都茂銅山から大森へ
山陰中央新報
特集・石見銀山 : 石見銀山の営み(4)地の恵み 都茂銅山の技術者採掘か
http://www.sanin-chuo.co.jp/tokushu/modules/news/article.php?storyid=504046180
昨年6月の記事。益田市(旧美濃郡)美都町都茂の都茂銅山と大森の石見銀山の関係について触れている。
「日本三代実録」という史書に9世紀頃の石見の動向を垣間見ることができる。
貞観六年(※864年)
十七日甲戌。先是。去年新羅國人卅余人漂着石見國美乃郡海岸。死者十余人。生者廿四人。詔國司給程粮放却。
(「國史大系 第4卷 日本三代實録」黒板勝美/編輯, 吉川弘文館, 2000, 132P)
新羅の国の人が漂着、帰りの糧食を与えて放したという記録。貞観十六年(874年)には渤海の人が漂着したともある。9世紀当時は唐が衰退、また北九州では新羅の入寇も前後した時代であり、異国からの漂着者を警戒していたようだ。
「石見鎌手郷土史」(矢冨熊一郎, 島根郷土史会, 1966, 64-65P)によると、このとき新羅から帰化した人がおり、都茂銅山の発見、地方の開発に功績があったとしている。
益田市比礼振山の佐毘賣山神社
益田市の比礼振山(権現山)に鎮座する佐毘売山神社の由緒書を確認すると、寛平五年(893年)に美濃の国中山南宮神社から金山彦命を勧請したとある。確かに時期的にそれほど離れていない。
上記山陰中央新聞の記事で「(大森銀山の)佐毘売山神社が十四世紀と十五世紀に、益田市の同神社から分霊された」とある。祭神の勧請で技術者の移動が伺えるようだ。
石見銀山の佐毘売山神社
石見地方はたたら製鉄が盛んな地域で、金屋子神社も各地で祀られていた。金山彦命・金山姫命を主祭神とする佐毘売山神社はどうだったのだろうと地図を見、上記記事を読んで得心がいった次第。
◆参考文献
・「石見鎌手郷土史」(矢冨熊一郎, 島根郷土史会, 1966)
・「國史大系 第4卷 日本三代實録」(黒板勝美/編輯, 吉川弘文館, 2000)
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