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2008年11月22日 (土)

出雲からそれるが…

出雲学通信・第4号 第3回出雲学フォーラム「出雲が存在した謎」

を読む。学説の別れる細かいところは判断できないが、一応読めた。ちょっとは知識がついてきたのかもしれない。

考古学的には大まかに出雲、吉備、大和、北九州、越(北陸)、東海と勢力範囲が分かれる。出土品から各勢力の関係がどう変遷していったか推論していく内容。

奈良の纏向(まきむく)にはいつか行ってみたい。倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)は卑弥呼や天照大神とどこかイメージ的に重なる部分があるように思える。といっても陰(ほと)を突いて亡くなった――天照大神に仕える巫女が――とかだが。巫女的存在であったのは間違いなかろう。

邪馬台国畿内説では箸墓古墳が築造時期や規模から卑弥呼の墓と有力視されているとのこと。昼夜休むことなく塚が築かれたというのは急な死を暗示しているのか。古事記では百襲姫にはあまり触れていないようなので、記紀の対比としても興味深い。

でも、生き埋めにされた生口の骨が出てきたりしたら嫌だ。ただ、魏志倭人伝の記述は伝聞によるものだろうから必ずしも正確な姿を伝えているとは限らない。

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