カマボコとカメラ
菊と蒲鉾
http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/kamaboko/index.html
たまたま、ネットで行き当たったチェコ系ドイツ人の文化人類学者の手になる富山県論。途中、結婚式の引き出物としてのカマボコについて論じているのだけど、その中で北米ネイティブアメリカンのポトラッチという風習について触れている。
【訳注*相手より大きな贈り物を続けることでお互いの権力を誇示する風習で全財産を焼却して執着のないことを示すことさえある】
昔、法社会学の講義で聴いたことがあって、モノを交換し合う、つまり貿易/経済の萌芽を示す事例なのだけど、ポトラッチがエスカレートして、その行き着く果てはどうなるのか、そこまでは知らなかった。焼き捨てて執着心のないことを示す、それがつまり自らの存在を誇示するある種の到達点になるとのことで大いに得心がいく。
お隣さんより立派な云々は誰にでもある心理だろうし、それが行き着くと我執を捨てる、宗教的にも貴いとされる行ないだけど、それは普遍的なものだということがわずか一行読んだだけですっと頭に入った。
いや、ほんと、執着心は捨てられないものです。
元々はカマボコ式の勉強/学習、つまり(板に張りついた)カマボコの様に机に張りついて勉強するだけでなく……云々は誰の言葉だったかなと思って検索してみたもの。直接の関連はないのだけど、面白いものに行き当たった。この辺、ネットの便利さを感じる。
ちなみに、これは宮澤賢治の言葉だった。表題のようにカメラがあると外出したくなる……と繋げたいが、FZ100はちとでかいか。色々遊べる機種ではあります(ただし、新品買うならFZ150の方が満足度高いかと)。
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