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2009年1月 2日 (金)

浜田帝都化計画

新年第一弾の記事。暗い世相なので大きく出よう。
石見郷之内  七条村 抑七条村と号以所ハ昔考(※原文ママ)霊天皇此里を帝都にせんとひらき七条迄調、今二条不足に付留り玉ふ故名とす。此天皇陵ハ今吉野にあり。然共実は濱田浅井村の岩神則此御神なり。 高弐百六拾壱石五斗 東上來原村、南ハ長見村、西ハ細谷村、北は伊木村隣り。民業農事を勤。 (「角鄣経石見八重葎」編集・発行者 石見地方未刊行資料刊行会, 1999, 108P)
という一文が目に留まる。七条村は金城町七条辺りだとか。確かに金城は開けた土地も多いが、しかし帝都になんて思いもよらない発想だ。しかも紀元前。いいところまで進んで頓挫するのがお話の原型か。「石見八重葎」は江戸時代の地誌。
「濱田浅井村の岩神」は浜田警察署の隣、石神社だろう。他の段落を読んでいて、どうも意味がとれないなと思っていたのだが、これでようやくある程度は呑み込めた(要するに、拾い読みなので見落としてました…)。
孝霊天皇はいわゆる欠史八代、系図上のみの存在で事績が残されていない。出雲の日御碕神社に残る伝説で孝霊天皇の御世に天竺月氏の鬼が来襲したというものがある。こじつけだが、それに備えたという解釈もできるかもしれない。
そういえば浜田城跡の西側に御便殿という明治期の建物があるのをつい最近まで知らなかった。天皇行幸の折に建設されたものだとか。

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