大達茂雄とかわいそうな象
土家由岐雄「かわいそうなぞう」という有名な童話がある。太平洋戦争下の猛獣の殺処分を題材にしたものだけど、この殺処分の命令を出した初代東京都長官である大達茂雄は浜田出身の人である。
「かわいそうなぞう」の粗筋は、太平洋戦争時、米軍の空襲が危惧されるようになった。空襲時に猛獣が逃げ出さないよう殺処分が命令された。それに従って猛獣の処分が進められていったが、三匹の象は毒の入った餌を食べなかった。このため餌を与えず餓死させることにした。飢えた象たちは芸をして餌をねだったが与えられなかった。とうとう象たちは餓死してしまったという内容。
僕自身、小学校の授業で取り上げられた記憶があるが、そのときはまさか浜田出身の人が関わっているとは思いもしなかった。
Wikipedia戦時猛獣処分の項によると下記の通りである。
大達は、都長官着任前には日本軍占領地のシンガポールで軍政を担当していたため、戦況の悪化を熟知しており、疎開などの本土空襲対策に熱心であった[5]。猛獣処分を命じた大達の真意について、上野動物園長だった古賀忠道は、被害予防というよりも国民の危機意識を高めることにあったのではないかと推測しているが[6]、明確な史料が無く真相は不明である[7]。
飼育係の菅谷吉一郎は、気性の荒いジョンは処分は仕方ないと思っていたが、気性が穏やかで性格も優しかった「トンキー」と「ワンリー」(別名「花子」)は何とか救ってやりたいと、福田園長代理に懇願したという。後述のように福田も、トンキー達を救う為に他の動物園への譲渡を検討したが、大達の反対で潰える事となった。
大達茂雄 | 近代日本人の肖像 - 国立国会図書館
大正5年(1916)東京帝大法科大学卒。内務省に入り、医務課長、行政課長等を経て、昭和7年(1932)福井県知事。11年満洲国総務庁長に就任したが、関東軍と対立して辞任。北支方面軍付となり、内務次官、昭南特別市(シンガポール)長、初代東京都長官などを歴任。19年小磯内閣内相。戦後戦犯容疑者として巣鴨に収容、22年釈放。28年参議院議員に当選。29年第5次吉田内閣の文相として、反対運動の中、教育二法(「教育公務員特例法の一部を改正する法律」、「義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法」)の成立に全力をあげた。
大達茂雄の経歴を見ると、要職を歴任していて有能な官僚だったことが窺える。その経歴の中で特に注目されることが、戦後、文部大臣を務め、教育二法を成立させていることである。
Wikipediaによると教育二法の概略は以下の通りである。
政治色を帯びるデモ行進や集会に公立学校の教育関係職員が参加する事、また生徒学生に参加を呼びかける事を規制し、これに抵触した場合は懲戒処分する旨定めた規定である。
このことからして、当時の文部大臣たる大達茂雄は日教組の仇敵と呼んでもよい存在だったことは疑いようがない。評価の難しい人だが、この人が悪く言われるのは、そこら辺も大きく関係しているのではないか。
◆余談
学生時代、教職課程を履修した。教育史も履修したのだけど、参考書は日教組寄りの立場で書かれたもので、明治暗黒史観とでも言うようなものだった。実際、10年おきに戦争をしていたのだから苦しい時代だったことは疑いようがないが、明治暗黒史観では戦後の躍進が説明できない。
戦後教育史は文部省と日教組の暗闘史。戦後教育史を読むと、どうしてこんなことで争っているのかと首を傾げるような事例が結構ある。教員の政治的中立もそうだろう。それがそうでなかった時代もあるということである。
政治的な内容なので、アップロードするか否か考えた。が、負の歴史にも触れておくべきだろうか。
大達茂雄の痕跡は現在でも残っている。校訂石見神楽台本に「敬神」と文部大臣の肩書で書を残しているのだ。
| 固定リンク
「浜田市」カテゴリの記事
- 「べらぼう」に松平康福が登場(2025.01.21)
- 利用者登録を行う(2024.12.20)
- キヌヤ長澤店が新装オープン 2024.12(2024.12.13)
- 新店舗オープンまでどうするか(2024.12.01)
- 転入届を出す(2024.11.18)