入水した蛇姫――小さな池の昔話
◆はじめに
その池――谷田(やだ)の池は元は大きなものだったのを江戸時代に干拓したらしい。難工事だったようで池にまつわる伝説がある。「随筆 石見物語」(木村晩翠, 白想社, 1993)、「石見の民話 第二集」(大庭良美/編, 未来社, 1978)などにも収録。
『浜田市誌 下巻』に収録された伝説は、要約すると以下の通りである。
出雲国意宇郡矢田村の豪族に美しい姫がいた。姫は物心つくと国分村の谷田の池を恋い慕うようになった。姫自身も解せぬ不思議な因縁で、執着は募るばかり。姫が十六歳になった卯月のことであった。思い詰めた姫は石見谷田池のほとりにある祠堂は霊験あらたかと聞く。一度詣でたいと父に申し出た。父母や侍女たちは石見路への長旅を諫めたが、姫のあまりの真剣さに、周囲の人々も従わざるを得なかった。姫の乗り物と行列は日数をかけて国分村へ着いた。朱泥を流した様な落日の下で、谷田池の水面は蛇のウロコを思わせるように白く光っていた。祠へ詣でた姫は池のほとりに降り立ち、水を掬おうとした瞬間、吸われる様に池の中に沈んでいった。姫は元々この池の蛇の化身ともいい、また、この池に年ふる蛇に魅入られたとも言う。
「浜田市誌」下巻によると、
・長者の娘が入水して蛇になったこと
が類話と共通しているとある(764P)。姫が池に身を投げたという伝説は全国各地にあるし、難工事を池の主の蛇に喩えた、ということであろう。
上府とつながっているのは安国寺前の池とのことで、そういう池があったか思い出せないが、小さな池のようなものはあったかもしれない。安国寺ゆかりのお話でもある。
なお、「蛇鱗一片は、蛇足ながら河童の証文と同じく、実在性を強調する伝説の常套手段である。」(766P)とのこと。
また一説に、谷田の池が狭くなったので、地中で続いている上府の安国寺門前の池にも現れ、説教を聴聞して法悦にひたり、随喜の涙を流して解脱成仏し、鱗一片を残して昇天した。よって門前の池を涙が池という。その後浜田藩の家臣某が、この鱗を持ち帰ったので、後で安国寺は火災に遭った。(765-766頁)
……とある。
江戸時代の地誌「石見八重葎」にも池の記述がある。
矢田池 [往昔名真魚(マナ)の池]
雲州楯縫(タテヌイ)群山代郷矢田村某ノ姫此池ニ沈ム故ニ矢田池ト云リ。古ヘハ真魚井ノ池ト云トナリ。此姫カノ真魚井ノ池を見度由ニテコゝニ來リテ池ニ飛込沈ムトナリ。其父母コレヲ慕ヒ來りケレモ姫ハ虵(※蛇の異体字)トナリ出テ父母ニ見ヘシとナリ。其父母の駕籠をおろしたる所を今輿ヶ岬ト云り。
井甘郷之内
国分村
抑此村往昔真魚井村ト申。其故ハ古ヘ井甘の郷国司御座候時此所の池にて多くの諸魚を飼置諸鳥共ニ他の人取事ヲ止メ御上の御料理の御用ニ被遊候所故此池を真魚井(マナイ)の池と申此池有故に真魚井村と云。
◆余談
安国寺の池は埋め立てられて駐車場となったそうである。昔は蓮池だったようだ。池から大蛇が頭を出したという伝承もあって、谷田の池と上府がつながっていると説いている。
谷田池を確認。周囲が宅地化されて鉄道や道路から見えなくなっていた。国道9号線・「谷田」バス停付近に下へ降りる階段がある。階段を降りて東側。ちょうど近くにローソンがあるので車を停めて徒歩で行く。その後ローソンで買い物。
子供のときは元は大きな池だったのを知らなかったので、あんな小さな池に身投げしても? と思っていた。傍まで行ってみると、周囲にはフェンスが張られ、「危険 立ち入り禁止」と看板があった。何となく納得いく。
◆参考文献
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