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2012年5月

2012年5月12日 (土)

フィールドワークの集成

「伝承怪異譚――語りのなかの妖怪たち(三弥井民俗選書)」(田中瑩一, 三弥井書店, 2010)を購入。著者は島根大学名誉教授。島根県を主なフィールドとして採集した約6,000話から主要な十三の怪異譚を選び、考察を加えたもの。 巻末に話者の一覧が載っているが、石見地方だと益田市、邑智郡が多く、他江津市と大田市で、残念ながら浜田の方はいらっしゃらない(※浜田だと別に浜田市立図書館が編さんした民話集があるようです)。 ・「島根県益田市民話集」(島根大学教育学部国語研究室/編, 島根大学昔話研究会, 1991) ・「島根県邑智郡石見町民話集2『妖怪譚』その他」(島根大学教育学部国語研究室/編, 島根大学教育学部国語研究室, 1986) を読んだことがあるが、実際に採録した際のエピソードも書かれている。同じ話でも話者によって見解が異なることもあって話し合いになったこともあったそうで、「民話集」では窺えなかった部分も記載されていて興味深い。 買ったばかりでまだ通読はしていない。「比礼振山を語る――島根県益田市乙子町フィールドノート抄――」(4-15P)で狭姫伝説の他、比礼振山(権現山)周辺の民話が紹介されている。 狭姫伝説では記紀神話が織り込まれていることが確認できた。狭姫が新羅のソシモリに住んでいたというのは日本書紀の須佐之男命が高天原から新羅に降臨したという神話によるものだろう。一方で、狭姫の母神は大気都比売命(オオゲツヒメ)で、これは古事記で須佐之男命がヒメを斬ると、その遺体から五穀が芽吹いたという神話によるものだろう。 狭姫伝説がどういう過程を経て現在のかたちになったのかは知り得ないが、赤雁の背に乗った姫神が五穀の種を伝えたというシンプルなかたちから記紀神話も織り込みつつ発展していったのかもしれない。 ちなみに、新羅に降臨した須佐之男命はここには居たくないと言って出雲に渡ってきたとされている。同時に五十猛命が木々を日本に植えたとしているので、日本の温暖湿潤な気候風土を説いた説話に思える。 面白いと思ったのは権現山と大麻山(浜田市三隅町)の背比べ。乙子町の話者の方々は浜田市三隅町の大麻山にまつわる伝説(海を渡ってやって来た大麻比古命が周辺に住む小野族と争って石を投げ合ったというもの)を知らなかったとのこと。 この大麻山の近隣騒動の伝説は「三隅町誌」によると昭和のある時点で再話されたものだという。旧島根県史(国造時代編)の大麻山神社の項では、太古に大麻村と井野村で戦が起きたという記述で天馬が駆けたという記述はあるものの大麻比古命や小野族には特に言及していない。

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