胸鉏比売――石見地方の異伝
以下、十羅刹女というキーワードが出ますが、仏教本来のものではなく、神仏習合したものです。また、島根県石見地方のローカルな伝承です。
中世出雲の神話で、謡曲「御碕」で広く知られるようになった。現在では神楽「日御碕」「十羅」として継承されている。江津市の異伝で神楽の前段的エピソードにあたるが、姫の人物像に陰影を与えている。
◆田心姫、もしくは胸鉏比売
上記の粗筋は「島根の伝説」(島根県小・中学校国語教育研究会/編, 日本標準, 1981)を元にした。「那賀郡誌」「那賀郡史」など姫の名を胸鉏比売(※「鋤」は金へんに且)としたものもある。「石見八重葎」という江戸時代の地誌では波子の条にこの伝承が収録されている。
かくれ岩の伝説
神代の昔、「波子(はし)の浦」に見目(みめ)美わしき六・七歳の童女、「ハコブネ」に乗って漂着した。
近くに住む老夫婦、子供のないまゝいたく喜んでこの童女を慈しみ育てゝいたところ、この娘十二・三歳のある夜、「出雲の国」に異変あるを知って直ちに帰国せんと思い立ち老夫婦に、まことに吾が名は「胸鉏姫(むなすきひめ)」とて出雲の国の神の子直ちに帰国して難を鎮めるべしと、止める老夫婦をふり切って出雲の国へ向う途中この地の椎の木の茂る、大岩の陰に身をかくし、追跡の目を逃れ後大功を立てしと言う。老夫婦、「浅利(あさり)の浦」まで辿り力つきて亡くなったと言う。
以来この岩を「かくれ岩」又は「かくれ岩大明神」と稱え、この地の人から崇められ今日に及ぶ嘉久志の地名はこれより生じたと古老達は伝う。
胸鉏姫命(むなすきひめのみこと)は波子早脚(はやし)神社に祀られ給う。
(以下略)
※「鋤」は金へんに且
「江津市誌 下巻」(江津市誌編纂委員会/編, 江津市, 1982)では「じいさん井戸・ばあさん井戸(浅利)」として収録されている(1398-1400P)。内容は「那賀郡誌」に記載されたものを現代語に直したものに近いが、姫に去られた老夫婦の悲しみの涙が高仙の巌に溜まって"ぢいさん井戸""ばあさん井戸"となったという結末となっている。
ばあさん井戸
むかしむかし、石見のはし浦(今の江津市波子(ごうつしはし)町)に小舟が流れ着きました。中には6、7才の女の子が乗っていました。子どものいないおじいさんとおばあさんは娘になってくれるようにたのみました。娘はうなずき、それから二人は家に連れて帰り大事に育てました。
娘が13才になった年の冬、「出雲の国に帰らせてください」と二人にとつぜん伝えました。夜中におじいさんが目をさますと、もうすでに娘は家を出たあとでした。おじいさんとおばあさんは驚いて、必死で娘のあとを追いました。しかし、力つきて二人はなくなりました。それがこの場所です。じいさん井戸はこの先の左手にあります。
※ルビは一部を除いて省略しました。
◆伝説
なお、玄松子の記憶というサイトによると、本殿左側の左の祠が薗妙現早脚社とのこと。ここに胸鉏比売は祀られていることになる。
◆十羅刹女の和装化
厳島神社の「平家納経」に描かれた十羅刹女・黒歯像は十二単を身にまといつつ抜き身の剣(金剛杵か)をかざしている。本来なら、先ずこういうところから話を起こすのが適当なのかもしれない。
※「十羅刹女 厳島神社」で画像検索すればヒットします。
増記隆介. (2003). 「我が国における普賢十羅刹女像の成立と展開―「和装本」を中心に」. 「Canone 規範性と多元性の歴史的諸相」第四部 研究班―目標と活動―(平成14年11月~15年6月)2003年6月21日研究会
◆勧進状
【花山院耕雲筆日御碕社修造勧進状】
雲州日御碕靈神、乃、昔者月支國惡神插利兵、乘巨航而來冦。其鋒弗可當也。蓋、欲復荒地山乃舊土也。時吾神飛靈劍振威勇、賊兵蓋漂沒。是孝靈天皇六十一年十一月也。爾来、異國防禦之神、至今弗絶。
(中略)
沙門明魏拜書(朱印)[耕雲]
龍集 庚子[應永二十七] 仲夏廿有六日也。
(以下略)
「神道大系 神社編 36 出雲・石見・隠岐国」(神道大系編纂会/編, 1983)pp.3-4
「荒地山(あらちやま)の旧土を復さんと欲して」とあるのは、おおざっぱに説明すると、仏教でいう須弥山の角が欠けて出雲に流れ着いたのを神が搗き固めた。それを取り返しに
【神能集卷(抄)】
日御碕
(中略)
早笛、鬼詞
能見れハ、背に千法の靫を負ひ、御腰に十握の劔を帶き、御手には天の香語弓・天の羽ゝ矢を取揃、たけびにたけつてせめ來ルむくりをふせき給ふは、そもいかなる神やらん。
(中略)
鬼詞
虚くり(高句麗)の彦春といへる鬼人なり。たいつら(提頭賴)王・こんぴら(金毘羅)王といふも、皆我衆の内なり。惣而八万四千の鬼の囗、三韓(三界無安)いによ(ママ)火煙の煙かけ(くりかえし)、鬼界か嶋とか成なり。
(中略)
切
實に日の本の神軍、攻來る虚くり(むくり)をふせき玉ひて、天下の主我そと云て、(くりかえし)、神は社に入にけり。
終
「神道大系 神社編 36 出雲・石見・隠岐国」(神道大系編纂会/編, 1983)pp.46-47
出雲地方の伝説では国引き神話で引き寄せた新羅の国の一部を月支国王彦玻瓊(ひこはる)王が取り返しに来た。それを小野検校家の先祖である明速祇命(あけはやずみのみこと)が防いだという内容のものがある。また、妄胡利(むくり)の大群が押し寄せたとしたものや渤海国が攻めてきたというバリエーションもある(「出雲隠岐の伝説」石塚尊俊/編著, 第一法規出版, 1977)pp.34-36。
「中世出雲神話と須弥山の隅」※中世出雲神話について。
◆謡曲「御碕」
一年天竺月支國、うしとらのすみかけ落ち、海上にうかみ風波にしたがひ、豊葦原出雲の國に流れしより、不老山となる。
「謡曲全集 下巻 国民文庫」(国民文庫刊行会/編, 国民文庫刊行会, 1911)p.321
我は是そさのをのみことの第三の姫にて候
「謡曲全集 下巻 国民文庫」(国民文庫刊行会/編, 国民文庫刊行会, 1911)p.322
抑ゝ母君と申し奉るは、はらげつら龍王の姫宮、鹽干(しほひ)のひる間のつれゞれに、さきの浦に濱あそびしたまふに、然るにそさのをのみこと、よなよな通ひ給ひしが共、つひになびかせ給はざりしが、如何なることにや、かりにしたがひ給へば、程なく懐姙ましまして、十三月と申すには御産のひもをとき給ふ。
「謡曲全集 下巻 国民文庫」(国民文庫刊行会/編, 国民文庫刊行会, 1911)pp.322-323
思はぬ中の子なりけりとて、柏の葉につゝみ、是は汝が父、守護の爲におかれし、とづかの劔を取そへ海底にしづめ給へば、あたりなる小島が磯により給ふ。
「謡曲全集 下巻 国民文庫」(国民文庫刊行会/編, 国民文庫刊行会, 1911)p.323
漁人夫婦出けるが、もくづの中をあやしめば、柏の葉につゝめるものありけるが、あたりもかゞやくばかりなる、玉姫にておはします。我等今まで、子のなき事をなげきしに、是は天のあたへとぞと、よろこびの袖にいだきとり、我が家に歸りいつき、かしげる程に
「謡曲全集 下巻 国民文庫」(国民文庫刊行会/編, 国民文庫刊行会, 1911)p.323
答えていはく、王子第三女、今年は十一歳
「謡曲全集 下巻 国民文庫」(国民文庫刊行会/編, 国民文庫刊行会, 1911)p.323
抑ゝこれは、北天竺月支國、ひこはねの天皇とはわが事也
「謡曲全集 下巻 国民文庫」(国民文庫刊行会/編, 国民文庫刊行会, 1911)p.324
さても我國うしとらのすみかけて落ちしが
「謡曲全集 下巻 国民文庫」(国民文庫刊行会/編, 国民文庫刊行会, 1911)p.324
即ち女體は十羅刹女と現じ給ひ、國土豊かにうごかぬ御代とぞ成りにける。
「謡曲全集 下巻 国民文庫」(国民文庫刊行会/編, 国民文庫刊行会, 1911)p.325
「未刊謡曲集 続 14(古典文庫 第571冊)」(田中允/編, 古典文庫, 1994)に「御崎(異本)」として収録されている(192-204P)。別名……十羅刹・むら雲・十柄・十柄劔・出雲十柄とある。
◆謡曲「大社」
われはこれ、出雲の御崎に跡を垂れ、佛法王法を護りの神、本地十羅刹女の化現なり。
容顔美麗の女體の神、容顔美麗の女體の神、光も輝く玉の簪かざしも匂ふ、袂を返す、夜遊の舞樂は、面白や。
「解註 謡曲全集 巻一」(野上豊一郎/編, 中央公論新社, 2001)p.405
十羅刹女は元来恐るべき十人の鬼女であるが、俗説には素戔嗚尊が龍女と契を結んで生まれた娘であるという。
「解註 謡曲全集 巻一」(野上豊一郎/編, 中央公論新社, 2001)p.405
◆神楽
島根県古代文化センターが出版した以下の本で口上台本が確認できた。
三葛神楽の「十羅刹女」は鬼が許されて帰って行く結末となっているのが特徴のようだ。
「この結末は『鬼返(ちがえし)』と同じであるので、この『十羅刹女』は『鬼返』と代替する能舞となっており、どちらか一つを演じることになっている。」(48P)とのこと。
十羅伝説は謡曲「日御碕」を元としつつも、
◆神社間の関係
須佐
(前略)年老たる祠官の語りけるはあれなるは於呂志古山此なるは流川社の側に流るゝは素鵝川と申侍る須佐之乎命の一の女を柏葉につゝみて此川に流し給ふ故に流川と申侍る於呂志古山の岸に柏木あり一女神石見國橋の浦へ流れよらせ給ひしを今の日の御崎と崇奉る申傳へ侍る(以下略)
(「続々群書類従 第9 地理部(※懐橘談所収)」国書刊行会/編, 続群書類従完成会, 1984)pp.442-443
「那賀郡誌」に「(※箱舟の)中には柏の葉二つ三つ散れる外何物もなし」(74P)とさりげなく記されているが、「落葉の槙」を受けたものだろう。
◆(参考)9世紀の石見地方
◆神仏習合した十羅刹女
日御崎
(前略)耕雲明魏○(※言[ごんべん]に巳)曰雲州日御碕の明神はすなはち杵築大明神の委(※末)女、而十羅刹女の化現、荒地山の鎭守なり、孝靈天皇六十一年威靈を現とあり、衆説區々なりしに老祠官の語けるは、上社[※旧字体]は素盞嗚尊に田心姫湍津姫命市杵島姫命の三女をあはせ祭、下社は天照大日靈貴に正哉吾勝尊天穂日命天津彦根命活津彦根命熊野橡樟日命の五男をあはせまつれり、上の社下の社すへて十神なり、故に十羅刹女といふか、(後略)
「大日本地誌大系 雲陽誌」(芦田伊人/編, 雄山閣, 1971)p.313
◆薄れる仏教神話色
◆地名説話
◆石見八重葎
波志(ハシ)村
抑波志村と号以所ハ須佐能男命御子田心比賣御心荒々敷により、父神御心にかなハせす櫓櫂(ロカイ)なき舟乗奉り海中へ御流し有りしに、今の此の神江(ミコウ)と申所に流○(※ウ冠に竒。寄か)玉ふ故此御神江に○(※ウ冠に竒)御座所より神江と申ス。此所の津へ留り給ふより、津留村其後出雲国へ十羅より異賊此国を討取らんため来るに付夢中の御告に田心比賣を召返し此度大将となさは必す勝利有へしと詔りに○(※ウ冠に竒)、田心比賣此浦に御在由御聞へに付此度帰り、此賊を亡シ功有ハ勘気御免可有よし父神の詔りニ付帰らん事、此處の今中間多郎兵衛と申人の大祖此田心比賣奉養ニ付御相談有しにゆるし不申ニ付ぬけて御年拾三之時、今の嘉久志村○(しんにょうに占。迄か)御帰り被遊所奉養夫婦の老人跡を尋急に追來るに付、今の嘉久(志)[脱]村の森の内の石へ御腰を懸ケ御隠れ被遊候故右隠石と書夫より老人夫婦ハ見失ひ帰りしと此所の村老の申傳へに承る。又旧事雑便にも有、其子孫中間と申家今に傳り有。其上此家に不浄をなせハ御たゝりあり。其子孫たる事自然の道理也。此神御帰りの上十羅の賊を討亡シ玉ふ故、十羅殺女(原文ママ)と御神号奉申此古跡故此所へ右御神御鎮座。隠石村にも御神奉祭り、夫故神代ゟ(より)都留(ツト)号人皇丗七代孝徳天皇御改ゟ(より)津門村、神亀五年御改ゟ(より)、此角野郷端故端子村、五拾弐代嵯峨天皇弘仁ニ年御改ゟ(より)波志村と申候由、古老の傳にも又旧家の秘録にも見当たる事あり。
(略)
[式内正四位下]
津門神社[除地拾五石、祭神十羅殺女(原文ママ)、田心比賣命、又ノ名遠瀛(オキツ)姫、又ノ名奥津姫命、旧事本紀ニ見ヘタリ]
筑前の国宇像(ムネカタ)の社、宇多帝御宇寛平三年辛亥鎮座昌奉元戌午七月授位、津門、所の名なり。
(略)
[田心比賣ノ古所、ミゴウト云品々丸き宜小石多し]
「石見八重葎」(編集・発行者 石見地方未刊行資料刊行会,158P,1999)
延喜式内神社三十四座
(略)
那賀郡
(略)
津門神社[胸鉏姫(ムネカタヒメ)命・又田心比賣モ云] 波志村
(以下略)
「石見八重葎」(19P,1999)
◆関東の十羅刹女社
同じく東京都豊島区の春日神社。別当寺だった寿福寺の敷地に十羅刹女神祠がある。入口は春日神社側にある。
二例だけで結論めいたことは言えないが、宗像三女神と十羅刹女を関連づける、もしくは十羅刹女を須佐之男命の末子とするのが山陰の特徴だろうか。
◆医者だ医者だ
上記「三葛神楽」に収録された「十羅刹女」の台本を「道返し」と読み比べると、ほぼ同じ構成なのが分かる。「道返し」の神と鬼の掛け合いは遊び心も感じさせた。もっとも「校定石見神楽台本」の注釈を読まないと理解できなかったが。
◆結局、胸鉏比売は誰なのか
伝説が田心姫命の十羅刹女化と胸鉏比売とのバージョンに分かれるのは、本来仏教色の濃かった十羅刹女の伝説を神道に取り込むために胸鉏比売と改変したのだろう。
◆ばあさん井戸の伝説が原型か
また、懐橘談の須佐の条に収録された須佐之男命の一の女を柏の葉に包んで流して、それが橋の浦に流れ着いたという言い伝えが謡曲「御崎」よりも古くからあり、むしろ「御崎」がその言い伝えを本説として取り込んだとも考え得る。
◆謡曲「御崎」現代語訳
シテ:ひこはねの天皇
ワキ:素戔嗚尊
ツレ:宮人
子方:市杵島姫命
トモ:従者
處ハ:出雲国
印度のひこはねの天皇、八万叟の舟にて出雲に押し寄せ来りしを市杵島姫命の力により亡す事を作れり。
次第「治まる御代を守らんと、守らんと、誓いは新たである。
尊詞「そもこれはいざなみ第四の皇子(みこ)、素戔嗚(すさのを)の尊(みこと)とは私の事である。扨(さ)ても日本(ひのもと)いぬゐ(乾か)白城(しらぎ)の国に宮作りし、既に簸(ひ)の川上の大蛇(おろち)を従え、彼の毒蛇の尾にあった村雲の剣を取って天照大神に献上し、国土を豊かに守っている所に、異国より艨胡(もうこ)がこの国を攻めとるべき次第があったので、天照大神、その他日本の神々を勧請し、異敵を防ごうと思うなり。
サシ「一年天竺月支国、丑寅(うしとら)の隅が欠け落ち、海上に浮かび風波に従い豊葦原出雲の国に流れたことで不老山となる。それを如何にと申すに、大日の印字を頼みとして開け初まれる神国である。なので、この山が流れ寄るとなり。波に浮かぶ山を撞き留めて住む神の宮作りがあったのである」
上歌「八雲立つや雲の治まる秋津島、秋津島、天照る神を始めとして、住吉春日玉津島、和国の神は残りなく、出雲の国に宮居(鎮座)しよう、宮居しよう」
姫一声「波風も、治まる御代の神かぐら、我も塩干のあま衣、馴れてや月の出でぬらん」
サシ「心を留めて住めば何処も都かな。佐木(さき)の浦風に流れた、底の藻屑と埋もれた身の、どのような機縁があるだろう。はしの浦人は私だけを今まで命長らえて、十一歳の春の花、二月(きさらぎ)六日の吉日と、残る雲間を積み分けて、思い立つ身が哀れである」
下歌「岩見潟(いはみがた)はしの浦を立ち出でて江津(えづ)の渡りうち過ぎて、宅(たみ)のの島やたるみ(垂見か)潟、鳥井の山に鳥を早、出雲路は是とかよ」
上歌「田儀(たぎ)の港の浦づたい、浦づたい、久村(くむら)清松徒らに、行くも帰るも荒磯の吹上の浜風が波の浮き身のなり渡り、小舟も法(のり)に神上(かみあげ)の、松も千年の齢ぞと、月をぞ担うたわむ身と、あふこ(おうこ?)の浦による波のそが(曾我か)の里にぞ着いたことだ。着いたことだ」
姫「いかに宮人(神に仕える人)が渡ったのか」
ツレ「誰がお入りになるのです」
姫「この処は初めて来た。宮巡り道標となってくだされ」
ツレ「簡単な事でございます。こちらへお入りなさいませ。これこそ出雲の森です。またこの橋は八橋(けう)といって八つの橋があります。一度渡れば九憶劫の罪を滅し、神のお考えにあい叶います」
姫「有難い。今この森の陰に来て、心素直に有明の月の都も余所でない。年を経て老いぬ山の若緑」
地「松陰や朱(あけ)の玉垣御戸代(みとしろ:神に供する稲を作る田)の、御戸代の、錦木を心に懸け、八重吹き返す朝の嵐、しおれる裾に玉串の葉に置く露の身を知れば、有難い宮巡り、宮巡り」
姫「いかに申し上げましょう。私は素戔嗚尊第三の姫でございます。ご見参の為に参りました」
尊「思いも寄らないことだ。我が子に姫という者はあるまい。きっと異国の魔縁の者かと、既に御剣を帯せんと」
姫「いや、一年さきの浦とかに捨てられた母はその姫ではありません」
尊「それはどの様な例(ためし)があって姫とおっしゃるのか」
姫「恐れながらお言葉の下る上は詳しく語り申そうと」
クリ地「そも母君と申すのは、はらげつら龍王の姫宮、塩干(しおひ)の昼間の徒然に、さきの浦に浜遊びしたところ」
姫サシ「そうしたところ、素戔嗚尊が夜な夜な通ったけれども」
地「遂に靡かせなかったが、どうしたことか、仮に従えば、程なく懐妊されて、十三月と申す頃に、御産の紐をお解きになった」
クセ「その時取り上げて見たところ、玉の様な顔つきの姫君でいらっしゃった。思わぬ中の子だといって。柏の葉に包み、これはお前の父を守護する為に置かれた十握の剣を取り添え海底に沈めたところ、辺りの小島の磯に寄せた。見るのも悲しいといって、また海に入った。それから彼の島を柏島と申すのです。六十一日と申したところ、石見のはしの浦波に寄るとか。そうであれば、明けの方、磯もの(海藻)の為にといって漁師夫婦が出てきたが、藻屑の中を怪しんだところ、柏の葉に包まれた物があったが」
姫「辺りも輝くばかりの」
地「玉姫でいらした。我ら今まで子供の無いことを嘆いていたので、これは天が与えたものだと喜びの袖に抱き取り、我が家に帰り斎(いつき)かしづく間に九の秋半夜(はんや)に語り申したのです」
姫「ある時商人が来て、杵築の御社の下の岩根の御柱に虫喰いが出来、貴賤上下参ると申す。それはいかにと尋ねたところ、答えて曰く、王子第三女、今年は十一歳、帰国三年住府位、故郷の山の端を照らす月影の、何で西に住み好かろうか」
詞「このようでございますと申す。これを自ら悟り、さきの浦を流されて九年にこの事を聞き、十一歳で帰国しようと」
地「言うより早く忍び出て、忍び出て、ただ今ここに来たのです」
ロンギ地「不思議だ、その印、尚もいかにとおっしゃれば」
姫「中々です、これこそは尊の守護の為にといってお授けになった剣ですよ」
地「尊はこれをご覧になって、まこと私が持っていた十握(とつか)の剣」
姫「疑い今は荒磯の」
地「波立ち上がり」
姫「柏島の」
地「互いに親子の契りがあったと、尊も姫君も、しばし物もおっしゃらず感涙を流された。哀れは他所も涙かな」
姫一声「喜びの花の盃とりあえず」
地「国土(くにつち)の」
姫ワキ「国土の荒れた野をもそがの里、鍬の御矛や鶴の玉よね」
尊「先々この磯部に仮殿を作り、宮を移るだろう」
姫「あら嬉しい。ならば急ぎ移るべきです」
トモ「どのように申し上げましょう。異国より軍舟(いくさぶね)が早西海に見えます」
尊「心得た。その次第を皆へ申し伝えよ」
トモ「畏まって候。その次第を申したところ、異国より八万叟の大船に億兆の兵士で攻め来た次第を申しましたが、中々叶うまいと言って皆逃げ去ってしまいました」
尊「言語道断の次第だ。さても何とするべきか」
姫「姫君この次第をお聞きになって、自ら異敵を防ごうと、さも頼もしくおっしゃって、北山や」
地「御崎山嶺の神垣(玉垣)宮柱、宮柱、有難い、この姫は法花八まきが奥とかや、十羅刹女と現れて、衆生の災難を守ろうとお誓いになった」
姫サシ「これは素戔嗚尊の第三の姫宮である」
詞「さても異国よりこの不老山を取り日本を従えようとか。さすがに神通(じんつう)の身なので白鳥と変じ、大石を脇に挟み、西崎や波に浮かんで寄る島の」
地「千本の杉ではないけれど、百枝(多くの枝)の松の荒磯に」
地「今や今やと待っていた」
鬼サシ「そも自分は北天竺月支国、ひこはねの天皇とは我が事である」
詞「さても我が国の丑寅(うしとら)の隅が欠けて落ちたが、これから東豊葦原に浮かびよったと聞くよりも」
地「八万叟の舟に乗り、舟に乗り、天地も響き動揺して、程なく豊葦原が出雲の国に押し寄せて、西崎や、あふこの入海に八万叟を押し入れて隙間もないので、さながら平地の様であった。狼烟(ろうえん:のろし)が天に霞を湛え、鯨波(げいは:大波)が海底を動かし、天より黒雲しきりにして、無明の闇となったことだ。陸(くが)には神々がこれはいかに、いかにと叶うまじきものをとただ日御碕、沖の小島に神の火が飛んで闇を照らせば光明が光輝き、艨胡(もうこ)の姿も現れた。
ヒメ「このような所に」
地「このような所に、姫宮は白鳥と現じ、羽がいの下に隠し置いた大石を艨胡(もうこ)の舟に投げ入れたので、艫舳(ともへ)は二つになって沖や渚に流れ寄ったので、鬼神は海に入ると見えたが、天に群がり地に落ちて漂ったのを、十握(とつか)の剣を打ち振ったところ、艨胡(もうこ)は怒り、白波を蹴たててくるくるくると巡る所を艨胡(もうこ)の首を斬り落とし、波に浮かぶのを差し上げて尊にこれを献上し、天照大神がご覧になって還御(行先から戻る)したので、諸神は諸国にお移りになった。ただちに女体は十羅刹女と現じ、国土豊かに動かぬ御代となったことだ」
◆余談
天竺月氏と月支国を混同していたが、謡曲「御崎」自体で混同しているようである。
田心比売の話を久しぶりに読んだ際、故郷の危機を救うため現在いる場所から去るるというモチーフはまるで「帰ってきたウルトラマン」の最終回の様だと感じた。特撮ファンなのである。
◆関連図書
「神話・伝説・史跡巡り・人物伝の一端 川平・松川地区および江津市内各地の歴史」(佐々木春季/編著, 1988)に岩根神社や爺さん井戸、婆さん井戸関連の記述がある。
島根県立図書館・郷土資料室や益田市立図書館の地域コーナーが充実している。神楽関連の書籍は浜田市立図書館で補った。
「懐橘談」は「續々群書類從 第九」(国書刊行会/編, 1969)に収録、「神道大系 神社編 36 出雲・石見・隠岐国」(神道大系編纂会/編, 1983/03)に日御碕神社の他、島根県各地の神社関連の史料が収録。
「未刊謡曲集 続 14」は横浜市立図書館に所蔵されたものを閲覧。国立国会図書館でも所蔵されている。
島根県古代文化センターが出版した一連の神楽本、一冊につき一社中を取り上げており、社中の沿革、面や衣装などのカラー写真、演目の解説、口上台本、所作の図解などがあり、分かりやすいものとなっている。横浜市立図書館にも何冊か所蔵されており、島根県外の図書館でも所蔵しているところは結構あるのではないか。閉架に所蔵している事例もあるので、WEB-OPACで検索してみることをお薦めする。
◆参考文献
記事を転載 →「広小路」(※一部改変あり)
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