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2011年11月26日 (土)

才ヶ峠の蛇――浜田市下府町

パワースポットという言葉は安直に思えて正直嫌いなのだが、じゃあゲニウス・ロキ(地霊)はどうなのか? ラテン語ならいいのだろうか?

Wikipedia、ゲニウス・ロキの項によると、現代では「土地の雰囲気」「土地柄」といった用法が主で、地霊的な用法はあまりされていないようだ。キリスト教の影響だろう。むしろゲームのジャンルで原義にインスパイアされたかたちで用いられているのが興味深い。

ゲニウス・ロキという言葉を知ったのは中村雄二郎「術語集」(岩波新書)だったと記憶している。学生だった頃のお話。

帰省した際、浜田市下府町の才ヶ峠(さいがとう)を訪ねた。途中、塞の神さまを祭る祠があるのだが、記憶が混同していて、あれ、こんなところだったかなと思いつつ中に入る。

 

浜田市下府町の才ヶ峠の石畳道
才ヶ峠の石畳道
標識・才ヶ峠石畳道
才ヶ峠の石畳道
才ヶ峠石畳道
才ヶ峠に通じる見事な石畳道は江戸時代の三次街道の一部で、元は悪路であったのを、文化年間(一八〇四~一七)の頃三隅竜雲寺三十二世崑山和尚が付近の人を勧進して作ったものである。
 十王堂(地獄の閻魔様とその眷属を祭っている)と塞の神さまを祭る祠があって、これも後で気づいたのだが、十王堂と塞の神さまを混同していた。塞の神さまは元々は古木を依代としていて、その古木が枯れたため、祠を建てたと教育委員会が建てた標識にあった。仏教的な十王堂と神道的な小祠が並んでいるかたち。

才ヶ峠の十王堂
才ヶ峠の十王堂
標識・才ヶ峠の十王堂
才ヶ峠の十王堂
才ヶ峠十王堂
冥府で死者の生前の行いをチェックし、罪の軽重を決めるといわれている。閻魔大王を始め、十王とその眷属および聖観音と六地蔵の石像が納めてある。
 塞の神さまの小祠はやや高い位置にあって、近くで見てみようかと土手をよじ登ろうとすると、蛇がいた。うねうねとした姿で、こちらの存在に気づいても逃げようとしない。マムシだろう。後で写真で確認したが、体の模様もそうだったように記憶している。

才ヶ峠・塞の神祠
標識・才ヶ峠・塞の神祠
塞の神祠。マムシは写真左側の木の更に左奥にいました。
塞の神祠
左の丘上にある塞の神祠は、以前は大きな松が憑代であったが、枯れたために傍に小祠を建て、これに代えたという。浜田市内でサイノカミの祀りをする唯一の所である。
マムシは人を見ても恐れないと父が言っていたなと思い出した。そのときはむしろ威嚇されているように思えてすごすごと引き返したのであった。写真を撮っておけばよかった。

古代ローマのゲニウス・ロキは土地の守護精霊で蛇の姿をしていることが多いと上記Wikipediaにあったが、あの蛇は塞の神さまを守っていたのかもしれない。単に己の縄張りを主張していただけのことだけど、写真を撮るのもためらわれる、そんな感じであった。むしろその時点で気づいてよかったのかもしれない。

 石塚尊俊「サエノカミ信仰の成立」を読む。塞の神信仰に関する論考。してみると、浜田市才ヶ峠の塞の神は仏教における地獄の閻魔様の眷属を祀る十王堂と共に祀られているのが特徴か。そういう意味では単に境界を表すのでなく、生と死との境界をも示していることになる。

◆参考文献
・「サエノカミ信仰の成立」「顧みる八十余年―民俗採訪につとめて―」(石塚尊俊, ワン・ライン, 2006)pp.61-90 ※「山陰民俗」34号に収録

記事を転載 →「広小路

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