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2017年1月22日 (日)

スサノオの家来――大山祇命

◆はじめに

 「三隅地方の神話と伝説」に「大男大山祇命の話」という伝説が収録されている。

 それによると、三隅にやって来た大山祇(おおやまつみ)命は富士山のように背が高く、彌畝山(やうねやま)をひとまたぎした。一足ごとに地震のような地響きがしたので住民たちは驚いてしまった。
 しかし、大山祇命は案外心の優しい男で、ざわめいている人達に気づくと「これはすまんのう」と言った。そして岡見の大山に腰をおろすと自らを須佐之男命の家来であると名乗り、須佐之男命の命でこの地を治めに来たと言った。
 そこで足を振ると、足についていた泥がさっと飛んで海から凄い水煙が経った。それが収まると島ができた。高島、鹿島、大島である。さらに沢山の小さな島ができたので、楽に魚や貝が取れるようになった。
 大山祇命は今度は放屁した。すると、屁は地中に大穴を開けて地の底にぶちあたると向きを変えて地上に吹き上げた。これが三瓶山である。
 屁の次は糞をした。夜の来るのを待って、漁山と芦谷山に両足をふんばって夜通し糞を垂れた。この糞が積もり積もって井野の大糞山(野山嶽)となった。それで肥料をやらずとも作物がよくできた。

島根県益田市沖の高島
高島
島根県浜田市沖の鹿島
鹿島
浜田市三隅町須津の大島
大島

◆大山祇命

 大山祇命はイザナギ命とイザナミ命との間に生まれた神である。日本書紀ではイザナギ命がカグツチの神を斬った際に生じている。
 八岐大蛇神話に登場する足名椎命(アシナヅチ)と手名椎命(テナヅチ)が大山祇命の子である。
 また、ニニギ命の妻となるコノハナサクヤヒメが大山祇命の子である。大山祇命はコノハナサクヤヒメと磐長姫(イワナガヒメ)の両者を差し出したが、イワナガヒメは見目麗しくないのでニニギ命はイワナガヒメを帰してしまった。それで岩のごとき永遠の命が花と散るように失われてしまった。

 石見独自の神話として、狭姫伝説では大山祇命は巨人の足長土とオカミ神の父である。

◆大糞山

 「三隅地方の神話と伝説」では大山祇命を須佐之男命の家来としているところが特徴だろうか。井野の野山嶽(大糞山)でよく作物が取れるという説話でもある。これは玄武岩が風化した土壌が天然の肥料となることからくるとのこと。

浜田市三隅町井野の野山岳
野山岳
野山岳・遠景

野山岳の玄武岩類
という島大のサイトがあるが、それの図解をみると、野山嶽は地球の吹き出物のように見える。

◆氏族移住

 「三隅地方の神話と伝説」では、
 ところで、おおむかしのことをいろいろ調べてみると、そのころの出雲の国の勢力は出雲の国だけに限られていたのではなく、広い地域にわたっていました。石見地方がスサノオノミコトの勢力下に入れられたことは当然ですが、矢張り最初は出雲族がなにびとかの指揮で、この地方に攻めて来たに相違ありません。その指揮者が大山祇命だったのではありますまいか。(12P)
 としている。この氏族移住による開拓観も「三隅地方の神話と伝説」に見られる特徴である。

◆小人の伝説

 「日本伝説大系 第11巻 山陰(鳥取・島根)」「出雲・石見の伝説 日本の伝説48」には巨人の伝説だけでなく、小人の伝説も収録されている。

 小人が井野村の西北から来て落合を通り、大神城、十文、大井谷、栃下などを通っていき、そこに杖や足跡が残っているとされる。

◆参考文献

・「出雲・石見の伝説 日本の伝説48」(酒井董美, 萩坂昇, 角川書店, 1980)pp.100-101
・「<原本現代訳>日本書紀(上)」(山田宗睦訳, ニュートンプレス, 1992)
・「口語訳 古事記 完全版」(三浦佑之, 文芸春秋, 2002)
・「随筆 石見物語(復刻版)」(木村晩翠, 白想社, 1993)pp.230-231
・「日本伝説大系 第11巻 山陰(鳥取・島根)」(野村純一他, みずうみ書房, 1984)
・「三隅地方の神話と伝説」(寺井実郎/編, 三隅時報社, 1960)pp.9-12

記事を転載 →「広小路

 

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