鶴降山から白い鶴に乗って降りられたところを折居田(おりいでん)といいます。
折居田には御祭神が腰を掛けたという大きな岩があり、また、むかしから大きくもならず枯れもしないといい伝えのある一本の桜の樹がありました。
ここから東へ六百メートルくらいのところにあって、石碑が建ててあります。
近くには清らかな泉もあり。十種神宝(とくさのかんだから)を祀る石上布瑠神社(いそのかみふるじんじゃ)もあります。
昭和五十六年の秋、道路の拡張工事のためお腰掛岩(こしかけいわ)と桜の樹を境内に移して伝説とともに永久に保存することになりました。
御祭神が白い鶴に乗って天降りなされたという伝説によって、物部神社の御神紋は「日負鶴(ひおいづる)」となっています。
この神社も、いまでこそ、神社という名がついているが、上古はただの宗教施設として建てられたものではなく、出雲への監視のために設けられた軍事施設であった。その時代は、前記の天穂日命などのころよりもずっとくだり崇神朝か、もしくはそれ以後であったか。とにかく、出雲監視のために物部氏の軍勢が大和から派遣され、ここに駐屯した。神社の社伝では、封印された出雲大社の兵器庫のカギをここであずかっていたという。出雲からそのカギをぬすみに来た者があり、物議をかもしたこともあったという。(27-28P)
出雲市の出雲弥生の森公園の西谷墳墓群、要するに出雲商業の裏山なのだが、ここにある四隅突出型墳丘墓の中で最小の西谷1号墓の写真を見て欲しい。これは解説図によると紀元2世紀後半頃のものと推定されている。非常に小さい。
これは現存するものなのでこれが最古のものだとは断定できないが、この時点ではまだ小さいのである。古代のクニは集落を柵で囲ったものをそう呼んでいたそうだが、そのレベルの首長のものだろう。
四隅突出型墳丘墓はこの後急速に大型化していくと見られるが、ここに葬られた人たちは出雲平野を統べる出雲王の系譜だろう。つまり、出雲地方が統一されていくのは紀元後、2世紀から3世紀にかけてと考えていいだろう。だから徐福とは300年以上時間が合わないことになる。紀元前3世紀に出雲地方を統一した王と副王がいたとはとても考えられない。
……という訳でよくよく考えると時代が合わないねという話になるのである。
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三浦佑之「古事記講義」(文藝春秋, 2007)を読み終える。「口語訳 古事記」とセットになった本と考えればよいか。文庫版は2007年刊行なので10年近く積読になっていたことになる。 専門の学者さんが一般向けに書いた本なので、素人の自分でも読めた。古事記だと天照大神と須佐之男命の間で行われた誓約(ウケイ)で生まれた三柱の女神と五柱の男神を取り換える話はその意図するところが判然としないのだけど、日本書紀と比較することで、古事記の持つ意味合いが分かり易いものになっていた。 第四章では「出雲神話と出雲世界」と題した講義で、出雲神話についてページを割いて詳述している。日本書紀には出雲神話はあまり語られていない(国譲り神話などは語られていない)のだけど、日本書紀、出雲国風土記と比較しつつ、出雲神話の持つ役割について詳述されていた。 律令制国家の成り立ちを語る歴史としては出雲神話の神統譜は不要だったが、古事記では国史的な枠組みに収まりきらない神話も取り込まれているのが特徴だろうか。日本書紀よりも文学性が強い。 紙数の関係か、関心が薄いのか分からないが、残念ながら神武東征神話については触れられていない。物部氏が服属するまでの物語と考えればよいのだろうか、単なる神話とするには記述が具体的で何がしかの真実が込められていると思うのだけど。 著者の三浦佑之氏は千葉大学教授を経て立正大学に籍を移された。今年定年退官とのこと。
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家族によると、「口語訳古事記」「古事記講義」の三浦佑之・立正大学教授が定年退官で記念講演を行ったとのこと。娘で「舟を編む」の三浦しをんさんとの対談だったようだ。あいにく直ぐに予約で一杯になってしまったとのこと。
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横浜市立中央図書館に行く。五郎王子関連の書籍を物色。原文+解説で100ページを超えるボリュームの本(「伝承文学資料集成 第16輯 中国地方神楽祭文集」)があってコピーしたのだけど、これを読むだけでかなり時間がかかりそうである。原文は漢文で、江戸時代の活字化されたものなら自分の実力でも読めなくはないなと思っていたのだけど、当てが外れる。 一冊貸出中の本があって(「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」)、それは想定外だったが、概ね満足する結果だった。 <追記> 「伝承文学資料集成 第16輯 中国地方神楽祭文集」に収録された土公祭文、漢文だけではなくて口述筆記されたものも収録されているが、なんとか読めなくはないものの、意味がとれない。大学の先生たちはこれを平易な現代語に訳してしまうのだから、実力が違い過ぎる。
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