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2011年5月

2011年5月 3日 (火)

漫画で読む出雲の王たち~ナムジ

安彦良和「ナムジ」(中公文庫コミックス)を読む。日本神話を古代史の知見や徐福伝説、天日矛命伝説、宇佐信仰など様々な要素を盛り込んで大胆に再構成した作品。最近は漫画ですら休み休みでないと読めないのだが、グイグイと惹きつけられた。

大国主命、出雲大社というと縁結びの神さまだが、ナムジの人生はスセリ、イセポ、タギリの三人の女性によって彩られる。イセポはアイヌ語でウサギだとか。因幡の白兎からとのこと。

余談。
旧島根県史の収められたマイクロフィルムを国会図書館で閲覧したが、先ず先史時代(アイヌが云々)があって、それから神代(出雲の神々)に入るという構成だった。以降、国造時代……と続いていく。

閑話休題。
スセリはナムジが初めて出会う女性(スサノオの娘)だが、この人が正妻的位置づけ。ナムジの人生の変転に翻弄される悲しい女性でもある。

タギリは宗像三女神のタギリビメ(多紀理毘売命)から。日本書記だと田心姫命。神々の系譜上だと多紀理毘売命は大国主命の大大……大叔母か? それはともかくラストシーンはグッとくるものがあった。

以下、思いついたことを羅列。

知らなかったことも多々あった。例えば、古代の出雲平野には神戸の水海と呼ばれる大きな入り江があって、神西湖はその名残なのだとか。

イセポが不思議な力を見せるシーン、実際に日本海を遡上してきたウミヘビが出雲の浜辺に打ち上げられることがあるそうで、浜に乗り上げるとすぐ死んでしまうそうだが、竜蛇として祭られているとのこと。

劇中、斐伊川の流れを宍道湖側につけ変える展開があるが、実際にやったのは近世。氾濫で川の流れが変わることは度々あったろう。

江戸時代の出雲平野の地図

江戸時代の出雲平野の地図
出雲弥生の森博物館にて。航空写真と江戸時代の地形を重ねたものだとか。

たたら製鉄はいつ頃まで遡れるのだろう。砂鉄自体は獲れたはずだが。たたら製鉄の遺跡で古いものは邑智郡瑞穂町で見つかっている。

ナムジという名だが、「オオナムヂ」「オオヒルメムチ」という用例があり、「貴」の字が当てられているので、本来は尊称のはず。

於投馬と書いてイズモと当てている。ちなみに魏志倭人伝には投馬国なる国が登場する。こういう風に字を当てたのかと感心。学生のとき、講義で魏志倭人伝に触れたことがあったのだけど、投馬国の読みの記憶は無い。

邪馬台はヤマトと読んでいて、作中では九州から畿内へ勢力が分かれたという図式になっている。

魏志倭人伝に登場する卑弥呼の時代は倭国大乱が収まって、各地の王たちが卑弥呼を擁立したもの。というか、女王を擁立することで乱が収まったということか。

読んでいて、大国主命(のモデルとなった人物たち)が活躍したのは何世紀頃なのだろうとふと思った。一人の人物ではなく、きっと何代にも渡る出雲の王たちの記憶の結晶なのだろう。

西谷墳墓群・2号墓

西谷墳墓群・3号墓

西谷墳墓群・4号墓
出雲市の出雲弥生の森 史跡公園に現存・復元されている四隅突出型墳丘墓。

出雲の民がフツ族とされているのは、おそらく次作の「神武」での物部氏の描写で明らかになるのではないか。

無視しえないものとしてだろう、古事記の編纂者たちが出雲神話を記録したのはなぜか、もちろん知り得ないことだけど、「ナムジ」を読むことでイメージがかなり変わった。

また、日本神話ではなぜ中国大陸に触れていないのか。記憶が薄れたか、独立を主張するためか、大本のルーツはそこにあるはずなのに、との思いも浮かんだ(逆に国引き神話は出雲平野が形成されていく過程の記憶が根底にあるのかもしれない)。

連載開始は1980年代末頃か。当時は騎馬民族征服王朝説の勢いがあった記憶があり、胡人と倭人の対立図式などは割引いて読む必要もあるかもしれない。日本神話には南方系の神話も多いし、母系社会の要素も濃い。

古代史は恣意的な解釈が紛れ込む余地も多々あって、中には眉唾ものもあるに違いないが、「ナムジ」はフィクションと割り切って楽しむことができた。

余談。
安彦良和氏は「機動戦士ガンダム」のキャラクターデザイン、作画監督の仕事が最も知られているか。

ガンダムのプラモデルで印象的なシーンを再現したジオラマを作るのが流行ったけど、原画は安彦氏の手になるものが多いのではないか(元となる絵コンテは別の人だが)。近年は1stガンダムのコミカライズを続けている(そろそろ終了?)。

「ナムジ」は島根県立図書館・郷土資料室に所蔵されている。

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