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2008年12月

2008年12月23日 (火)

金の茶釜と白南天

 「岡見のむかしばなし」(岡見地区生涯学習推進委員会事務局, 2000)という本に収録された「金の茶釜」(文・藤川美穂子/絵・野上良宜)という昔話。簡単なメモを元に起こしてみる。なのでかなり違っている可能性高し。

 三隅町岡見の茶臼山にはその昔、城があった。だが、その城は落城してしまったという。
 それから大分経ったある日のこと。
 老人が茶臼山に出かけたところ、あちこちを掘り返している三人組の男がいた。
 不審に思って離れたところから彼らの様子を伺うことにした。
 やがて男たちは酒盛りをはじめた。すると酒に酔った若者が、
「茶釜が埋められたところには目印に白南天が植えてあるげな」
 うっかり口を滑らせてしまった。
 どうやら落城した際、宝物を埋めたらしい。
 それを聞いた老人は男たちが去った後、茶臼山に白南天の花が咲いていないか隈なく見て回ったが、白南天はどこにもなかった……というお話。

茶臼山城跡登山道案内図
浜田市三隅町の茶臼山・登山口
茶臼山・登山口
茶臼山・登山口。海老谷桜と同じ道沿いにある。

浜田市三隅町・海老谷桜
浜田市三隅町・海老谷桜・倒木
浜田市三隅町・海老谷桜・解説

 地図で確認すると茶臼山は岡見から南へ下ったところにある山。それほど高い山ではないようだ。広辞苑を引くと、南天(ナンテン)は「メギ科の常緑低木。暖地に自生するが生花の材料・庭木として植栽」とある。白南天はその名のとおり白い実を結ぶ。石見地方の植生上、どうなのだろう。
 「金の茶釜 白南天」で検索すると、目印を白南天とするのは全国に伝播した話のようだ。広島市のサイトで似たような話が紹介されている。

武田山の歴史を知る -銀山城落城秘話(伝承)-

 乙子狭姫の伝説ではオホゲツヒメが狭姫に「千年も万年も尽きぬ宝をやろう」と五穀の種を渡す。宝物とはそういうものかもしれない。

◆唐音の白南天――益田市鎌手

 「島根県益田市民話集」(島根大学教育学部国語研究室/編, 島根大学昔話研究会, 1991)に「156唐音の地名の由来」という昔話が収録されている。
 唐音(からおと)という名前がついている処には必ず金が埋めてあるという言い伝えがあるとを紹介している。目印に白南天を植えたというくだりは同じで、数百~数千年前のことだから分かるはずもないが、歴史家が一度訪ねてきたことがあるとしている。
 実際に歴史家が訪れたとは思えず、話に信憑性をもたせるためだろう。

島根県益田市の唐音海岸
益田市鎌手町の唐音の蛇岩。睡蓮の公園が近くにある。

◆雲井城の馬場と白椿――邑智郡邑南町

 「島根県邑智郡石見町民話集 2『妖怪譚』その他」(島根大学教育学部国語研究室/編, 島根大学教育学部国語研究室, 1986)には雲井城という山城の伝説がいくつか収録されている。「240雲井城の馬場・白椿」という伝説(137P)では、雲井城の馬場だったとされるところに金が埋められており、目印として白椿が植えられたという言い伝えである。ただし、白椿を見た者がいるかどうかは分からないとしている。昔の人は金を埋めるときに必ず上へ目印となる木を植えたと結んでいる。

◆参考文献

・「岡見のむかしばなし」(岡見地区生涯学習推進委員会, 2000)
・「島根県邑智郡石見町民話集 2『妖怪譚』その他」(島根大学教育学部国語研究室/編, 島根大学教育学部国語研究室, 1986)p.137
・「島根県益田市民話集」(島根大学教育学部国語研究室/編, 島根大学昔話研究会, 1991)p.95

記事を転載 →「広小路」(※一部改変あり)

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2008年12月21日 (日)

カッパの怖い手紙

隠岐の昔話。

 ある男が川端を歩いていた。すると道端に婆さんが立っていた。
 八郎橋にわしのような婆さんが立っているので、この手紙を渡して下さいと婆さんが頼んだので男は承知して受けとった。
 西郷の町で用事を済ませると男は一軒寄り道した。
 家の者が引き止めたので、男は八郎橋に婆さんがいるので手紙を渡さねばならないと言って断ろうとした。
 八郎橋の方は家がないと怪しんだ家の者が手紙を見せるよういったところ、手紙の裏表、何も書いていなかった。中をあけても何もない。
 やはりそうかと家の者が手紙を水につけたところ、
 ここではまだ日があるのでとれぬ。そこでとれ。そこでとれないなら上《かみ》に渡せ。
 と文字が浮かび上がった。
 カッパに命をとられるところだったと知って男は驚き、家の者の勧めに従ってその晩は泊まって、あくる日に帰った……という話。

 ネットで別の民話を読んだが、隠岐のカッパは怖い話が多いのかもしれない。
 「島根のむかし話」は話者の語り口を活かした文だが、ここでは粗筋の紹介にとどめた。

◆大田市の河童伝説

 「ハロー!この町」という唱歌がある。「サヒメの里(三瓶山麓)」「銀山」が舞台となるので大田市と思われるが、もう一つカッパの話があった。
 それは溺れたカッパの子供を助けたところ、毎日のようにお礼の魚を持ってきてくれるようになった。ただし、決して帰る姿を見てはならないと約束して……という筋で、作中では結末が明らかにされていない。
 どんな結末だろうと思って大田市周辺の民話を収録した本をみたところ、このカッパの手紙の話が目にとまった。おそらく石見にも伝播した話なのだろう。

 「日本伝説大系 第十一巻 山陰(鳥取・島根)」(野村純一他, みずうみ書房, 1984)に「ハロー!この町」で紹介された河童の伝説が収録されていた。帰る姿をこっそり盗み見たところ、それから来なくなったというあっさりした結末であった(212P)。

◆浜田市の河童伝説

 金城町雲城の下来原に永徳寺がある、寺の下の淵はエンコウ淵と呼ばれ、昔、ここで博労(ばくろう)が馬を洗っていたところ、馬の尻尾にエンコウがついて来たので、博労とエンコウの間で争いが起こった。頭の皿の水をこぼしたエンコウは負けてしまったが、博労はエンコウに子供を取らないことを約束させて許してやった。エンコウは「シジュウカラが三羽いるときは他のエンコウが遊びに来ているから淵に入らないように」と告げた。さらに、永徳寺の和尚も石に経文を書き、この文字が消えない間は子供を取るなと言って投げたという。

浜田市金城町来原のえんこう橋
エンコウバシ
えんこう橋下の淵
えんこう橋下の淵
金城町来原のえんこう橋。永徳寺の手前にある。
浜田市金城町来原の永徳寺

◆えんこうの石

 宇津井の庄屋である河上仁右衛門は今から三百三十年(二〇二〇年代では三百七十年前)に宇津井を開拓した人として知られている。自分の財産をなげうって工事を初め、自分も毎日百姓たちの先頭に立って山を崩したり土を運んだりした。

 ある夏の暑い日のこと、仁右衛門がいつものように仕事を終えて、馬に乗って帰ろうとしたが、川岸に繋いでいた馬がいない。

 誰かが連れて帰ったのだろうと、気にも留めずに歩いて家に帰ってみると、馬は馬屋の中に入っていた。ところが戸は開いたままだ。

 誰か知らないが不用心な奴じゃのうと思って馬屋へ近づいた仁右衛門だが、かいば桶の中に奇妙なものを見つけた。何やら黒いものがゴソゴソ動いている。見ると手綱でぐるぐる巻きになったえんこう(河童)だった。

 さては馬に悪戯しようとして手綱が絡まってしまったな。それで馬に引きずられてここまで連れてこられたという訳かと納得した仁右衛門が頭の皿の水が乾いてぐったりしているえんこうをつまみ上げ、散々にぶちのめして放してやった。

 それきり、えんこうの事は忘れていたが、それからしばらく経って仁右衛門は病気になった。ところが、病気になってからというもの、夜になると、外から「仁右衛門、仁右衛門」と呼ぶ声がする。何事かと枕元の刀を手にとって縁側へ出てみると誰もいない。

 そんなことが週五日続いたある日のこと、また呼ぶ声がするので、その日は刀を持たずに縁側に出た。すると木の陰に何やら動くものがいる。

 怪しい奴と仁右衛門は庭に降りて黒い影に近づいた。黒い影はすっと逃げた。つられる様に仁右衛門はふらふらと跡を追っていった。激しい水の音がして、はっと我に返った仁右衛門だった。いつの間にかえんこうの棲む川淵まで来ていた。

 えんこうの仕返しだと思った仁右衛門が辺りを見回すと、橋の傍らの柳の木陰にこの間のえんこうが歯をむき出しにしてこちらを見ていた。

 今度こそ二度と悪さをできんようにしてやると仁右衛門はえんこうに飛びかかった。だが、皿の水がたっぷりあるのか、河童の力は強かった。病み上がりの力では中々ねじ伏せられない。

 取っ組み合いが続いて皿の水が少なくなってきたえんこうは段々と弱くなっていった。仁右衛門はえんこうを掴んで持ち上げると柳の木の側の石に叩きつけた。えんこうは起き上がることもできなかった。

 毎晩の様に声をかけておきながら、なぜ今日に限って姿を見せたのかと仁右衛門が訊くと、えんこうは自分は{金気|かなけ}が苦手なのだ。今日は仁右衛門が刀を持って出なかったから誘いだした。どうか命だけは助けて欲しいと答えた。

 そこで仁右衛門は二度と子供や馬に悪戯するなと言って、ようやく許した。

 仁右衛門がえんこうを打ちつけた石は今も「えんこうの石」と言われて河上家の靴脱ぎ石に使われている。えんこうの皿が当たったからか、石の角は欠けたままである。

◆東北でのバリエーション
盛岡タイムス
 ■〈伝承の周辺〉343 盛岡真人 「カッパの手」(原文ママ)
 こちらの記事に収録されたものは、僧侶が手紙を書き換え、カッパに狙われた娘が富を得るという筋となっている。広く全国に伝播しているようだ。

◆アニメ

 「まんが日本昔ばなし」では「かっぱにもらった宝物」というタイトルでアニメ化されていた。演出:玉井司, 文芸:沖島勲, 美術:玉井司, 作画:大西治子, 日向野徳久(未来社刊)よりとクレジットされている。
 茨城県の話で、結城の釈迦沼のほとりで妖しい子供に手紙を預かったところ、すれ違った山伏が男の死相を見てとり、カボチャの茎を採らせて茎の汁で手紙を書き換える。そして八千代の飯沼のカッパに手紙を渡すが、どうもおかしいと言いつつも宝物をくれ、無事助かったという筋となっている。
 手紙の意図を知り驚くが、引き返すと釈迦沼のカッパに見つかってしまう、先へ進まねばならないという枷があって、こちらの方が物語的に巧く出来ているかもしれない。もっとも、あっさりした結末の伝説も沢山あるので一概には言えないか。

◆参考文献

・「島根のむかし話」(島根県小・中学校国語教育研究会/編著, 日本標準, 1976)pp.166-168
・「日本伝説大系 第十一巻 山陰(鳥取・島根)」(野村純一他, みずうみ書房, 1984)pp.198-221
・「日本昔話大成 第6巻 本格昔話」(関敬吾, 角川書店, 1978)pp.31-41
・「出雲・石見の伝説 日本の伝説48」(酒井董美, 萩坂昇, 角川書店, 1980)pp.97-98.
・『日本の民話 34 石見篇 第一集第二集』(大庭良美/編, 未来社, 1978)pp.268-270.

記事を転載 →「広小路」(※一部改変あり)

 

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本当は怖い? とっつかばとっつけ

本当は怖い? とっつかばとっつけ

「島根のむかし話」(島根県小・中学校国語教育研究会/編, 日本標準, 1976)に収録された「とっつかばとっつけ」というお話(68-70P)。

 昔、あるところにお爺さんとお婆さんが暮らしていた。
 ある日、おじいさんの弁当を持ったお婆さんが山にいくと、どこからか
「とっつかかあ、ひっつかかあ」
 という声がした。
 おかしなことがあるものだと思いつつ、お婆さんは
「とっつかば、とっつけ。ひっつかば、ひっつけ」
 といった。
 そうしたら上の方から"むかご"が飛んできてお婆さんの体にひっついた。
 喜んだお婆さんはむかごを袋に入れてむかご飯をこしらえてお爺さんTと二人で食べた。
 その話を聞いた隣の欲ばりなお婆さんがお爺さんの弁当を持って山に上がると、
「とっつかかあ、ひっつかかあ」
 という声がした。
 欲ばりなお婆さんは大声で
「とっつかば、とっつけ。ひっつかば、ひっつけ」
 といった。
 するとあちこちから松ヤニがべたべたと落ちてきた。
 こらいけんと逃げようとしたが、松ヤニが固くなって動けなくなってしまった…という内容。

※ むかごは山イモの葉のつけねのつくイモのようなもの。珠芽(シユガ)。

 欲ばりなお婆さんが動けなくなったところで話が終わるので、この後どうなったかは受け手の想像に委ねられる。先にお爺さんを山に行かせているので救出されたかもしれないし、動けなくなったまま……とも考えられる。ユーモラスな話だが、意外と怖い締めくくり方かもしれない。

 「日本昔話大成 第3巻」「日本昔話通観 第18巻 島根」では、この話は「人まねはせぬことだ」で結ばれることが多いようだ。また、松ヤニに火が燃え移って爺さんが死ぬとしたものが多い。

◆モチーフ

 「日本昔話通観 第18巻 島根」ではモチーフ構成として、外国の例を援用しているようだが、
・物が魔法で人間にくっつく
・奇跡(魔法)を愚かしくまねる・幸運な男を愚かしくまねる
・貪欲が罰せられる
といった風に分析している。

◆映像

 「島根のむかし話」では飯石郡の昔話として収録されているので出雲の話だが、
http://www.imawi.net/~toyota/9wa/9wayoko.htm
※アドレスコピペしてください
 島根県立大学の教授が中心となって制作した「新・石見風土記」というタイトルのビデオ作品に浜田市田橋町の話として収録されている。なので石見にも伝播しているようだ。

 「新・石見風土記」石央編は浜田市立図書館に所蔵。確認したところ益田市立図書館でも石央編と石西編が所蔵されている。

◆アニメ

 「まんが日本昔ばなし」では「とっつくひっつく」のタイトルで放送されたようだ。「とっつくひっつく」で検索すると、ほぼ同じ内容の昔話がヒットするので間違いないだろう。
 スタッフは、演出:フクハラ・ヒロカズ, 文芸:沖島勲, 美術:福井のり子, 作画:フクハラ・ヒロカズ。出典は不明。
 フクハラ演出作品は可愛い絵柄でカクカクと独特の動き(これが実は高度なテクニックなのだとか)で印象的。残念ながら現在は視聴できないようだ。

◆余談

 子供の頃は松の古木が多かったのだが、松枯れ病で多くが消えていった。松ヤニは洗っても中々臭いがとれなかったことを思い出す。

◆参考文献

・「島根のむかし話」(島根県小・中学校国語教育研究会/編著, 日本標準, 1976)pp.68-70
・「日本昔話大成 第3巻 本格昔話」(関敬吾, 角川書店, 1978)pp.266-278
・「日本昔話通観 第18巻 島根」(稲田浩二, 小沢俊夫/編, 同朋舎, 1978)pp.43-55

※「とっつくひっつく」のスタッフ一覧は
狢工房
http://mujina.agz.jp/index.html
を参照した。

記事を転載 →「広小路」(※一部改変あり)

 

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