WUG

2021年9月28日 (火)

山本寛の脚本「魔法少女たち(仮)」を読む

山本寛の脚本「魔法少女たち(仮)」を読む。ネットに掲示されたものをコピペしたもので序盤など欠けている部分もある。また、精読した訳ではない。

読んだ感想として、この人は変身ヒーロー/ヒロインもののセオリーを知らないのではという疑問である。「魔法少女たち」では超能力に覚醒したヒロインたちが顕名で活動する。アイドルものの様な展開である。そしてネットでアンチが発生する。まるで自身の体験と重ねたかの様だ。ここが他の作品と違う。

普通ならヒーロー/ヒロインたちは自らの正体を隠している。なぜ隠すのかと言うと、例えば家族や周辺の人間に危害が加えられない様にするといった理由が挙げられるだろうか。

このセオリーは作中で明示されないこともある。しかし大抵の場合、このセオリーに準拠した形で物語は展開する。

それ以前に「正体が知られたら居られなくなる」という掟は昔話の異類婚姻譚と重なる構造を持つ。なぜそうなっているのかは明確にされていないが、おそらくそのことについても無知だろう。

セオリーを外すなら外すで工夫を凝らさなければならない。ところが作品の序盤でいわゆるマスコットキャラが自らの目的を解説してしまう。これは他の作者なら隠して物語後半で明らかとしてヒロインたちをどん底に突き落とすだろう。

山本寛が自身の幼少期に見た作品に言及することは少ない。ジブリ作品やエヴァンゲリオンが語られるくらいである。受験で忙しかったのかもしれないが、ひょっとすると「まんが日本昔ばなし」ですら見ていないのではないか。

これは初稿とのことなので、いずれ第二稿が出てくるかもしれない。ネットでは有志たちによって改善案が提起されたとも聞く。

この脚本を元にしたPVがネットに流出したのを見たが、たとえば少女をレイプする影のピストン運動、これならエロゲの広告の方が遙かに出来がいい。

一事が万事この調子だから、この後も期待できそうにない。というより、アニメ的無能力者であることが知れてしまったから無駄な努力である。

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2020年11月22日 (日)

今日までだったので

「Wake Up,Girls!青春の影」「続・劇場版 後篇 「Wake Up, Girls! Beyond the Bottom」を見る。Amazonプライムビデオが今日までだったので。

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2019年5月 8日 (水)

ある意味これが頂点だった

アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」を見る。「朝比奈ミクルの冒険」の回。本放送ではこれが第一話だったらしい。そういえば時系列シャッフルなんて用語が流行った。自主制作映画テイストのエピソード。脚本・コンテ・演出が山本寛監督。山本監督(当時シリーズ演出)にとっては出世作となった回。

確かハルヒの撮った自主制作映画自体は内容自体は原作小説では描写が無かったような記憶がある。自主制作映画的なキョンのナレーションは脚本家の手になるものだろうか。山本監督は学生時代に自主制作映画を撮った経験があるそうなので、その経験が活かされているのかもしれない。

ハルヒからヤマカンの躍進が始まったと言っていいだろう。しかし、その後、独立した彼は失速するのである。

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2019年5月 2日 (木)

イマジナリーラインか?

「魔法少女まどか☆マギカ」の再放送を録画したものを見直す。ブシロードの提供でカードゲームしよ子のCM・お花見篇というべきものが流れる。それが山本寛監督のコンテ・演出になるものらしいのだが、違和感があるのである。何が原因なのか素人の僕には分からないが、とにかく見ていて変な映像であることは間違いない。

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2019年3月12日 (火)

ツケを払う

アニメ監督の山本寛氏が破産したとの報道。自分で興した会社の保証人となっていたということらしい。それ自体はよくある話だろう。

あくまでネット上の噂に過ぎないが、実力の割に散々優遇されてきたツケが回ってきたか。結局「その域に達していない」から成長してなかったことになる。

 

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2019年2月24日 (日)

アイドル戦国時代からアイドル不況時代に――Wake Up, Girls!新章

「Wake Up, Girls!新章」をバンダイチャンネルで視聴する。サクセスストーリーのその後を描くことは難しいことだと思う。アイドル戦国時代からアイドル不況時代に背景を変え、そして全国ツアーという形で終盤を盛り上げた。作画はよくなったが、キャラデザは一期の方が好きだった。

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2019年2月21日 (木)

WUG、劇場版から一期を通してみる

「Wake Up, Girls!」最終話まで視聴する。劇場版を見てからだとやはり理解度が違った。真夢(センター)が国民的アイドルから追放されて再起する、そして母と和解する物語という視点で見れば、筋は通っている。「フラクタル」はどんなストーリーだったかもう思い出せないが、WUGのストーリーは七人の侍フォーマットであって一応まとまりのある作品となっている。なので、仲間集めのシークエンスに当たる劇場版とテレビを分割したのは大失敗だった思う。焦点がぼやけてしまったのだ。しかし、思うに七人の侍フォーマットを使って失敗するというのも珍しい。

「Wake Up, Girls!」はたまたまNASに保存していたのだけど、普段はマクセルのi-VDR(カセット式HDD)を使用している。カセット式HDDに保存していたら見返さないままだっただろう。

 

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WUG、コミカライズを読む

「劇場版Wake Up, Girls!七人のアイドル」のコミカライズを読む。何度か通読したのだが、これが普通に読めるのである。WUGのストーリーは七人の侍フォーマットだけど、仲間集めのシークエンスが劇場版に当たる。コミカライズを担当した漫画家さんが有能だったとも言える。

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2019年2月16日 (土)

Wake Up, Girlsと「七人の侍」

「Wake Up, Girls」第1話と2話を再度視聴する。今度は劇場版を観てからなのでキャラの理解度が違う。WUGは「七人の侍」を下敷きにしている。七人の侍フォーマットはサクセスストーリーの原型となったと言ってよく、フォーマットに則っているなら大きく破綻はしないはずである。実際、これがアイドルのリアルか?という疑問点は度々あるけれど(水着営業、I-1CLUBの脱落者、「考えない」など)ストーリー自体は大きく破綻している訳ではない。

ならばWUGがなぜ低評価に終わったのかと考えると、スケジュール崩壊の余波か作画レベルが総じて低いこと、平板で躍動感の無いコンテも理由として挙げられるが、根本は序盤の仲間集めのシークエンス且つキャラ紹介編に当たる劇場版をテレビと分けたことにあるだろう。僕がそうであったように大抵の視聴者は劇場版に触れないままテレビ版を観たはずである。それは劇場版の興行成績が明らかになっていないことからも分かる。

公式にはどちらから見始めても大丈夫とされていたらしいが、実際に見比べるとキャラの理解度が全然違うのである。それと2話の水着営業で見限った人も多いのではないかという気がする。これがオタクの実態だとやりたかったのかもしれないが、嫌悪感すらある。今時の視聴者は不快感のある展開を嫌うのである。

劇場版は53分であり、2話+αくらいのボリュームであった。水着営業をカットして全13話構成にすれば、枠に収まったはずで、一定の評価は得られたかもしれない。楽曲も悪くない。「タチアガレ!」はむしろ好きだ。

30分番組で扱える登場人物は5~6人までくらいが相場である。七人は少々多いのであるが、それはやむを得ない。通してみた場合に一人一人の描写が薄いということもない。

山本寛監督は「フラクタル」の低評価から巻き返ししなければならない状況だった。七人の侍フォーマットを使えば失敗はまずないはずであった。どういう意思決定プロセスを経たのか分からないが、劇場版とテレビ版とを分ける構想自体が失敗の元であったことを印象づけられる。

例えば主人公の一人、真夢(センター)の物語としてみると、国民的アイドル(センター)から追放された真夢が地方アイドルとして再起する物語となっている。筋は通っているのだ。

アイドルに一家言あるアニメ監督として売っていたのだから、作品の低評価は余計に痛かっただろう。色々あるが、結局は「その域に達していない」で結論づけられるのである。

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2019年2月11日 (月)

劇場版をネット動画で視聴

劇場版「Wake Up, Girls! 七人のアイドル」をバンダイチャンネルで視聴。TVアニメ本編の前段的エピソードとなる。というより本来はこれが第1話、2話となるべきだろう。ダンスでパンツを見せるのは下品だと思う。減るもんじゃないしというセリフとかユニット名の由来がラブホテルとかオジサン的思考だ。

劇場版を見ていないと例えば真夢(センター)と藍理(和菓子)との関係が分からないといった欠点がある。

劇場公開されたのは確か冬だった。そう遠くない場所で上映していたのだが、フラクタルに幻滅していたこともあり寒さを理由に行かなかった。まあ、ネット動画で補完できたのでよしとする。

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