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2008年10月29日 (水)

懺悔 m(_ _)m

「那賀郡誌」に収録された胸鉏比売の伝承が気に入ってあれこれ調べたりしたが、この項を執筆したのは大島幾太郎という明治~大正~昭和にかけて活動した教員で郷土史家。浜田出身。 「那賀郡誌」の史観がユニークなものだったので、面白半分に受け取った時期もあった。大変申し訳ございませんでした。先人の足で稼いだ努力がなければ今こうして伝説のルーツを遡ることはできませんでした。 史料のない時代についてはある意味、想像を自由に働かせている。まあ、知りえないことについては語らない方がいいのかもしれない。大正時代にDNAの知見はなかったし、現在の視点でみるとそれはどうかと思われる箇所もいくつか見られる。戦前と戦後では日本神話の受けとめ方も異なる。もっとも時代が下って史料の残された時代になると、そういう面は消える。 「那賀郡史」の序文、子息の大島韓太郎氏が執筆したものによると、「那賀郡史」の発行は戦争の勃発で中断。「那賀郡史」の遺稿は戦後になってようやく日の目をみたそうだが、いくつか愚痴めいたことが書かれていた。実際あったなら激怒ものの内容。


◆参考文献


・「那賀郡誌」(編纂 那賀郡共進会展覽会協賛會 大正5年発行 昭和61年復刻版) ・「那賀郡史」(大島幾太郎/著, 大島韓太郎, 1970) ・「郷土史家人名事典 地方史を掘りおこした人」(日外アソシエーツ 2007/12)

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