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2005年1月

2005年1月 1日 (土)

帰省ラッシュ~雪で通行止め 2005.冬

 28日夜10時頃家を出る。東名、名神と滋賀を目指して進んだが、特に渋滞もなく順調だった。途中で「ジョニー・デップ自らを語る」というインタビュー番組を観たので1時間ほど休憩したくらいだろうか。滋賀の八日市に到着したのは朝6時前。姉夫婦の家で休憩。3時間ほど眠る。ここ数年、姉夫婦の家にはほとんど毎回立ち寄っている。義兄が開放的な性格の人でよくしてもらっている。ご好意に甘えるかたちだが、本当に助かっている。横浜から浜田まで約900kmの道のりだが、八日市が調度中間地点くらいのところに位置している。ICからも10分くらいの距離なのでそういう意味でも便利である。
 名神を走っていていつも思うのが関ヶ原の気候である。関ヶ原に入ると急に天候が変わる。大垣までは晴れなのだが関ヶ原は小雨の後で道路が湿っているという感じであろうか。調べたわけではないのだが、地形というか地理的条件が影響してるのだろう。関ヶ原の合戦という天下分け目の戦が戦われた地でもあり、この地に何か特別なものを感じてしまうのは自分だけではないだろう。
 29日朝10時に八日市を出る。高速に乗ると雪がちらつき始めた。最初は雨雪だったが段々本降りになってきた。まあこの程度の雪なら別に問題ないかな、と思いつつ走っていたら道路情報で「宝塚IC-岡山IC雪のため通行止め」と表示された。さすがにこの情報は一瞬で受け入れることはできなかった。雪が降っているといっても今は12月。2月の連休じゃあるまいし、中国道ならともかく山陽道まで。通行止めなら下道を走らなければならないが、大阪から岡山まで国道を走るのはちょっとしんどい、岡山から先はどうなっているのか? など等の考えがめぐってなかなか現実を受け入れることができなかった。
 普段なら名神を中国道に入るところを直進して阪神高速に入った。阪神高速から加古川バイパス、姫路バイパスと進み、国道2号線に出た。普段なら中国道、山陽道に流れる自動車が阪神高速に流れてきたので渋滞気味であった。兵庫県は土地勘があるのでまあこんなものかな、この道を走るのは7~8年ぶりかな、とかつらつら考えつつ走った。ここまではまだよかった。姫路バイパスの終点から国道2号に出た瞬間、渋滞にはまってジリジリ動くしかなくなった。岡山まであと何時間かかるのかとうんざりしていたら今度は「国道2号、船越峠でチェーン規制」と道路情報が目に飛び込んできた。スタッドレスタイヤは履いていたしチェーンも積み込んでいたので特に問題はなかったのだが、実際にチェーンをつけるとなると気分が重たい。今の金属製チェーンはつけてみたことがないので、いざつけようとすると手間取るかもしれないし、峠に近づくにつれてチェーンなしの車が身動きがとれなくなったりして混乱するかもしれない。考えるだけでさらにうんざりしてしまった。
 渋滞の列、ちょうど前の車はJRバスだった。大阪―博多間を結ぶバスらしい。このバスが途中で道をそれた。国道2号を離れて海沿いの国道250号に抜ける道を選んだのだ。とっさの判断で後についていく。プロの運転手の判断の方が間違いないという理由。もっとも、国道250号も大渋滞であった。相生から赤穂に抜ける途中で峠を越えなければならないのだが、こちらは凍結していなかった。こちらの峠も場合によっては凍結して登れなくなることがあるそうなのだが、今回はそうではなく助かった。途中で給油。燃料計は半分くらいのところを指していたのだが、念のため早めに給油。国道沿いなのでガソリンスタンドには事欠かないだろうが、年末で夜になってしまえば早仕舞いしてしまうかもしれない、そう判断した。
 結局備前市で再び国道2号線に戻ったのは夜7時を過ぎていた。渋滞で6時間くらいロスしただろうか。山陽ICで山陽道に乗ろうとしたのだが、岡山IC-山陽ICは通行止めといわれて引き返した。岡山ICに乗るまでに道が分からなくなって、同じところをグルグル回った。カーナビはあるのだが、VICSなしのモデルなので道路情報を加味した正確なルートを案内してくれるとは限らない。土地勘がない場所を夜に走るのは難しいと思った。山陽町と岡山市の位置関係がよく分からなかったのである。
 岡山ICから山陽道に乗る。雪はほとんどなく、スムーズに進めた。流石に疲れていたので1時間ほどパーキング・エリアで休憩をとる。八日市で3時間とはいえ寝られたのが本当に助けになった。もし横浜から直に来ていたら、渋滞でほとんどギブアップしていただろう。広島から中国横断道に入った辺りから雪が強くなった。途中でサービス・エリアに誘導されてタイヤが冬タイヤかチェックされた。これは別にOKだったが、ここでチェーンをつけている車が多かった。道路情報では中国横断道は冬タイヤ規制でチェーン規制ではなかったので結局チェーンはつけなかった。雪がかなり積もっていて、かすかながらハンドルをとられることもあったので内心冷や冷やしながら進んだ。新年を迎えたのはパーキング・エリアで。「ゆく年くる年」だけは観たかったので、少し休憩。ついでに年越し蕎麦がわりに尾道ラーメンを食べた。浜田道に入るとさらに道路状況は悪くなったので40km~50kmくらいのスピードでゆっくりと進んだ。結局家に着いたのは朝2時を過ぎていた。
 ラジオで全国の道路状況を聞くまでは状況が把握できなかった。1月末から2月の雪ならともかく12月の雪がそんなに積もるとも思えなかった。中国道ならともかく山陽道までこの程度で全面閉鎖するなんてちょっと判断が厳しすぎるのではないかと思った。ちょっとは帰省客のことを考えろよ、と。思うに雪がかなり積もっていた中国横断道が冬タイヤ規制がありながら通行OKだったのに、山陽道岡山IC-宝塚ICが通行止めになったのは、夏タイヤのままの車がかなりいて、通行を許可すればスリップ事故が多発するとでも判断したのだろうか。それくらいしか理由が思いつかない。しかし岡山ブルーラインまで全面通行止め。あの辺りは雪らしい雪はなかったはずだが。結局この冬は新幹線か飛行機で帰省した人が一番楽だったのではなかろうか。僕が相生の辺りにいた時点では新幹線も徐行していたが、夜7時過ぎの段階では通常走行(か、それに準じたスピード)に戻っていた様に思える。
 とりあえず寄り道してよかったことは、備前市の景色、瀬戸内海の静かな海が美しかったことだろうか。後は雪道を走る経験ができたのでプラスにはなった。12月にこれだけの雪が降ることは滅多にないだろうから、ある意味では貴重な経験だったのかもしれない。とにかく事故がなくてよかった。

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