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2008年1月

2008年1月15日 (火)

亡霊――お花峠

◆はじめに

 現益田市(旧美濃郡)美都町下都野を舞台にした「お花峠」という昔話がある(「島根の伝説」(島根県小・中学校国語教育研究会/編, 日本標準, 1981)。

◆あらすじ

 慶長五年(一六〇〇年)、下都茂(しもつも)(今の美濃郡美都町)の増野原(ましのはら)に増野城があった。城主増野式部太夫(ましのしきぶだゆう)には丹解(たんげ)と運八(かずや)という二人の子供がいた。式部太夫は次男の運八を毛利輝元に人質としてさし出していた。このため、運八は萩の府佐(ふさ)城で暮らしていた。運八は城中でも評判の武士だった。お花という美しい侍女がいた。運八とお花は互いに惹かれあった。そこで輝元は二人を縁組させ増野城に帰すことにした。二人が増野城に帰ると大変な評判となった。

 ところが兄の丹解がお花に懸想していまった。あまつさえ、自分の妻にしたいとさえ願うようになった。丹下は弟の運八を遠いところに使いに行かせたり、城中に泊まり込みをさせて城の警固にあたらせたりした。兄の心を察した運八は、兄の心を乱してはならないと父式部太夫に頼んでお花を連れて増野城を離れ、蛇の久保(じゃのくぼ)で暮らすことにした。

 しかし丹解はお花のことが忘れられず、家来に相談した。二人は運八を殺すことにした。しかし運八の武芸は優れていた。そこで家来は策を用いることにした。

 正月の二日になった、運八や他の家臣たちも登城して式部太夫や丹解に新年の挨拶をした。宴が始まった。家来は運八に自宅でもてなすと誘った。運八は家来の家を訪れた。酔った運八がやって来て式台(客の送り迎えをして礼をするところ)に上がったとき、突然、横手に積んであったもみ俵が崩れ落ちた。下敷きとなった運八はあえない最期を遂げてしまった。

 あくる日、蛇の久保のお花の許へ丹解の使いの者が手紙を持ってやって来た。夫運八の病死の知らせであった。病死とはおかしいと思ったお花は供を連れ城に赴いた。やはり運八は死んでいた。死に際の苦しさが顔に現れていた。お花はやりきれなかった。蛇の久保の村人たちは運八の死を惜しんだ。

 春になった。丹解の家来がお花の許に通うようになった。丹解の屋敷に住むように勧めていたのである。お花は夫を弔うのが自分の務めであると断り続けた。

 丹解は何としてもお花を連れ出せと命じていた。ある日、ものものしい音がするのでお花が外を窺(うかが)うと、丹解がやって来た。二人の家来がお花を抱きかかえ、駕籠(かご)の中に入れ、鍵をかけた。やがて駕籠は村境の今宮(いまみや)峠に差し掛かった。一息入れようと駕籠を下ろすと、お花は舌をかみ切って死んでいた。丹解は悔しがった。駕籠は蛇に送り返された。

 弔いの日は大荒れとなった。村人たちは恐れおののきながらお花を手厚く葬った。気がとがめたのか丹解と家来も加わっていた。

 弔いが終わり、丹解と家来が今宮峠を越えようとしたとき、前の方から青い火のようなものが飛んできた。不思議に思い、様子を窺おうと立ち止まると、死んだはずの運八とお花が刀を抜いて斬りつけてきた。丹解と家来は驚き、必死に逃げた。妙義寺(みょうぎじ)に飛び込んで、今までのことを一部始終和尚に話した。むごい仕打ちを受けた二人がさ迷っているに違いないと、ねんごろにお経をあげて霊を弔った。

 今宮峠にはやがて地蔵様が祀られ、今宮霊社(れいしゃ)という祠も建って、人々は二人の霊を祀り慰めた。この辺りの人は今宮峠のことをお花峠と呼んで、今もなお二人のことを偲んでいる……というお話。

兄は妙義寺に駆け込み、その後二人は供養されたというあっさりした結末。理不尽な話であるが、そこが魅力として感じられる。この民話集は何故だか暗い理不尽な話が多く、心に残っている。現代なら良心の呵責に耐えかねた兄のみた幻想、という解釈だろうか。

益田市七尾町の妙義寺
妙義寺・山門
妙義寺・本堂
妙義寺・山門のご紋・おそらく益田家のものか

 兄が駆け込んだ寺は妙義寺とある。益田市七尾町の妙義寺か。七尾城にも近い。未確認。
 地図で今宮峠を探すが分からない。運八がお花と暮らしたのは蛇の久保の辺り。これは確認できた。下都茂の増野原、増野城もその周辺だろう。

◆参考文献

・「島根の伝説」(島根県小・中学校国語教育研究会/編, 日本標準, 1981)pp.108-115
・「夕陽を招く長者 山陰民話語り部シリーズ1」(民話の会「石見」/編, ハーベスト出版, 2013)pp.63-66

記事を転載 →「広小路」(※一部改変あり)

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2008年1月13日 (日)

遅いけど――校定石見神楽台本の入手方法

神楽の台本で検索してきた方がいらっしゃる。

「校定石見神楽台本」(石見神楽振興会)、浜田市立図書館に所蔵されているので主要な演目はそれで確認できるでしょう。注釈も詳細だと思います。

石見神楽グッズ 口上台本
http://www.kankou-hamada.org/modules/kagura/index.php?content_id=5

浜田市観光協会のサイトで購入できるようです。

<追記>

現在はJR浜田駅の土産物コーナーで「神楽の台本ください」と言えば出してくれます。

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2008年1月11日 (金)

帰省あれこれ 2008.冬

広島で高速バスに乗る。中国縦貫道は冬タイヤ規制。一面の雪景色。雪で大幅な遅れ。
「ハリー・ポッター」DVDを再生して家を出る。帰って訊いてみると、暗くてよく分からないらしい。
DVD「天然コケッコー」を観る。
DVD「シリアナ」観る。よく分からない。吹替でみる方がいいか?
DVD「ペリカン文書」みる。両面1層という珍しいディスク。
「銀河ヒッチハイクガイド」を読み終える。
母のPC、バックライトが故障。
山口の兄の新居へ。
敷地が広く、間取りも開放感ある造り。
甥っ子、寝ていた。起き出すと、ドタンバタンと跳ね回る。なぜか母(祖母)にヘッドバット。母曰く、痛かったらしい。
浜田市立図書館に行く。圧縮陳列のごとし。
朝日町商店街の本屋で天然コケッコーのコミックス版、全巻揃う。現在は文庫版が主流になっているようなので、ラッキーだったか。
益田市立図書館に行く。石見八重葎あり。原文は漢文。読み下した資料もあった。
「那賀郡誌」は大正5年刊(復刻版)であった。

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