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2008年2月

2008年2月16日 (土)

入水した蛇姫――小さな池の昔話

◆はじめに

 昔、汽車に乗って東へ向かったときのこと。下府駅を過ぎ国分の辺りで母が車窓の向こうにある小さな池を指した。その池には昔、姫が身を投げたという伝説があるそうだ。そして、その池は山向こうの上府とつながっているともいう。

浜田市国分町の谷田の池
谷田の池・アップ
浜田市国分町の谷田の池。小さな池です。

 その池――谷田(やだ)の池は元は大きなものだったのを江戸時代に干拓したらしい。難工事だったようで池にまつわる伝説がある。「随筆 石見物語」(木村晩翠, 白想社, 1993)、「石見の民話 第二集」(大庭良美/編, 未来社, 1978)などにも収録。

 『浜田市誌 下巻』に収録された伝説は、要約すると以下の通りである。

 出雲国意宇郡矢田村の豪族に美しい姫がいた。姫は物心つくと国分村の谷田の池を恋い慕うようになった。姫自身も解せぬ不思議な因縁で、執着は募るばかり。姫が十六歳になった卯月のことであった。思い詰めた姫は石見谷田池のほとりにある祠堂は霊験あらたかと聞く。一度詣でたいと父に申し出た。父母や侍女たちは石見路への長旅を諫めたが、姫のあまりの真剣さに、周囲の人々も従わざるを得なかった。姫の乗り物と行列は日数をかけて国分村へ着いた。朱泥を流した様な落日の下で、谷田池の水面は蛇のウロコを思わせるように白く光っていた。祠へ詣でた姫は池のほとりに降り立ち、水を掬おうとした瞬間、吸われる様に池の中に沈んでいった。姫は元々この池の蛇の化身ともいい、また、この池に年ふる蛇に魅入られたとも言う。

 姫ではなく長者の娘のようだが、池の主に魅入られたのか、娘は周囲の制止を振り切って入水してしまう。

「浜田市誌」下巻によると、

・長者の娘が入水して蛇になったこと
・法力により成仏して昇天すること
・形見に鱗一片を残すこと

が類話と共通しているとある(764P)。姫が池に身を投げたという伝説は全国各地にあるし、難工事を池の主の蛇に喩えた、ということであろう。

 上府とつながっているのは安国寺前の池とのことで、そういう池があったか思い出せないが、小さな池のようなものはあったかもしれない。安国寺ゆかりのお話でもある。

 なお、「蛇鱗一片は、蛇足ながら河童の証文と同じく、実在性を強調する伝説の常套手段である。」(766P)とのこと。

また一説に、谷田の池が狭くなったので、地中で続いている上府の安国寺門前の池にも現れ、説教を聴聞して法悦にひたり、随喜の涙を流して解脱成仏し、鱗一片を残して昇天した。よって門前の池を涙が池という。その後浜田藩の家臣某が、この鱗を持ち帰ったので、後で安国寺は火災に遭った。(765-766頁)

……とある。


 江戸時代の地誌「石見八重葎」にも池の記述がある。
矢田池 [往昔名真魚(マナ)の池]
雲州楯縫(タテヌイ)群山代郷矢田村某ノ姫此池ニ沈ム故ニ矢田池ト云リ。古ヘハ真魚井ノ池ト云トナリ。此姫カノ真魚井ノ池を見度由ニテコゝニ來リテ池ニ飛込沈ムトナリ。其父母コレヲ慕ヒ來りケレモ姫ハ虵(※蛇の異体字)トナリ出テ父母ニ見ヘシとナリ。其父母の駕籠をおろしたる所を今輿ヶ岬ト云り。
 また、国分村の条、
井甘郷之内
  国分村
抑此村往昔真魚井村ト申。其故ハ古ヘ井甘の郷国司御座候時此所の池にて多くの諸魚を飼置諸鳥共ニ他の人取事ヲ止メ御上の御料理の御用ニ被遊候所故此池を真魚井(マナイ)の池と申此池有故に真魚井村と云。
 原文は漢文で、読み下したものを参照した。「角鄣経石見八重葎」(石見地方未刊行資料刊行会/編, 石見地方未刊行資料刊行会, 1999)p.113

◆余談

  自分にとって最も身近な伝説であるが、この池がどこにあるのか分からなくなってしまった。9号線を通っても、JR山陰本線に乗ってもそれらしき池が見当たらない。いつか足を運んでみたいと思っている。

 安国寺の池は埋め立てられて駐車場となったそうである。昔は蓮池だったようだ。池から大蛇が頭を出したという伝承もあって、谷田の池と上府がつながっていると説いている。

浜田市上府町の安国寺
安国寺・本堂
安国寺・蓮池
安国寺・蓮池
浜田市上府町の安国寺と蓮池。道路脇の白い所が駐車場。蓮池は境内に残されていました。

 谷田池を確認。周囲が宅地化されて鉄道や道路から見えなくなっていた。国道9号線・「谷田」バス停付近に下へ降りる階段がある。階段を降りて東側。ちょうど近くにローソンがあるので車を停めて徒歩で行く。その後ローソンで買い物。

 子供のときは元は大きな池だったのを知らなかったので、あんな小さな池に身投げしても? と思っていた。傍まで行ってみると、周囲にはフェンスが張られ、「危険 立ち入り禁止」と看板があった。何となく納得いく。

◆参考文献

・「石見の民話 第二集」(大庭良美/編, 未来社, 1978)
・「随筆 石見物語」(木村晩翠, 白想社, 1993)pp.120-122
・「角鄣経石見八重葎」(石見地方未刊行資料刊行会/編, 石見地方未刊行資料刊行会, 1999)
・「浜田市誌 下巻」(浜田市誌編纂委員会/編, 1973)pp.764-766
・『日本の民話 34 石見篇』(大庭良美/編, 未来社, 1978)pp.253-255.

記事を転載 →「広小路」(※一部改変あり)

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2008年2月 4日 (月)

She Moved Through the Fair

アイルランド民謡に「She Moved Through the Fair」という曲がある。
両親に結婚を反対された娘が死んで恋人の夢枕に立つという内容。

My young love said to me:
"My father won't mind.
And my mother won't cite you
for your lack of kind."
Then she drew closer to me
and this she did say:
"It will not be long, long, love,
'till our wedding day."

She stepped away from me,
and She Moved Through the Fair.
And fondly I watched her
move here and move there.
And then she went homeward
with one star awake
As the swan in the evening, the evening
moves over the lake.

Last night she came to me;
she came softly in.
So softly she came
that her feet made no din
And she laid her hand on me,
and this she did say:
"It will not be long, long, love,
'till our wedding day."

 僕が聴いたのは、アート・ガーファンクル(サイモンとガーファンクルのガーファンクル)のアルバム「ウォーターマーク」に収録されたもの。
 ちくま書房、イェイツ編のアイルランド民話集を読んだとき、何かもの悲しさを感じたが、この曲もそうかもしれない。

Youtubeで"She Moved Through the Fair"を検索すると多くのミュージシャンがヒットする。愛されている証か。

古くからある歌で現在のは古語を現代語に置き換えたものだそうだ。なので歌詞には色々なバリエーションがあるようだ。"through the fair"は直訳すると「市を通り抜けて」くらいだろうか、アルバム「ウォーターマーク」では「優雅に」と意訳している。Fairには「市」(スカボロー・フェアなど)の他、「公平な(フェアな)」や「きれいな、美しい(フェアレディなど)」という意味もあってそこからだろうか。

"for your lack of kind" の "kind" だが、余所のサイトを参照すると古語で雌牛、畜牛を指す "Kine" としているものがある……あったはず。。。kind, kindness の欠如「優しくない」と kineの欠如「財産がない」「貧しい」ではニュアンスが全く異なってくる。

こちらのブログで紹介されている歌詞と比較すると、上で紹介した歌詞は3段落目が省略されている。
And that was the last
That I saw of my dear.
とある。これによると夢枕に現れたのは4段落目以降、それまでは…とニュアンスがはっきりするか。youtubeの動画がいくつか紹介されているが、3段落目は省略して歌っているケースもある。

自分でも訳してみたりしたが、上記ブログの訳を読むことで何となく得心がいったように思える。その上で第3段落を省略する理由も分かるような気がする。

記事を転載 →「広小路」(※一部改変あり)

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