(番外編)早渕川の民俗:横浜市
早渕川は鶴見川水系の河川。港北ニュータウンはロードサイド型郊外店のモデル地区だったように、いわゆるファスト風土化した土地柄だが、早渕川流域のニュータウン造成以前からあった土地にはかつての都筑区を忍ばせる民俗が点々と残されている。
◆塞の神
写真の辺りでは早渕川が都筑区荏田東と中川町の境界となっている。その早渕川のほとりに塞の神の祠がある。
最初、存在に気づいた時、開けたこの辺りに峠のような境界になりそうなものが無いなと思い(塞の神=峠という先入観があった)、よくよく考えると川が境界だった。
◆水神様
上流に何百メートルか遡ると、今度は水神の祠がある。田の神様とのこと。
水神様
早渕川の神様を祀る小さなお堂が中崎橋の近くにあります。田植えの時期には大棚堰と呼ばれる堰が築かれ、用水路を通じて、水田に利用されていました。関東大震災で木製の堰が壊れ、コンクリート製の改修されましたが、現在は築造記念銘だけがお堂の脇にひっそりと残っています。
◆荏田宿・庚申塔
更に数百メートル遡ると、大山街道荏田宿があった辺りに出る。そこに庚申塔が建っている。
庚申(かのえさる)の日に講中の婦人たちが集まって厄払いを祈願、眠らずに一夜を過ごす風習があった、また、交通安全、幼童安穏の神としても知られていたとのこと。
◆矢羽根不動尊
早渕川のほとりではないが、荏田東の近くに矢羽根不動尊もある。早渕川流域にある「バクの案内板」によると、
矢羽根不動尊
戦国時代末期に矢羽根付近に住んでいた人によって建立されました。むかし、荏田城(田園都市線江田駅付近)から弓を射ったところ矢が2つに折れ、矢の先が落ちたところが「矢先」「矢崎」に、矢の羽が落ちたところが「矢羽根」という地名になったと伝えられています。
◆子育地蔵
横浜市営地下鉄センター南駅からセンター北駅方面へ数百メートル進んだ川辺に子育地蔵がある。
通称「堰のお地蔵さん」と呼ばれてきた。この辺りに早渕川から取水をする堰があったので堰の地名が付いたとのことである。
地蔵菩薩は、お釈迦様が没した後、弥勒仏が出世するまでの無仏世界において、この世に現れてすべての人間を救うことを仏に委ねられた菩薩である。お姿は僧形で左手に宝珠、右手に錫杖を持つ。
「子育地蔵」とも呼ばれ、二十四日は地蔵縁日として仏前に花や果物を供えて祀り、お宮参りや七五三のお参りの際に家族一同で参詣するなど、土地の人々の信仰を集めていた。
◆余談
早渕川は自然が豊かでカワセミもいるとのこと(一度ちらっと見ただけ)。春先にはカルガモの子育てが行われる。カルガモの雛は岩についた藻か何かを食べるらしく、水深の浅い上流域が格好の子育ての場であるようだ。
記事を転載 →「広小路」
| 固定リンク
「関東」カテゴリの記事
- 秩父は遠かった 20204.10(2024.10.13)
- 鷲宮神社の奉納神楽を鑑賞 2024.10(2024.10.10)
- 江の島に行く 2024.10(2024.10.02)
- 面芝居の資料(2024.10.03)
- 下北沢の本多劇場で演劇を鑑賞 2024.09(2024.09.12)
「歴史・地理・民俗」カテゴリの記事
- バ美肉のバーチャル人類学(2024.04.15)
- 社会学は役にたたない学問か(2024.01.19)
- アドレス見当たらず(2023.10.01)
- どんど焼きに行く 2023.01(2023.01.14)
- 民俗芸能は生活世界再構築の核となり得るか(2022.10.28)