鳴き砂と琴ヶ浜――琴姫さん
◆琴ヶ浜
島根県大田市仁摩町馬路(にまちょうまじ)の琴ヶ浜。
「島根のむかし話」(島根県小・中学校国語教育研究会/編, 日本標準, 1976)に琴ヶ浜の伝承が収録されている。「琴姫さん」(245-248P)という題で収録されている。
都から落ち延びてきた姫を村人が介抱する。回復した姫は浜で琴を弾くようになった。が、再び病に臥した姫は介抱の甲斐なく亡くなってしまった。それが琴ヶ浜の名の由来であるという内容。
「出雲・石見の伝説 日本の伝説48」(酒井董美, 萩坂昇, 角川書店, 1980)で紹介された琴姫伝説は「源平の争いが源氏方の勝利で終わった寿永四年(1185)春」のこととされている。
琴姫が亡くなった後、浜を歩くと砂が鳴るようになった。これは琴姫の魂がこの浜に留まって自分たちを慰めてくれているのだと琴ヶ浜の名の由来を語っている(74P)。
また、「琴姫伝説」と題して再話したものも掲載されている(225-230P)。
◆琴姫の墓
琴姫の遺骨は、大正の初め言い伝えの場所から出てきて、今は満行(まんぎょう)寺に納められている。そして、昭和四十二年には琴姫墓碑が建てられて供養が続けられている。
「出雲・石見の伝説」(同, 230P)
とある。実際の出来事に基づいた伝説なのだろうか。満行寺は馬路(まじ)のお寺。75頁に写真が掲載されているので、琴姫のものと称する墓は実在する。
琴姫の墓。満行寺ではなく、琴ヶ浜駐車場の側に立っている。
琴姫伝説
むかし、源平の戦いで平家が壇の浦に敗れた春のこと。ただひとり小舟に身を託して逃げのびた美しい姫が琴を抱いて気を失っていました。やっと石見の海岸に流れついて、村人たちの手厚い介抱に元気を取りもどした姫は、毎日琴を奏でては、村人たちの心を慰めていました。
ところがある日突然この世を去ってしまいました。
敬愛していた姫の死に村人たちは嘆き悲しみ、浜の見える丘に姫をねんごろに葬りました。
すると次の日からあたかも琴を奏でるような、美しい音色で浜が鳴り始めました。
これは、きっと姫の魂がこの浜にとどまって村人たちを励ましてくれているのでは‥‥ 馬路の人びとのやさしさを象徴する言い伝えとなりこの浜を琴ヶ浜と呼ぶようになりました。
琴ヶ浜観光協会
平成十六年三月二十日竣工
◆未来社『石見の民話』
未来社『石見の民話』第一集では、琴の名手である琴姫は壇ノ浦の戦いを落ち延びるも嵐の海で船は砕けてしまった。そうして琴を抱いた琴姫の遺骸が石見の海岸に打ち寄せられた。村人は琴姫を埋葬する。すると翌朝から浜の砂が鳴るようになった。これはきっと可哀想な琴姫が聴かせているのだと村人たちは言い合った。それからしばらく後、浜に盲目の老人が現れた。老人は鳴き砂の音を聞くと琴姫の琴の音に違いないと言う。老人は琴姫の父であった。老人は海へと入っていき、やがてその姿が見えなくなった……という内容となっている。
◆アニメ
まんが日本昔ばなしで「琴姫物語」としてアニメ化されている。演出:青木稔、文芸:沖島勲、美術:青木稔、作画:青木稔。詳細は不明。※貉工房のサイトを参照した。
◆砂時計
少女漫画「砂時計」は琴ヶ浜の鳴き砂、仁摩サンドミュージアムで売っている砂時計がモチーフ。ドラマ化、映画化もされている。映画では琴ヶ浜でなく、石見海浜公園での撮影だったようだ。琴ヶ浜も十分広いし、理由は分からない。
◆余談
残念ながら砂の音は聞こえなかった。曇り空で厚い雲が低く垂れ込めているのが日本海的な風景か。
◆参考文献
・「出雲・石見の伝説 日本の伝説48」(酒井董美, 萩坂昇, 角川書店, 1980)p.74, pp.225-230
・「島根のむかし話」(島根県小・中学校国語教育研究会/編, 日本標準, 1976)pp.245-248
・「日本の民話 34 石見篇 第一集第二集」(大庭良美/編, 未来社, 1978)pp.13-18.
記事を転載 →「広小路」(※一部改変あり)
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