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2012年2月

2012年2月22日 (水)

竹島のニホンアシカ(標本)

島根海洋館アクアスに展示されていたニホンアシカの標本(剥製)です。成獣と幼獣の二頭。明治時代以降、乱獲によって大きく数を減らし、現在では絶滅したとされています。標本は県内の高校に保管されていたもので、竹島に生息していた個体ではないかと思います。竹島はニホンアシカの一大繁殖地だったそうです。
島根海洋館アクアスに展示されていたニホンアシカの標本
ニホンアシカ・解説
ニホンアシカ
Zalophus californianaus japonicus
 数十年前まで、日本にはアシカのなかまがくらしていました。ニホンアシカは、本州・四国・九州の近海にすみ、特に日本海に多く見られたようです。
 ニホンアシカは、明治の終わり頃から脂と皮をとるために、漁師によって捕獲されていました。1950年頃には島根県の竹島に200~500頭が生息していましたが、乱獲によって次第に数を減らしていきました。
 そして、生息地が破壊されたことも影響して、今では見ることができなくなってしまいました。
※アクアスの解説より。
ニホンアシカ・成獣の標本
標本の解説
成獣の標本。浜田高校に保管されていたとのこと。
この標本は県立浜田高校に保管されていたものです。捕獲時期や場所は不明ですが、すでに昭和初期には保管されていたようです。成獣メスの標本は数が少なく貴重なものです。
ニホンアシカ・幼獣の標本
ニホンアシカ・幼獣の標本
標本の解説
幼獣の標本。大社高校に保管されていたもの。
この標本は、県立大社高校に保管されていたものです。明治38年、当時の島根県知事が竹島を視察した際、幼獣3頭を持ちかえり、県庁の池で飼育していたうちの一頭と考えられています。
※異なる時期に捕獲されたものらしく、親子ではないようです。
※写真は2011年夏に撮影したものです。アクアスでの展示は常設でないかもしれません(未確認)。

◆江戸時代の地誌

手元に資料が無くうろ覚えですが、「石見外記」という江戸時代の地誌に浜田市の瀬戸ヶ島でアシカを目撃することがあったと記述されていました。
浜田市真光町の観音寺・山門
観音寺・鎮守堂
観音寺・お堂
小篠東海の墓と浜田の国学・解説
浜田市真光町の観音寺。写真左側の鎮守堂はアシカの食害に悩んだことから勧請したものだそうです。

◆リャンコ大王

ニホンアシカの標本ではリャンコ大王と呼ばれた巨大な雄のものが知られているそうです。『鷹の爪』にも登場するのだとか。実際に見てはいないのですが、逸話を読むと、アシカの食害に漁師たちが悩まされていたことがうかがえました。
三瓶自然館サヒメル・リャンコ大王の剥製
三瓶自然館サヒメル・リャンコ大王の剥製・アップ
三瓶自然館サヒメル・リャンコ大王の剥製・解説
三瓶自然館サヒメルに展示されているリャンコ大王を実際に見学しました。雌より何回りか大きな巨体です。

◆参考文献

・「江戸後期諸国産物帳集成 第11巻(因幡・石見・備前・備後・安芸)」(安田健/編, 科学書院, 2001/06)
・児島俊平「龍神さんと石見漁民 ―文化年代の異常海象について―」雑誌「郷土石見」第11号(石見郷土研究懇話会/編, 1981)pp.23-33

 

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2012年2月12日 (日)

内から来たのか、外から来たのか

「能海寛 チベットに消えた旅人」(江本嘉伸, 求龍堂, 1999)という本をamazonマーケットプレイスで注文、届く。能海寛(のうみゆたか)は旧那賀郡金城町(現・浜田市金城町)出身の人。著者は読売新聞の編集委員で、山岳会つながりらしい。 子供の頃、郷土の偉人を取り上げた本が家にあって、その中で明治時代に当時鎖国していたチベットに仏典を求め潜入した人の話を読んだ記憶があった。 後に調べてみたが、チベット、仏典というキーワードだと河口慧海が真っ先に上げられる。なので、地元の人でないし、記憶違いかと思っていた。 現在ではWikipediaにも項目が設けられていて、記憶違いでは無かったことは分かった。あとがきを先に読んだが、1996年に新資料が発見されて大きく進展したとのことで、その成果が大きく影響しているのかもしれない。 記憶に残っているのは、チベットに入り、どこから来たか訊かれたら、内と外だったか、内から来た(外国人ではない)と受け答えする……というくだり。この本でも触れられているか、探してみたい。 結局、チベットで消息を絶ってしまうのだが、子供の頃は外国人であることがバレて殺されてしまったのかと思っていた。Wikipediaによると現地の匪賊に襲われてお亡くなりになったということらしい。 読書が出来なくなってきたのでいつ読了するか分からない。とりあえず今日はここまで。

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