再話と原典と――ヨノランとセオニョ
海を渡った神様 /島根
http://mainichi.jp/area/shimane/letter/news/20090422ddlk32070609000c.html
島根県国際理解教育研究会が中心となって日韓の教師が制作した教材「海を渡った神様」を取り上げた毎日新聞の記事。
「海を渡った神様」
http://homepage.mac.com/jtuka/ebook/index.htm (※アドレスコピペしてください)
こちらで本文が読める。
サイトに掲載されたのは二本。一本は新羅の国のヨノランとセオニョという夫婦が出雲に渡って米作や製鉄の技術を伝え王となる話。もう一本は新羅に降り立ったスサノオ命が出雲に渡ってヤマタノオロチを退治する内容。
結論から述べると、伝説の再話としては出来がよくないと思う。
「ヨノランとセオニョ」「スサノオ」と仮題をつける。「ヨノランとセオニョ」は韓国の古典「三国遺事」に収録された伝説を基にしたもの。「スサノオ」は日本書紀に収録された異伝が基となっている。
出典の三国遺事の該当する箇所を読んでみる。原典に手を加えないで提示した方が良かった気がする。色々改変していて、元のお話と別物になっている。
気づいた点をいくつか挙げてみると
・再話する際、新羅から渡ってきたヨノランとセオニョが出雲の国の国造りをするという内容に改変されている。
・出典の三国遺事には日本のどこそこの国へ行ったという具体的な記述はない。
・三国遺事では2世紀頃の話とされているが、「ヨノランとセオニョ」ではいつの時代かは触れていない。
・新羅人のヨノランとセオニョが米作や製鉄、機織りなどの技術を出雲の人々に伝えたことになっている。三国遺事にこういった記述はない。
・絵。衣装の違い。新羅人たちは染料で染めた衣装だが、出雲人たちは毛皮姿(原始人みたい)で落差が激しい。縄文人と弥生人が初めて接触したらこんな感じかもしれないが、古代から相互に交流があったはず。本来の伝説では2世紀の話だが、紀元前の話として背景設定を変更しているのだろうか。
・杵築大社(出雲大社)の絵が挿入されている。ヨノランとセオニョを祭っていると暗示しているのか。時系列的に国譲り神話の後なら国造家(天孫の系譜)がいるはずで矛盾するのではないか。
・ヨノランとセオニョは新羅では太陽と月の神である。どちらが太陽、月であるかは不明。
・新羅に降り立ったスサノオ命、日本書紀の一書では「ここには居たくない」と出雲に渡るのだが、その件は省略されている。
教材では触れられていないが、スサノオ命の子の五十猛(いたける)命が木々の種を半島には植えず、今の日本に植える。温暖湿潤で木々の青々とした日本の気候風土の説話だろう。
「ここには居たくない」という言葉は韓の国に長く留まらなかったと解釈可能か。気候の違いで作物の生育が不良といった理由などが考えられるか。
「スサノオ」の方はともかく、「ヨノランとセオニョ」には出典の三国遺事には無い大きな改変が加えられている。
越(北陸)や新羅の国などから余った土地を引いてくる出雲風土記の国びき神話はよく知られているし、実際日本海の対岸にあるのだから古くから交流があったことは想像に難くない。
大田市の五十猛(いそたけ)海岸にはスサノオ命が上陸した地という伝説があるし、百済海岸という地名もあるそうだ。ただ、単に新羅を経由した倭人系の集団だったという見方だって可能だろう。
古代のクニは集落とそれを囲む柵のような小規模なものを指すこともある。出典の三国遺事自体、邑(ゆう, むら)と考察しているようだ。
2世紀は卑弥呼が登場するちょっと前くらい(といっても100年くらいあるが)、倭国大乱の時代で、そんな時期に出雲に渡ってきても王になれるとは思えない。
出雲神話だとスクナヒコナ神は渡来人を思わせるところがあるが、大国主命の補佐的立ち位置、重臣だろう。生きていくための術があれもこれも新羅、半島から伝わったとするのは行き過ぎではないか。
娘たちがいっしょうけんめい織った絹も、セオニョの織った絹に比べると、光りかがやくさまはまだまだおとっていました。
この辺りの記述も、古代に出藍の誉れという言葉はないだろうが、日本的な価値観から外れているような気がする。娘たちが「まだまだかなわない」というのなら分かるのだが。
米作が伝わるのはもっと前の時代だろう。加えて、稲作の伝播について現在は長江流域から直接日本に伝播したとする説が有力となっている。教科書レベルで記述が変わるのはまだ先の話(山川出版社の『日本史詳説』の著者は北方説をとっている)だが、考証面での不備を感じさせる。
2世紀頃といっても三国遺事の成立が13世紀で正史から漏れたものを採録しているそうなので、あまり意味がないかもしれない。「ヨノランとセオニョ」では意図的に時代をぼかしているのではないか。ただし、60~120年のズレはあるかもしれない。また、ヨノランとセオニョの伝説は日食を連想させるので、ある程度特定が可能かもしれない。
また、杵築大社(出雲大社)を登場させた意図が分からない。これはヨノランとセオニョを祀ったと考えないと時系列、因果関係が破綻してしまう。出雲地方の児童なら、出雲大社がどういう経緯で建立されたか知らない子はいないだろう。
日韓双方が学べる教材を意図して出雲の神話と韓国の神話を無理に合わせたことに無理があると考える。できるだけ手を入れず素直に相互の神話をほぼそのままの形で子供向けにして比べてみればいい話ではないか。昔の韓国にこんな神話があるけど日本には伝わってない、出雲には日本にはこんな神話がある、それでは駄目なのか? あれもこれもと注ぎ込んで想像する余地は消えている。
明示されていないが、おそらくヨノランが太陽神でセオニョが月神だろう。一方日本の神話では太陽神は女神で月の神は男神(月読命の性別は明示されていないが)だ。太陽と月が消えたという神話なら天岩戸神話を提示すればどうか。比較すれば違いに気づくはず。
他、但馬、播磨の方になるが、記紀には天日槍(あめのひぼこ)の神話も採録されていて新羅神話の一端が伺えることを挙げておく。
この教材で授業を受けた子供が成長して、新羅人が出雲の王となったという神話・伝説を探そうとしたらどこにもそんな話はないとなるかもしれない。「ヨノランとセオニョ」は実質創作神話といって差し支えないだろう。出雲の児童がこの本を読んだら、何かひっかかるものを感じるのではないか。
神話や伝説は史実そのものとは異なるし、創作部分が加わっているから駄目と一概に言えない。歴史の空白に想像を巡らせることは楽しいことだ。神話や伝説は時代に応じて変化していくことも確かだ。
だが、改変された部分があまりに大きく、正直教材としては不適切なのではないか。
つらつらと列挙したけど、原典そのままに近いかたちなら特に異論はない。原典にない改変を加えることで元の伝説の持ち味を大きく損なったと感じる。
子供の頃古事記を読んで、高天原を追放されたスサノオ命をオホゲツヒメ命がもてなすが、汚らわしいとスサノオ命は姫を斬り殺してしまう。すると遺骸から様々な穀物が芽生え、種を高天原に献上したという件に何かしっくりこないものを感じていた。ここではスサノオ命は特に咎められていない。後に日本書紀ではほぼ同じ内容が月読命の神話として語られ、天照大神の怒りを買い日月離反となると知ってようやく腑に落ちた思いがした。比べてみて分かることもあるのだ。
<追記>
NHK教育・ETV特集「日本と朝鮮半島2000年」で女性の韓国人学者がヨノランとセオニョの伝説に触れていた(※二つあるとのこと。もう一つは分らない。そちらに出雲との関連を示すものがあるのかもしれない)。具体的には言及していないが、新羅から出雲に渡った云々なので、この伝説だろう。要するに韓国の人たちは新羅人が出雲を建国したと思いたいのだろう。そういう願望がちらとだが伺えた。
「ヨノランとセオニョ」は21世紀はゼロ年代に再話されたものだが、この内容が韓国で広く受け入れられて定着するのではないか。もともとはシンプルな内容だったのが、時代の変遷とともに内容を大きく変えていくのが伝説や昔話では時に見受けられる。そういう意味で「海を渡った神様」はこれが出典ですと示すため、半永久的に保存する必要があるだろう。
<追記>
ヨノランとセオニョが製鉄や稲作・絹の機織りを伝えたという部分、原典には無いのだけど(セオニョが機を織るくだりはある)、ひょっとするとこの箇所は現代語に翻訳する際に翻案的な意味合いで追加されたのではないか。それに気づかず、そのまま取り入れられた可能性もあるかもしれない。
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