非実在青少年の人権と保護法益
国会図書館で渡辺真由子「『創作子どもポルノ』と子どもの人権」(勁草書房、2018)を読む。ジェンダー学会で有名な著者が博士論文で多量の剽窃があったとして博士号取り消し処分となったというニュースを読んで知ったもの。本にはその旨注意書きが貼り付けられていた。
剽窃されたのは第一章から第六章までということらしいが、今回は時間の関係で渡辺自身の手になる終章の一部を読んだ。
そもそも、第二次改正案の同調査研究規定は、まさに創作物と性的加害の関連性についての科学的データを明らかにしようとするものだが、科学的データの有無に拘泥する起草者側がこの調査研究の試みすら否定したのは矛盾である。「規制反対ありき」で議論している印象を否めない。子どもを性の対象とするという創作物の内容自体が人権侵害であることや、創作物によっても実在する子どもの人権侵害が引き起こされていることを、重く受け止める視点は見られない。
渡辺真由子「『創作子どもポルノ』と子どもの人権」186P日本における児童ポルノ規制の視点とはいわば、法の専門家や業界団体においては「国家権力が「表現の自由」に介入することへの強い猜疑心」であり、対する国においても「「創作物」と実在する児童への人権侵害」は別物」とする見方であると結論付けられる。(190ー191P)
時間の関係で読み切れなかったが、目についたところを抜粋した。「科学的データの有無に拘泥する」「子どもを性の対象とするという創作物の内容自体が人権侵害である」といったところが要チェックポイントだろうか。
この創作物の内容自体が人権侵害であるという記述がピンと来ないのだ。実在する児童がモデルだということなら、それは人権侵害だろうが、そうでない場合、例えばアニメの二次創作である場合など、全くの創造の産物である場合はどうなのだろうか。その場合、何が、そして誰に対する人権侵害なのかよく分からない。
どうも漫画やアニメの中のキャラクター、いわゆる非実在の存在にも人権があると暗にほのめかしているのではないかという気がする。しかし、漫画やアニメのキャラクターそれ自体は点と線で表現された絵に過ぎない。絵の中のキャラクターに人権があるはずないのだ。
何年か前に漫画やアニメのキャラクター、いわゆる非実在青少年に人権を認めて漫画・アニメを規制しようとする流れがあった。海外ではそういう規制を行っている事例があるらしいが、日本においてもそれが認められるかが焦点となった。このとき僕はたまたまこの問題に関するパブリック・コメントを募集しているのを知って、コメントした記憶がある。
それは漫画やアニメのキャラクターはあくまで絵であり、絵の中のキャラクターには守られるべき法益がない。だとしたら、猥褻の論理で従来通り規制するしかないのでは……といった趣旨のコメントであった。もっとグダグダな文章であったが。
法律というものは、守られるべき保護法益が無ければ立法する意味がない。絵の中のキャラクターに過ぎない非実在青少年に守られるべき法益などないはずなのだ。
このコメントが採用されたか否かは分からないが、審議委員の刑法学者が非実在青少年には保護法益がない旨コメントしていたのを記憶している。考え自体は間違っていなかった。結局、非実在青少年に人権を認めるという方向性は立ち消えになった。
上で終章しか読んでないと書いたが、一部関係ありそうなところは第二章だったかざっと目を通している。非実在青少年には保護法益がないから、そういう理論づけでは規制できないといった経緯が確かにあったはずなのだが、この論文では触れられていなかった(剽窃された元の著者にしてもそうである)。自分たちの挫折の歴史であるから触れなかったのかもしれないが、学問的な公平性からすればいかがなものか。
終章には猥褻の判例を巡って「法益」というキーワードが出るので、現在の彼ら規制論者が保護法益という概念について理解しているのは間違いない。一方で、彼らは過去の挫折の記録を無視して曖昧な形で人権について論じている。
さて、話を元に戻すと、「この創作物の内容自体が人権侵害である」という曖昧な記述に、非実在青少年へ人権を付与したいという願望が透けて見える。それは海外はともかく日本では却下された流れなのである。児童ポルノは猥褻であるで裁けばよい問題なのである。にも関わらず、ここら辺の理論化に強い執着心を示している。
一方で人権問題なのだから科学的根拠に拘泥するなとの主張も見られる。人権というキーワードを切り札にして問題を切り開きたいという方向性だろう。
穿った見方なのであるが、非実在青少年に人権を付与する、そういった規制の理論化という目的に、何か隠された裏の意図があるような気がするのだ。それが何であるかは自分には分からない。規制で締め付け既存のコンテンツ産業を委縮させることかもしれない。
結果として論文の丸ごとに近い剽窃が発覚するという形で、これらジェンダー論者への信頼度が下がったのは間違いないだろう。おそらく公的な職は退かざるを得なくなるだろう。このブログは政治的な問題を語るものではないし、こういう記事をアップするべきか迷うけれど、一応アップしておくことにしようか。
この本は横浜市立図書館にも所蔵されているのだけど、事件を受けてか禁帯出となった。なので図書館内で読むしかできないことになる。200ページ程の分量なので長くはないが、何度か足を運ばなくてはならないかもしれない。
<追記>
横浜市立中央図書館に行き、渡辺真由子「『創作子どもポルノ』と子どもの人権」を読む。「科学的データの有無に拘泥する」「子どもを性の対象とするという創作物の内容自体が人権侵害である」という文言は剽窃されたという第一章から六章の間にあった。自分の主張したいことも剽窃していたことになる。
渡辺自身の手になる終章では、
これらの点を鑑みれば、児童ポルノ禁止法の現行の枠組みのまま、創作子どもポルノ規制にも適用が可能あり、その実現は同法の運用次第であると思料されよう。もっとも、判例は構成要件に実在の児童であることを要すると解釈している等の理由から、運用の拡張には困難が伴うとも考えられる。その場合は同法を改正することにより、犯罪の構成要件に「実在しない児童」も対象に含めるとの選択肢もあり得るであろう。(200P 終章)
こうした国際規範を鑑みれば、わが国の児童ポルノ禁止法が創作子どもポルノをも規制対象とすることは、「実在する児童の権利保護」という保護法益と合致すると共に、表現の自由の過度に広範な規制にもつながらないと考えられる。従って、犯罪の構成要件として同法が二条一項で定める「児童」について、「実在しない児童」に対象を拡大して運用することも、不可能ではないといえよう。(213P 終章)
結論として非実在青少年を構成要件に加えるべしという内容で、10年前の非実在青少年を巡る議論と実質的に変わらないものだった。あのとき何を学んだのだろう。非実在青少年には保護法益がないから条文で追加することを見送られたのだ。運用で拡大して解釈せよというのもアレである。そんなに簡単に刑法の解釈は揺らがない。学者たちは己の学説に学者人生を賭けているのだ。
あと人権問題なのだから科学的データに拘泥するなとか。あくまで一般論であるが、ポルノには性欲を発散させる効果もあって、要するに必要悪なのだけど、そりゃ、そういう自分たちの都合の良いデータは中々揃わないわなという感想。
なお、イギリスの議論の流れを引用しておく。
二〇〇八年五月二八日、実在しない児童のポルノに関する新たな規制が政府から提案された。これに先立ち、政府は①(実在しない)児童のわいせつな画像が潜在的な虐待者の児童に対する不適切な感情を高揚させることによって、実在の児童への虐待を増長することになる、②児童にこのような画像を見せることによって、児童虐待の被害者になる可能性を高める、との問題意識に基づき、実在しない児童のわいせつな画像の単純所持を非合法化する立法の是非について諮問文書を公表し、二〇〇七年四月二日から同年六月二二日まで一般に意見募集を行ったところであり、この提案はこれに対して寄せられた意見を基にして作成されたものであった。
この諮問文書に対して寄せられた意見には、以下のとおりの賛否があったという、すなわち、新たな規制に賛成する見解は、上記提案理由二点に加え、このような画像が、実在の児童を虐待する違法な画像のコレクションとともに発見されることが多く、捜査の端緒とすることの有用性を指摘する。他方、これに対する見解は、思想や芸術表現に対する公権力の介入の危険性、児童に対する不適切な感情の「はけ口」としての有益性、他の同様の分野の表現に対する規制と比較しての不均衡、そのような表現物と被害との因果関係の証明の不存在を指摘した。(156ー157P)
<追記>
この記事、ときたまアクセスがあるのだけど、検索してもヒットしないのでGoogle八分にでも遭っているかもしれない。どうやって記事に辿り着いているのか不思議だ。