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2010年5月

2010年5月25日 (火)

三瓶山の放牧のきっかけとなった病気

 三瓶山麓をドライブしていると放牧された牛とすれ違ったりする。「歴史の落穂拾い 出雲・石見」(石村禎久, 2000)という本で紹介されているのだが、三瓶で放牧されるきっかけとなったのは牛疫(牛肺疫)の大流行だそうである(170-173P)。
雲のかかった三瓶山
ここで放牧されているかどうかは分らないです(多分、違う気が)。
 寛文12年(1672年)夏、長門の国(山口県)で発生した牛疫は中国地方、四国、九州に蔓延、死んだ牛は推定数十万頭にも及んだ。財産である牛が死に、また牛の価格が高騰した。農家にとって大打撃となったのだが、それを見た加藤藩(大田市川合町吉永)が種牛を上方から買い入れ三瓶の原に放牧、繁殖に努めたのち領内各村に分給したという経緯だそうだ。
 大流行した原因だが、外国で牛疫で死んだ牛が対馬海流に乗って長門の国に流れついたと「歴史の落穂拾い 出雲・石見」では推測している。他、ググってみると日本に漂着した船に牛疫に感染した牛がいたという考察もされているようだ。
 現在、牛疫自体は撲滅された病気だそうだ。宮崎で蔓延している口蹄疫だが、あれは人災だろう。

◆参考文献

・「歴史の落穂拾い 出雲・石見」(石村禎久[勝郎], 石村勝郎, 2000)pp.170-173

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2010年5月23日 (日)

ここを海にしよう――厳島明神さま

◆なぜ浜田は田舎のままなのか

 「日本伝説大系 第11巻 山陰(鳥取・島根)」(野村純一他, みずうみ書房, 1984)に「神仏の事業」の分類で「厳島明神」の伝説がいくつか収録されている。邑智郡から浜田市、旧那賀郡にかけてのものだが、要約すると「なぜ浜田は田舎のままなのか」ということだろうか。

浜田市折井町の厳島神社・鳥居と拝殿
折井町の厳島神社・拝殿
折井町の厳島神社・本殿
浜田市折井町の厳島神社
浜田市瀬戸ヶ島町の厳島神社・拝殿
瀬戸ヶ島町の厳島神社・ご由緒
瀬戸ヶ島町の厳島神社・浜田市指定有形文化財の解説
浜田市瀬戸ヶ島町の厳島神社
浜田市松原町の厳島神社・階段
松原町の厳島神社・拝殿
浜田市の松原湾
浜田市の松原湾
浜田市松原町の厳島神社と松原湾

◆おのれ、石見のカラスどもめ

 厳島明神は元々は石見の国に住んでいたという。三隅町の神本(三保から子落の奥の辺り)や室谷などがそうだったという。厳島明神はこの土地が大層気に入っておられた。
 水の神である厳島明神、毎日のように船着場まで足を運んでは船に乗って海に出かけていく。
 ところが、毎日のように船着場まで歩くのが面倒になってしまった厳島明神、住居は気に入っているので移したくたくない。さりとて歩くのも面倒だ。あれこれ考えた末、厳島明神は自分の住居の周り一帯の土地を海にしてしまうことにした。

浜田市三隅町室谷地区
三隅町室谷の棚田
三隅町室谷の棚田
三隅町室谷の棚田
室谷地区棚田地帯案内図
浜田市三隅町室谷地区の棚田。ここの棚田も海に沈むことに……

 それを周辺の者たちに語って聞かせたところ、百姓たちは自分たちの土地が海に沈んでしまってはたまらんと一致団結。厳島明神の家の周りに火を放ち、厳島明神を追い出してしまった。
 突然の火事に慌てた厳島明神は二歳になる男の子を連れ、折り掛けの織物を手に着の身着のままで逃げ出した。
 途中、立ち寄った村(折居など)で「ここに住まわせてくれたら、村人たちが一生困らないようにしてあげようと」言ったものの、村人にすげなく断られ追い出されてしまった。
 それから中国山地を走り続けたが、織物の糸が小枝に引っかかって抜けるわ、足はカヤの葉で切って傷だらけになるわで散々だった。
 ようやく海岸にたどり着くと、目の前に島が見えた。厳島明神は島に渡るとそこに住むことにした。これが広島の宮島である。
 それから厳島明神が足を痛めた所のカヤの葉はいがらがなくなった。また、宮島には二歳の子を連れて行くことができない。もし連れて行ったら途中で変事が来て引き返さねばならなくなる。それは厳島明神が道中難儀をしたためである。
 そして、厳島明神を追い出した土地はいつまで経っても発展しないのだという。

 上記あらすじは三隅や室谷、折居の伝説をミックスしてみた。邑智郡の類話では出雲の神集いから宮島へ戻る途中で、厳島明神は妊婦の姿だったとしたものもある。
 「おのれ、石見のカラスどもめ」はこちらで適当につけたもの。石見弁は語頭に「かぁ」と発声することが多いので「石見のカラス」と呼ばれたりするのだとか。

◆大島と宮島の神様――江津市黒松の伝説

 江津市の浅利から黒松にかけての海に大島という名の島がある。「出雲・石見の伝説 日本の伝説48」(酒井董美, 萩坂昇, 角川書店, 1980)でこの大島にまつわる伝説が収録されている(78P)。

 宮島の神さまが石見に大島という名の島があると聞き、はるばるやって来て見ると、大島とは名ばかりの小さな島であった。落胆した宮島の神さまだったが、大島の隣に一つの島が浮かび上がった。それが女島だという。
 大島の神さまは宮島の神さまの姉であり、例祭も宮島より一日早くするという。

江津市黒松町沖の大島と女島
大島
女島
大島のアップと鳥居
大島と女島。大島神社の鳥居が見えます。宝殿ヶ鼻より撮影。
浅利富士山頂から見た大島
浅利海岸と大島
大島と女島
浅利富士山頂から見た大島。大島と浅利海岸。
江津市後地町の厳島神社・階段と鳥居
江津市後地町の厳島神社・拝殿
巨大な貝殻?に「厳島神社」とある
江津市後地町の厳島神社・本殿
江津市後地町の厳島神社。

◆龍雲寺の蓮糸の袈裟

 三隅の龍雲寺の方丈さんの夢枕に美しい女性が現れた。女性は自らを厳島明神と語り、自分の住居が火事になったので、龍雲寺の参道にある大岩に水をかけて欲しいと頼んだ。目覚めた方丈さんは修行僧たちに声をかけ、参道の大岩に水をかけさせた。翌朝勤行をするため集まると、そこに厳島明神が現れて蓮糸で織った袈裟を収めたという。

浜田市三隅町の龍雲寺
龍雲寺・山門
龍雲寺・本堂
三隅町の龍雲寺
龍雲寺・ご由緒

◆余談

 厳島明神は宗像三女神だろうけど、イメージがかなり違うのが面白い。カヤの葉で手を切るのは子供のときに経験したが、都会のニュータウンに暮らす子供たちには実感できないかもしれない。
 地図で確認すると、江津市の大島には神社があり、対岸の黒松には厳島神社がある。未訪問なので、帰省時にでも訪ねてみたい。

 浜田市折井町の厳島神社へは国道9号線から県道303号線を入って直ぐ。折井から室谷へ抜ける狭い道で道路幅がジャスト一車線しかなく要注意。神社前が広場になっているのでそこに停められるか。訪問時はJR折井駅前に車を停めて歩いていった。

◆参考文献

・「出雲・石見の伝説 日本の伝説48」(酒井董美, 萩坂昇, 角川書店, 1980)p.78
・「日本伝説大系 第11巻 山陰(鳥取・島根)」(野村純一他, みずうみ書房, 1984)pp.52-54
・「角鄣経石見八重葎」(編集・発行者 石見地方未刊行資料刊行会, 1999)p.108

転載先 →「広小路

 

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2010年5月21日 (金)

やってきた二つの島――浜田の「まんが日本昔ばなし」

◆まんが日本昔ばなし

 アニメ「まんが日本昔ばなし」で浜田市の昔話が取り上げられた記憶がある。長者が島を招き寄せるような内容だった。オープニングに「島根県浜田市」とクレジットされていたのだろう、浜田の話だと興味を持って観た記憶がある。

 そのエピソードは「やってきた二つの島」というタイトルで昭和57年(1982年)7月17日にオンエアされたものだった(演出:やすみ哲夫 文芸:沖島勲 美術:内田好之 作画:森田浩光)。タイトルで検索すると、浜田市の民話を集録したサイトがヒットする。

◆大島と小島

やってきた二つの島
http://fish.miracle.ne.jp/maygreen/minwa.files/minwa9_a.htm
(※アドレスをコピペしてください)
出典は「浜田市の民話3」(浜田市立図書館, 昭和52年)とある。

 読むと、島を招き寄せるのではなく、庄屋さんが長浜の海の方が綺麗だぞと誘導する内容だった。瀬戸ヶ島のことだろうかと思っていたが、湾の反対側、長浜の方の話だった。

大島付近から眺めた長浜町と海上保安庁の巡視船
大島付近から眺めた長浜町と海上保安庁の巡視船
浜田商港近くの大島
大島と天満宮の鳥居
大島。現在は地続きとなっている。天満宮の鳥居が見える。
大島と小島の間の入江
大島と小島の間の入江
大島と小島の間は入り江になっている。

 この二つの島、大島と小島は商港の北に実在、地図でも確認できる。僕は浜田でも東の方の出なので、漁港より西はよく知らない。長浜の人達には馴染みのお話なのだろう。
大島の天満宮・鳥居
大島の天満宮・階段
大島の天満宮・拝殿
大島の天満宮・拝殿内部
天満宮

 で、実はそれほど面白い話だとは思わなかった。ほのぼのした話だが、浜田なら「犬島・猫島」などの方が面白いのではないかと思ったことを憶えている。長浜の人、スミマセン。

 確か「島根県浜田市」とクレジットされていたはずなので、浜田市誌に収録されているのかと思ったのだが、市誌にはそれらしきお話は収録されていなかった。出典は分ったが、浜田市立図書館のWEB-OPACで検索するとヒットしない。島根県立図書館での所蔵は確認できた。

◆浜田港は天然の良港か?

 昔、お古の地理の教材を読んだとき、浜田湾、浜田港は天然の良港とは言えない。なぜか考えよといった設問があって、疑問に思ったことがある。

防波堤と矢箆島、馬島
防波堤と矢箆島、馬島、瀬戸ヶ島とマリン大橋
防波堤と矢箆島、馬島、瀬戸ヶ島とマリン大橋

 帰省した際読んだ市報に書いてあったのだが、上に掲示した防波堤のことかもしれない。北風とそれに伴う波浪を避けるために建設されたもの。たとえば、境港は島根半島の突端が北風を防ぐ天然の良港だとか。
 ちなみに、江戸時代までは浜田城東の外浦湾が風避けの良港として栄えていた。色町もあったという話には驚かされた。
 他、水深もあるだろう。現在は物流面で国際標準規格のコンテナを積んだトレーラーが走る道も課題として挙げられるのだとか。
 山陰道が整備される理由の一つとして、国道9号線は国際標準規格のコンテナを積んだトレーラーが通れない箇所があるからだとのこと。

※「やってきた二つの島」のスタッフ一覧、放送日は「狢工房」(http://mujina.agz.jp/index.html)を参照した。

記事を転載 →「広小路」(※一部改変あり)

 

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2010年5月18日 (火)

移転しました

スミマセン、島根ネタ以外の音楽カテゴリは↓に移動しました。

薄味新館
https://woodenplane.air-nifty.com/watermark/cat22046110/index.html

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2010年5月 2日 (日)

ブログ記事を分割しました

薄味新館
https://woodenplane.air-nifty.com/watermark/

石見ネタ以外の記事を移転しました。

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