行って帰ります――「天然コケッコー」
◆劇場にて鑑賞
映画「天然コケッコー」をみる。まだ上映館が少なく、さみだれ式に公開されていくのもあるのか、館内は満員だった。原作ファンだろう、女性客も多い。反応はよく、ファーストキスのシーンとかくすくす笑いが漏れる。
ちょうど日本語字幕のある回。無料で配布されていた「石見観光ガイドブック 石見本'07」の夏帆さんのインタビューに
「行って来ます」を「行って帰ります」という石見弁はかわいくて素敵な方言ですね
とあり、そういうセリフがあったことに気づく。『行って帰ります』は知らなかった。他所のブログによると「行ってきます」だと行きっぱなしになるんだとか。
三隅町の方言集。ゆうひパーク三隅に掲示されていました。
行って帰ります【挨拶句】 行ってきます
←→行って帰りんさい(ちゃい)いってらっしゃい
となるんだとか。
石見弁では「~しんさい(しなさい)」という語尾となる。
「~だけぇ」は「~だから」という語尾。広島弁では「~じゃけえ」
石見地方は広島・山口からの影響が強く、広島弁に近い。そういう意味では同じ県でもズーズー弁に近いと言われる出雲弁と対比をみせる。
合併で市域が広がったが、意外と田んぼが残されているのだな、という印象。親戚の住んでいた町だと、田んぼが埋め立てられて住宅地に変わり、かつての面影は消えてしまった。冒頭、海に向かうシーン、小道を歩いてゆくが、わずかながらも人通りがあるのだろう。人通りがなくなって手を入れなくなると、すぐに雑草が生い茂ってしまうから。駅に電車が止まるシーン、架空の町だからどうでもいいことだが、そよたちの住む町は森町の東にあるようだ。
場面転換で暗転が多用される。この時点では原作は2巻の途中までしか読んでないが、総集編というかダイジェスト的な感じはした。原作に忠実なつくりなのだろう。原作ファンがターゲット層の中核だろうし、あれでいいのだろうが、むしろドラマの方がむいてるのかな、という気もした。もっとも、ドラマでは映画のクオリティは出せないだろうけど。
原作はきめ細やかな心理描写やちょっと懐かしい風景が魅力だと思う。個性がはっきりした登場人物ばかりなので、何気ないエピソードでも彼らが動くだけで途端に魅力的なものとなる。
映画は原作よりちょっと引いた視線というか――三人称的な世界と一人称的な違い――媒体の違いか。シゲちゃんという癖の強い登場人物の扱いに作品のスタンス(そよと大沢君の関係中心)が出ているか。シゲちゃんが前半だけしか登場しないのが惜しいと思うが、原作のエピソードに忠実な流れなのでああなったのだろう。
◆2回目の鑑賞
今度は原作を読んでいった(中学卒業まで)が、前よりよい印象だった。エピソードの取捨選択はあれがギリギリの線なのだろう。舞台のモデルが地元でよかった。でなければこの作品に出会っていなかったろう。
ヒロインそよ役の夏帆さん、撮影時は中学三年生だったようだが、何か高校生といっても通じるような印象を受けた。僕の時代だと、女の子は高校にあがるくらいから一気に花開いていく印象だったが、早熟になっているんだなと感じる。
◆その後分かったこと――ロケ地など
海に向かうシーン、よくみると山の高い位置で撮影しているが、トンネルや陸橋は今福線という未完成に終わった鉄道(浜田と広島を結ぶ予定だった)の廃線跡なのだとか。
浜田市内には木造の小学校がいくつか現存している。ちなみに現実世界ではロケ地の後野小学校を卒業すると浜田高校(森高ロケ地)の隣にある第一中学校に通うことになる。元は旧陸軍の連隊が駐屯していた処で、写っていないが赤レンガの旧錬兵場が残されている。森高自体は特定のイメージがないようだが、通学路は浜田駅前の銀天街にそっくりである。
漫画の天波屋のモデルは銀天街の外れにある元百貨店系列ビルか(今は病院)。奥行きはまったくなくて小規模なビルだが、外観が似ている。現在はグレーだが、以前は白い外観だった。映画のロケ地は旧ニチイ。
コミックスが手元にないが、おそらくこのビルではないか。
奥行きはこれだけ。
とある掲示板を読むと浜田弁と益田弁を聞き分ける人がいて驚く。というか違うのか??? 舞台のモデルとなった三隅町岡見は益田の方が近い(隣は鎌手)のでそちらの影響が濃いのかもしれない。「ぼいしい(怖い)」というセリフが原作漫画に時折でてくるが、益田の方言のようだ。
映画には直接は出てこないはずだが、「びーびー(びぃびぃ)」はお魚、「どんちっち」は神楽、浜田の赤ちゃん言葉。
原作では「~してやんさい(してください)」という言い回しが結構ある。「~しんさい(しなさい)」はよく聞くが、「やんさい」はどうだったかなと考える。おそらく「~してやんさい」が転訛して「~しちゃんさい」になっているかと。
海のシーンは江津市の浅利海岸。本来なら三隅町なのでしょうが――田の浦海岸は田浦姓のモデルか――現在は岡見に石炭火力発電所があるため、別の場所が選ばれたのかと。JR山陰本線から火力発電所がちらっと見えます。
天コケ世界の雰囲気をちょっと味わいたいなら、鉄道の旅が苦痛でなければ、山陰本線を出雲~益田まで海側の席に座って車窓の風景を眺めてみればいい。浜田市に来るには広島駅から高速バスで来るのが手っ取り早いのだが、広島北部で赤瓦の集落がちらりとみえるくらいで景色があまり見えない。益田の石見空港からJRで東へ浜田に向かうのも――そよたちの通学路でもあり――いいのではないかと。
帰省時に旧那賀郡~邑智郡にかけてドライブ。沿岸部しか知らなかったが、こうして走ってみると山間部も意外と開けていて、里山的な風景が残されているのだなと感じた。道路は整備されたところとされてないところが混在している。そういった道路が写らないよう配慮もされていたかもしれない。三隅町だと室谷地区が棚田100選に入ったとか。
金城町下来原の道。この道が天然コケッコーのポスターに採用された道ではないかと思う。目印は同じく金城町の下来原の八幡宮。八幡宮前の道ではなくて、もう一つ横の道。
反対側から。
◆ノベライズ
ノベライズ版を読む。冒頭シーン、赤瓦を「茶色い瓦」としている。茶色にも幅があるけど、どちらかというと黄味がかった色を連想するのではないか。現物は赤茶色と形容した方がいいと思う。それで緑の田園風景とのコントラストが際立つので。山陰地方のアイデンティティ的な風景なので、ちと残念である。
ほとんどどうでもいいようなことだが他にも凡ミスがいくつかあって、おそらくノベライズを担当した作家さんは浜田市を訪れていないと思う。架空の世界だが舞台のモデルとなる山陰のイメージは明確に打ち出されていて、それが作品の魅力の一つとなっている。もし会話が標準語だったら魅力は薄れるだろう。原作者のお墨付きで実際心理描写など丁寧にされているので、画竜点睛を欠いたように思えた。
工業的には茶系の色として分類されている。確認してみると、赤と緑は色相環で補色の関係にある。コントラストが際立つ組み合わせ。
追記。JIS慣用色の先入観があった。WEBカラーのブラウンはもっと明るい色だった。色見本を確認すると暗い赤に近いものから黄褐色まで幅がある。広辞苑に収録されたものはJIS慣用色の茶色か。こちらは黄味がかった色。こげ茶に近い。
とにかく、一言「赤瓦」と書けば済む話。
他、電車という記述がある。これは原作漫画がそうなので仕方ないのだが、映画に登場するのは気動車(ディーゼルカー)。鉄道列車をどう呼ぶか、地域性によるようだ。都市部で生活していると無意識に全部ひっくるめて「電車」と呼んでしまうが、個人的には「汽車」でもいいと思う。ドラマ版「砂時計」では「汽車の時間だから」というセリフがあった。山陰本線とはいうものの実質ローカル線、大都市に直通しているでもなし。ネットで調べたところ、都市部では逆に「汽車」に長距離列車の意味合いがあったとか。路面電車との対比だろうか。
天波屋でバレンタインのチョコレートを買うのが地下フロア。デパ地下は松江、出雲、米子辺りまで行かないとない。原作漫画にもスーパーに毛の生えたようなという台詞があるので、ケアレスミスだろう。
神楽のシーン、演目は「大蛇」。火薬というか硝煙というか、そういう臭いも描写できたのではないかと思うが、DVDで鑑賞ならともかく実際に観劇するとなると取材の時期などで難しいか。
……以上、ほとんどの読者にとって無意味。なのだが、「三つ一つは笑って流そう」「三つ一つはこちらもよく調べよう」「残りの三つ一つは……今からでも遅くない、お越しください」
◆原作の謎
原作で森高に行くエピソード、ディーゼル車にパンタグラフがついている。顔は特急「おき」などで使われるキハ181系だが、車内は鈍行。サイドビューは乗降扉の位置が車体の中心寄りにあるので、電車っぽくもみえる。パンタグラフと架線もある。ある意味キメラのような絵。山陰本線は海沿いを通ることもあって、鉄道写真の題材としてよく登場するが、どうしてこうなったのだろうと思っていた。
ある日何気なくテレビをみていたら、秋田~青森を結ぶ五能線の風景が映っていた。白いボディにブルーの三本ライン。翼ともヒゲ三本ともとれるラインだけど、よくみると特急列車ではない。車内は鈍行・急行のもの。車両の前後に運転台がある。キハ40系か50系だろうか? あのラインは特急のものと思っていたが、必ずしもそうでないようだ。日本海側なのでどこか似た雰囲気はあるはずだし、別の路線の写真を参照されたのかもしれない。都市部でずっと生活している方だと国鉄カラーとか馴染みがないのかもしれない。
サッちゃんの学年。映画では一年生らしいが、原作ではニ年らしい。一年の方がいいと思うが、何故だ?
◆原作読了
11巻くらいからラストに向けて物語が動き出す印象。大沢君にはあまり感情移入できなかった自分だが――要するにモテなかった僻み――通して読んでみると、何を考えているか分からない掴み所のなさ、でもそよにベタ惚れなのが魅力なのだろう。
◆余談
同時期に祖母が亡くなって帰省したのだが、親類縁者の会話を聴いてこの作品を読むとセリフがああ、こんな感じだったなあとしみじみとしてしまった。
地元にとっては最高の宣伝であった。有り難いことです。
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