浜田連隊と安来のキツネ
◆はじめに
「島根県の民話」(偕成社)に「日露戦争にいったキツネ」という現代民話が収録されている。安来のお話であるが、これは旧陸軍浜田連隊のお話でもある。
◆あらすじ
安来の城山には源太郎ギツネが住んでいる言われていた。相当の年を経た古ギツネで化けるのが上手く、近くのキツネたちの大将だったという。いたずらもしたが、金に困っている人がいると助けたりして「源さん」と親しまれていた。
さて、明治も終わりに近い頃のことである。日露戦争(1905~1906年)では浜田二十一連隊の兵士たちも満州に出征した。物量ともに勝るロシア軍を相手に日本軍は苦しい戦いを強いられていた。
ある日、浜田連隊がロシア軍に取り囲まれてしまった。多勢に無勢。全滅は時間の問題と思われた。死を覚悟した部隊の兵士たちだったが、夕闇が降りてきた。ロシア軍の陣地は夕食なのかひっそりとしている。
そのとき、突然日本軍の後方から勇ましい突撃ラッパが鳴り響いた。驚いた浜田連隊の兵士が振り返ると、馬に乗った部隊を先頭に数知れぬ日本軍がロシア軍めがけて突撃していった。浜田連隊の兵士たちも部隊長の号令で突撃していった。
ロシア軍を追い払い小高い丘まで来た頃には夜が白々と明けはじめていた。
部隊の兵士を集めると、命を落とした者はおらず、傷ついた者さえいなかった。連隊長はお礼に行くことにしたが、昨夜の部隊は忽然と姿を消していた。後方にいる本部に問い合わせても、昨夜はそのような部隊は出していないとのことだった。夢でも見たのかと不思議がったが、訳は分からず仕舞いだった。
安来に戻った者がその話をすると、去年の夏、源さんギツネが城山から姿を消した。おそらく家来たちを引き連れて満州へ渡ったのではないかとのことだった。それで、その兵士は源さんギツネが住むという城山の洞穴に行って沢山のお供え物をしたということだ。 今では源太郎ギツネが出たという話も滅多に聞かれなくなったが、安来の人たちは源さんギツネはどこかで生きていると噂し合っているとのことである。
明治時代の話なので現代民話に分類されるようだ。明治になってもキツネに化かされる話ではある。この様に説明のつかないことをキツネの仕業とする考えは明治時代でも残されていたようだ。
◆浜田連隊
浜田二十一連隊は現在の浜田市立第一中学校と島根県立浜田高等学校の敷地等に駐屯していた。当時を偲ぶ石碑が建てられており、浜田連隊の事績も確認することができる。
◆旧陸軍練兵場
浜田市立第一中学校には旧体育館と呼ばれる赤レンガの建物があり、元は陸軍の練兵場であるとのこと。現在は卓球部と体操部が練習場として使っている。
◆長沢公園
浜田市長沢町には長沢公園といって主に日清・日露戦争で亡くなった兵士たちの墓がある。周辺の人たちは陸軍墓地と呼んでいる。墓には名前と出生地が刻まれていて、どこの人だったのか分かる。島根だけでなく広島の人もいたようだ。
◆余談
浜田市立一中と浜田高校は母校である。長沢公園は幼い頃に遊んだ遊び場であるある。安来とは縁がないが、意外と身近な話に感じられる。
◆参考文献
・「島根県の民話」(日本児童文学者協会/編, 偕成社, 1981)pp.197-201
・「浜田市誌 上巻」(浜田市誌編纂委員会/編, 1973)pp.345-349
記事を転載 →「広小路」
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