◆死体化生神話
五穀種元(ごこくたねもと)は石見神楽の演目の一つである。杵ともいう。「校定石見神楽台本」によると六調子に分類される。
葦原の中つ国に保食(うけもち)の神がいると聞いた天照大神が須佐之男命に命じて様子を見させた。命を受けた須佐之男命は早速保食神のところに赴いた。保食神は種々(くさぐさ)のものを取り出して須佐之男命をもてなしたが、その様子を覗いて見ていた須佐之男命は怒り、保食神を打ち殺してしまう。
天照大神は天熊人(あめのくまうし)に命じて様子を見させに行った。すると、保食神は死んでいたが、体から様々の穀物の種や桑の木、蚕、牛馬が生じ、それを天照大神に捧げた。天照大神は喜び、「これらの物は現し世(うつしよ)の青民草が朝夕に食べて生きていくものである」と述べて、粟、稗、麦、豆を畑の種子、稲を水田のものと定めた。
また、天の村君をして天の狭田(さた)、長田(ながた)に植え広めさせよと詔勅を出した。詔勅を受けた天熊人がそれを天の村君に伝えるべくやってきた。
応じた村君は荒野を開き水田をつくり、収穫した稲で新嘗祭を行うべく神禰宜を呼び、杵を取り、餅をつく……という内容。
殺された女神の死体から穀物が生じるとした死体化生神話を基とした演目であるが、基となった日本書紀と古事記でそれぞれ内容が一部異なる。
日本書紀だと、
葦原の中つ国に保食神がいると聞いた天照大神が月読尊にその許に行くよう命じる。天照大神の命をうけて地上に降りた月読尊は保食神に会った。保食神は頭を回して陸に向かうと口から飯が、海に向かうと魚が口から出てきた。山に向かうと獣の肉が出てきた。保食神はこれらの品々を料理して盛大に月読尊をもてなした。ところが月読尊は「きたない」と言って怒り、保食神を斬り殺してしまった。
帰って事情を報告すると、天照大神は怒り、「もうお前とは会わない」と言った。それで太陽と月は昼夜を隔てて住んでいる。
その後、天照大神は様子を見に天熊人(あめのくまひと)を遣わした。すると保食神の体から牛馬、蚕が生じ、粟、稗、稲、麦、豆が生えていた。天熊人はこれらを採取し、高天原に献上した。天照大神はたいそう喜び、「これらのものを人は食べて生きて行け」と言った。また、粟、稗、麦、豆を畑の種子とし、稲を水田の種子とした。
そして天邑君(あめのむらきみ)を定め、天狭田(あまのさだ)と長田に稲を植えた。また保食神から生じた蚕が養蚕の始まりともなった。
古事記では、
悪事を働いて高天原を追放された須佐之男命は、道中食べ物を大宜都比売(おおげつひめ)に求めた。大宜都比売は鼻や口、尻から様々な食べ物を取り出して、それを調理して須佐之男命をもてなした。ところが、その様を覗いていた須佐之男命は「わざと穢している」と怒って大宜都比売を斬り殺してしまった。
すると、殺された大宜都比売の体に次々にものが生まれてきた。頭には蚕、目には稲が、耳には粟が、鼻には小豆が、陰(ほと)には麦が、尻には大豆が生じた。
その様を見ていた神産巣日(かみむすび)の神で、生じたこれらを取らせて、諸々の実のなる種と成して、須佐之男命に授けられた。
……となっている。これは殺された女神の死体から穀物が生じるとした型の神話で死体化生神話とされている。また、日本書紀では日月離反の説話ともなっている。なお、月読尊は保食神を斬り殺したことで天照大神の怒りを買うが、須佐之男命の場合、既に高天原を追放されていることもあってか、特に咎められていないようである。
保食神の存在が語られるように、五穀種元は日本書紀の神話を元としているように見受けられるが、なぜ保食神を斬り殺したのが月読尊ではなく須佐之男命なのか、「校定石見神楽台本」では注で「スサノオノ命をつかはされたとするのは、何によるのか判然としない。書紀一書には月夜見尊をつかはされたとある。」(137P)としている。
◆大元神楽
牛尾三千夫「神楽と神がかり」に大元神楽の資料が掲載されている。その中に「伎禰」という演目があり、大宮之女と老人が四季の花について問答し、餅をついて大神に奉るという筋立てである。「伎禰」は「杵」だから、「五穀種元」と同系統の神楽であると思われるが、詞章の内容は異なっている。
YouTubeで石見神楽宇野保存会の「五穀種元」を見る。まず天熊大人の舞があって、それから村君が入る。天熊大人が退場して人民が入ってくる。ここからトークになる。銀天街(浜田市の商店街)やジュンテンドー(ホームセンター)といった言葉が聞こえる。それから神禰宜(爺)と婆さんが入ってきて餅を搗く。途中、爺が間違って婆さんを杵で搗く。餅ができあがる。村君の中の人が独身だと明かす。それから餅撒きに入っておしまい。一時間以上に及ぶ長丁場だった。
◆古事記
古事記で該当する部分を訳してみた。
ここに八百万の神は共に協議して、速須佐之男命にたくさんの祓えの物を科して、また鬚(ひげ)と手足の爪とを切り、祓えさせて(罪を取り除かせて)(神やらいに)追放した。
また、(須佐之男命は)食物を大気都比売神(おほげつひめのかみ)に乞うた。そうして大気都比売は鼻・口と尻から種々の美味な食べ物を取り出して様々に料理しお供え差し上げるときに、速須佐之男命はその仕業を伺って、汚して進上したと思って、ただちにその大宜津比売神(おほげつひめのかみ)を殺した。そこで殺された神の身に生えたものは、頭に蚕が生じ、二つの目に稲穂が生え、二つの耳に粟が生え、鼻に小豆が生った。女陰に麦が生え、尻に大豆が生えた。そこで神産巣日御祖命(かむむすびのみおやのみこと)はこの生えた種を取らさせた。
◆日本書紀
日本書紀の「一書に曰く」として月読命の異伝が掲載されている。それに保食神の神話が語られている。
さるほどに天照大神は天上にいらして曰く「葦原の中つ国に保食神(うけもちのかみ)がいると聞く。お前、月夜見尊は行ってみよ」とおっしゃった。月夜見尊は勅命を受けて天下り、まぎれもなく保食神の許に到った。保食神は頭を回して陸地に向かうと口から飯が出て、また海に向かうと大きなヒレの魚と小さなヒレの魚が出て来て、また山に向かうと毛のごわごわした獣と毛の柔らかい鳥が口から出てきた。その種々の物を悉く供えて多くの物を載せる台に積んで饗応した。この時月夜見尊は怒って色をなして曰く「汚らわしいことだ。卑しいことだ。どうして口から吐いた物で敢えて自分を養うことができようか」とおっしゃり、たちまち剣を抜いて討ち殺してしまった。そうして後、復命(命令されてしたことの結果を報告)してつぶさにその事を申した。ときに天照大神は怒ること甚だしくて曰く「お前は悪い神だ。相まみえることはあるまい」とおっしゃり、ただちに月夜見尊と一日一夜隔ててお住まいになった。この後、天照大神はまた天熊人(あまのくまひと)を遣わして、行って看護させた。この時、保食神はまこと既に死んでいた。ただし、その神の頭頂から牛と馬が成り、額の上に粟が生り、眉の上に蚕の繭が生った。眼の中に稗が生え、腹の中に稲が生え、女陰に麦と大豆、小豆と生えていた。天熊人は悉く持って去り(天照大神に)奉った。時に天照大神は喜んで曰く「この物はこの世に生きる青民草の食べて生きていくものだ」とおっしゃり、ただちに粟・稗・麦・豆を以て畑のものの種として稲を以て水田の種とした。またこれによって天邑君(あまのむらきみ:村の首長)を定めた。そこでその稲の種を以て、始めて天狭田(あまのさだ)と長田とに植えた。その秋の垂穂は拳八つ分くらい数多く実って甚だ快かった。また口の裏に繭を含んで、ただちに糸を抽出することができた。これから養蚕の道が始まった。保食神はここでは宇気母知能加微(ウケモチノカミ)と云う。顕見蒼生はここでは宇都志枳阿烏比等久佐(ウツシキアヲヒトクサ)と云う。
◆余談
五穀種元は観たことのない演目で、いつか見てみたい。しかし、六調子に分類される神楽で、演目を保持している社中はどれくらいあるのだろうか。
◆参考文献
・「<原本現代訳>日本書紀(上)」(山田宗睦訳, ニュートンプレス, 1992)pp.42-43
・「口語訳 古事記 完全版」(三浦佑之, 文芸春秋, 2002)pp.48-49
・「校定石見神楽台本」(篠原實/編, 石見神楽振興会, 1954)pp.131-139
・「神楽と神がかり」(牛尾三千夫, 名著出版, 1985)pp.204-206
・「古事記 新編日本古典文学全集1」(山口佳紀, 神野志隆光/校注・訳, 小学館, 1997)
・「日本書紀1 新編日本古典文学全集2」(小島憲之, 直木孝次郎, 西宮一民, 蔵中進, 毛利正守/校注・訳, 小学館, 1994)