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2015年6月14日 (日)

火事の記憶か――犬島・猫島

◆犬島・猫島

 畳ヶ浦の入口近くに二つの小島がある。近い方が犬島。遠い方が猫島という。

 昔、石見国分寺があった頃、往時の国分寺はとても見事なものだったが、その甍の陰が唐の国まで達して日あたりが悪くなってしまった。また香煙が空を覆い、作物が実らなくなってしまったため、唐の人たちは大いに難渋した。
 そこで石見国分寺を焼き払ってしまおうとやってきたのが唐の国から来た猫だった。
 対する日本側は国分寺を焼かせてはならじと犬を出した。争いになった犬と猫だったが、中々決着がつかず、終いに崖の上から落ちて寒い海の中に落ちてしまった。そのまま凍死した犬と猫は島となってしまったというお話。

 犬島・猫島はちょうど唐鐘漁港の沖合にある。唐の字があるので唐の国とつながりがあったのかもしれない。

唐鐘漁港から見た犬島
畳ヶ浦から見た犬島と猫島・写真手前は節理
犬島と猫島

 浜田市誌では、
現代流にこの伝説を介錯すれば、帰化僧と日本僧侶の間に法論があり、何か事件が起こったのではないかとも考えられる。
としている。ただし「あまりに穿ちすぎた説明で」ともある。往時の石見国分寺の壮麗さを称えた伝説とも言えるか。

石見国分寺は現在の金蔵寺境内にあったとされている。石見国分寺跡を解説した図が建てられているが、その中で

浜田市国分町の金蔵寺
石見国分寺跡・解説
金蔵寺と石見国分寺跡・解説
仏像は塔跡の北方60mの溝内部より出土しており、頭部と両腕先端を欠き火災を受けた痕跡がある。
と解説されており、火事があったことが窺える。この火事の記憶が元で犬島・猫島の伝説が生まれたのかもしれない。

◆畳ヶ浦

江戸時代の地誌・石見八重葎では「床の浦」としてその名が見える。

浜田地震と石見畳ヶ浦・解説

1872年(明治5年)、浜田で大地震が起きた。マグニチュード7.1と推定されており、大きな被害をもたらした。この地震で国分海岸一帯が隆起し、畳ヶ浦は現在の姿となったとされている。

ノジュールという団塊が有名で猿の腰掛岩と呼ばれている。また、節理という規則性のある地面の亀裂などがあり、貝殻・フナクイムシの巣の化石等も多く含まれている。

畳ヶ浦のノジュール
畳ヶ浦のフナクイムシの巣の化石

◆参考文献

・「出雲・石見の伝説 日本の伝説48」(酒井董美, 萩坂昇, 角川書店, 1980)pp.94-95, 140-144
・「石見の民話 第二集」(大庭良美/編著, 未来社, 1978)
・「角鄣経石見八重葎」(石見地方未刊行資料刊行会/編, 石見地方未刊行資料刊行会, 1999)
・「浜田市誌 下巻」(浜田市誌編纂委員会/編, 1973)pp.761-762
・「夕陽を招く長者 山陰民話語り部シリーズ1」(民話の会「石見」/編, ハーベスト出版, 2013)pp.125-127
・『日本の民話 34 石見篇』(大庭良美/編, 未来社, 1978)pp.250.

記事を転載 →「広小路」(※一部改変あり)

 

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