その土地は誰のもの? 額田部そでめの屋敷跡
◆額田部そでめ
額田部蘇提売(ぬかたべのそでめ)
額田部蘇提売は木部明神原に生まれ成人後、上遠田の医師、坂ノ上京春と結ばれたが、わけあって離婚し帰村した。
その時受けた慰謝料をもって釜口溜池から用水路を開拓し、また、貧しい農民や、病人の福祉に努めた。神護景雲二年(七六八)この美談が公に知られ民衆を救済した節義ある貞女として日本国中から選ばれた十八名の一人として表彰された。
このことは、「続日本紀巻二九」に記されている。昭和三十三年木部地区自治会では正史にその名を留めた蘇提売の偉業を広く顕彰するため屋敷跡と伝えるここ明神原に「額田部蘇提売屋敷跡」の碑を建立した。この文字は出雲大社 千家尊紀宮司の揮毫になるものである。
平成三年二月吉日
鎌手地区連合自治会
続日本紀に以下のように記載されている。
石見国美濃郡の人額田部蘇提売(ぬかたべのそでめ)、寡居(くわきよ)すること年久しく、節義著(あらは)れ聞ゆ。兼ねて復(また)積みて能(よ)く散(あか)ち、済(すく)ふ者(ひと)衆(おほ)し。その田租を復(ゆる)すこと終身。
「続日本紀 四 新日本古典文学大系15」191P
日本史のテーマの一つに「その土地は誰のものか?」という問いが挙げられるだろう。
◆お姫明神
◆狭姫伝説
◆余談
周辺に二艘船という地名があるという。これは川を遡ったのだろう、津波でそこまで船が流されてきたことに由来するらしい。確かにそれほど高い土地ではないのだけど、ゾッとする。
夫と離縁した額田部そでめは生まれた子供を実家に連れ帰ったようだ。この辺、母系社会の名残だろうか。近年、外国人と結婚、子供をもうけた日本人女性が離婚後、夫と妻のどちらに親権があるか確定しない前に子供を連れ帰って刑事事件となることがあるそうだ。もちろん女性に悪意はないだろう。この辺、未だに母系社会の名残があるのかもしれない。
現代は圃場整備が進んで一枚の田の面積は広くなっているけど、昔はもっと小さな田が何枚もあるという形だったという。以前勤めていた会社の上司が亡くなる前に「あそことあそこの田んぼはうちのもの」と言い残したという話を思い出す。点々と田んぼを所有しているというニュアンスではないかと思う。
◆参考文献
・「続日本紀 四 新日本古典文学大系15」(青木和夫, 稲岡耕二, 笹山晴生, 白藤禮幸/校注, 岩波書店, 1995)p.191, p.520
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