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2011年11月

2011年11月27日 (日)

才ヶ峠を訪ねる~浜田市下府町~

才ヶ峠(さいがとう)
千畳霊園から才ヶ峠方面に向かう道
千畳霊園から才ヶ峠方面に向かう道
国道9号線から上府方面に向かい神在坂を下りきって踏切を渡って千畳霊園に入り、駐車スペースに車を停め(管理人さんスミマセン)そこから徒歩で旧山陰道を上っていきます。
旧三次街道
旧三次街道
旧山陰道。こちらは三次街道とのことですが、多陀寺に至るルートと二つあるということでしょうか?
才ヶ峠・石畳道へ向かう途中
道なりに写真左奥の細い道へと進んでいきます。
才ヶ峠・細い道
才ヶ峠・細い道
細い道が続きます。この右手に十王堂と塞の神祠があります。
才ヶ峠・十王堂
才ヶ峠・十王堂
才ヶ峠・塞の神祠
才ヶ峠の十王堂と塞の神祠。
才ヶ峠・コンクリート舗装から石畳へ
コンクリートの舗装が無くなった辺りから石畳が見えてきます。
才ヶ峠・石畳道
才ヶ峠・石畳道
石畳道を進むと、国道9号線が見えてきました。
才ヶ峠・石畳道
はっきりと石畳道が見えます
才ヶ峠・石畳道から国道9号線へ
ここで石畳道は終わります。
国道9号線の歩道側から見た才ヶ峠・石畳道
国道9号線の歩道側から見た才ヶ峠・石畳道
国道9号線の歩道側から見た石畳道。
国道9号線
国道9号線
国道9号線で神在坂を下っていくと、タカラのショールームがあって、そこから数十メートル先。看板が建っている手前辺りです。ただし、交通量が多く車で入るのは危険なので、千畳霊園側から入りました。

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2011年11月26日 (土)

才ヶ峠の蛇――浜田市下府町

パワースポットという言葉は安直に思えて正直嫌いなのだが、じゃあゲニウス・ロキ(地霊)はどうなのか? ラテン語ならいいのだろうか?

Wikipedia、ゲニウス・ロキの項によると、現代では「土地の雰囲気」「土地柄」といった用法が主で、地霊的な用法はあまりされていないようだ。キリスト教の影響だろう。むしろゲームのジャンルで原義にインスパイアされたかたちで用いられているのが興味深い。

ゲニウス・ロキという言葉を知ったのは中村雄二郎「術語集」(岩波新書)だったと記憶している。学生だった頃のお話。

帰省した際、浜田市下府町の才ヶ峠(さいがとう)を訪ねた。途中、塞の神さまを祭る祠があるのだが、記憶が混同していて、あれ、こんなところだったかなと思いつつ中に入る。

 

浜田市下府町の才ヶ峠の石畳道
才ヶ峠の石畳道
標識・才ヶ峠石畳道
才ヶ峠の石畳道
才ヶ峠石畳道
才ヶ峠に通じる見事な石畳道は江戸時代の三次街道の一部で、元は悪路であったのを、文化年間(一八〇四~一七)の頃三隅竜雲寺三十二世崑山和尚が付近の人を勧進して作ったものである。
 十王堂(地獄の閻魔様とその眷属を祭っている)と塞の神さまを祭る祠があって、これも後で気づいたのだが、十王堂と塞の神さまを混同していた。塞の神さまは元々は古木を依代としていて、その古木が枯れたため、祠を建てたと教育委員会が建てた標識にあった。仏教的な十王堂と神道的な小祠が並んでいるかたち。

才ヶ峠の十王堂
才ヶ峠の十王堂
標識・才ヶ峠の十王堂
才ヶ峠の十王堂
才ヶ峠十王堂
冥府で死者の生前の行いをチェックし、罪の軽重を決めるといわれている。閻魔大王を始め、十王とその眷属および聖観音と六地蔵の石像が納めてある。
 塞の神さまの小祠はやや高い位置にあって、近くで見てみようかと土手をよじ登ろうとすると、蛇がいた。うねうねとした姿で、こちらの存在に気づいても逃げようとしない。マムシだろう。後で写真で確認したが、体の模様もそうだったように記憶している。

才ヶ峠・塞の神祠
標識・才ヶ峠・塞の神祠
塞の神祠。マムシは写真左側の木の更に左奥にいました。
塞の神祠
左の丘上にある塞の神祠は、以前は大きな松が憑代であったが、枯れたために傍に小祠を建て、これに代えたという。浜田市内でサイノカミの祀りをする唯一の所である。
マムシは人を見ても恐れないと父が言っていたなと思い出した。そのときはむしろ威嚇されているように思えてすごすごと引き返したのであった。写真を撮っておけばよかった。

古代ローマのゲニウス・ロキは土地の守護精霊で蛇の姿をしていることが多いと上記Wikipediaにあったが、あの蛇は塞の神さまを守っていたのかもしれない。単に己の縄張りを主張していただけのことだけど、写真を撮るのもためらわれる、そんな感じであった。むしろその時点で気づいてよかったのかもしれない。

 石塚尊俊「サエノカミ信仰の成立」を読む。塞の神信仰に関する論考。してみると、浜田市才ヶ峠の塞の神は仏教における地獄の閻魔様の眷属を祀る十王堂と共に祀られているのが特徴か。そういう意味では単に境界を表すのでなく、生と死との境界をも示していることになる。

◆参考文献
・「サエノカミ信仰の成立」「顧みる八十余年―民俗採訪につとめて―」(石塚尊俊, ワン・ライン, 2006)pp.61-90 ※「山陰民俗」34号に収録

記事を転載 →「広小路

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2011年11月21日 (月)

懐の深さ

2週間ほど前にHDDレコーダーを購入。日立マクセルのVDR-2000。

で、大相撲ダイジェスト(はテレビ朝日時代のタイトルですが)を録画してみる。隠岐の海目当て。今場所は前頭筆頭。幕内に上がってからは昇進ペースが早いか。次は三役を目指すポジション。

で、詳しいことは分からないのだけど、今までだと立ち会いで損をしている様な気がしていたのだが、今場所の取り口だと懐の深さが発揮されつつあるか。来年が楽しみ。頑張ってくださいっ!

VDR-2000は光学ディスクドライブはついてないけど(※ネットワークに繋いで他のDLNA対応機器との連携は可能)、カセット式のHDDで自由に換装できる。DVD-Rに焼くと却って見なくなっちゃうし、HDD(iVDR)は買い足せばいいのでちょっと気楽な面はある。

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2011年11月10日 (木)

やはり字幕は欲しい

DVD「第32回 歳末たすけあい 石見神楽共演大会」(益田市石見神楽神和会)3巻を視聴。2008年12月7日(日)収録とある。ゆうひパーク三隅で購入したもの。

収録された演目は

1. 塵輪  高津神楽社中(益田市)
2. 大江山  旭神楽団(広島県)
3. 十羅   石見神楽上吉田保存会(益田市)
4. 東大和  丸茂神楽社中(益田市)

2枚組。高画質で収録したのだろう。会場はグラントワだろうか? 屋内での上演なので衣装が鮮やかに映っている。観客の視線に近いアングルで収録されているのも良いのではないか。俯瞰する視点より煽りに近いアングルの方が臨場感がある。

「十羅」だが、解説では

十羅刹女は、須佐之男命の末娘で血気盛んな美貌の女神で、彦羽根の臣が対馬に渡ろうとして舟を出した処大時化に遭い生命からがら着いたところが大八州(おおやしま)。自国に帰る様十羅刹女の説得も聞き入れずに遂に女神同士の戦いとなり、彦羽根の臣が負け元の国に追い返されました。(以下略)

とある。櫂を漕ぐ所作があり、海上での戦いのようだ。彦羽根の臣は鬼女。対馬云々は応永の外寇がさり気なく織り込まれているのだろう。

実際に小柄な女性が舞っているのではないかと思わせる演技だった。ちなみに「東大和」では女性が日本姫(やまとひめ)を演じている。

口上はマイクを使用している。でも、やはり聞き取りづらい箇所が多い。字幕もつけてくれればと思う。

何枚か石見神楽のDVDを持っているが、このシリーズは当たりだと思う。他のが外れな訳ではないが、予備知識のない人に見せる最初の一枚として適しているだろう。

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