片岡力『「仮面ライダー響鬼」の事情 ドキュメント ヒーローはどう<設定>されたのか』(五月書房)を読んでの感想。
「仮面ライダー響鬼」の売りは音で戦うこと(音撃)。聴覚で戦うヒーローとして「デアデビル」などが挙げられている。当初の構想では敵は様々な姿に擬態して姿を隠しているが、発する音は隠しようがないとされていた。
◆索敵からはじまる一連のシークエンス
擬態するというコンセプトは結局のところ劇中では用いられなかったけれど(※翌年の「カブト」に登場するワームは様々な姿に擬態する)、ディスクアニマル(※CDと同じサイズの円盤が変形、動物の形となる)による索敵シークエンスはある。式神モチーフのディスクアニマルが持ち帰った音を再生して今度の敵は何ものか探る。ただ、当初想定されていた、敵が発する音から判別、敵の特性に応じた攻略法を取るという知略的な側面はテレビ本編中では薄れている。
本書では触れられていないが、音・聴覚で戦う作品として「沈黙の艦隊」「マーズ・アタック」なども挙げられるか。「沈黙の艦隊」では潜水艦は基本的にパッシブソナーを使い、リスクのあるアクティブソナーはここぞという場面でしか用いられない。「マーズ・アタック」は「宇宙戦争」のパロディ。
◆根底にあるのはリズム感
響鬼は太鼓を用いる戦士。他、エレキギターを用いる斬鬼と轟鬼(両者は師弟関係)、トランペットを用いる威吹鬼が登場する。
太鼓で戦うアイデアは、ゲーム「太鼓の達人」のヒットなども背景にあり、スポンサーのバンダイ(玩具メーカー)と子会社のプレックス(玩具のデザイン・設計を担当)にもすんなりと受け入れられた。
根底にあるのは「リズム感」。子供たちが思わず身体を動かしたくなる、そういう狙いが込められていた。
◆太鼓で戦う/敵の巨大化
ただ、太鼓で戦う、バチで敵を攻撃するとなると、ヒーローよりも敵の方が数段大きくないとヒーローが敵を虐待しているように見えてしまう。結果、必然的に敵の巨大化を招いた。着ぐるみの怪人ではなく、怪獣・怪物(モンスター)となっていき、最終的には妖怪モチーフに落ち着く。
巨大な敵の有り様は、人間を捕食する怪物という根源的な恐怖感を演出する上では有効に機能したと思う。
ちなみにエレキギターで戦う鬼の場合、劇中ではギターのボディの鋭角な部分を敵に刺し、それからギターをかき鳴らす(一種のエアギター)という構図だった。敵に背を向けることになるが、これが格好良かった。今思うに、ギターで戦うなら敵は着ぐるみの怪人でも違和感なかった。
ただ、玩具の安全性を確保するため設計・制作には時間を要し、一度決めたら容易にスケジュールを動かせない。また、作品の核となる「リズム」というコンセプトを外したくなかったとも考えられる。
最終的に敵は魔化魍(まかもう)という妖怪モチーフの巨大な怪物となり、2話に1話のペースで登場した。3DCGで描かれた魔化魍は旧「タイタンの戦い」を想起させた。途中、制作スケジュールの逼迫か、着ぐるみの怪人に置き換えられた回もあった。
◆公然性
ヒーローと敵の戦いは社会から認知されているのか/いないのか、いわばリアリティのレベルをどう設定するかも検討されている。「クウガ」では極力「お約束」感を排除してリアリティを高める方向性だったが、響鬼では最終的にほどほどといった水準で落ち着いた。ゾーン、結界、異世界といった設定を利用して外界から遮断するアイデアは採用されていない。
当初のプロット案では、人々が次々と行方不明となっていくが、原因不明とされるだけで皆無関心とされている。これは現代日本のコミュニティのあり様を踏まえたものだ。ニュータウンの核家族化した社会は典型だろう。
◆鬼と敵
ヒーローは鬼というモチーフはすんなりと採用されたが、鬼と敵の関係については二転三転している。「同族殺し」というモチーフ(※仮面ライダーとショッカー怪人の戦いは改造人間同士の戦い)は一旦見送られたが、ディスクアニマルを使役するヒーロー像は桃太郎を連想させる。鬼がイヌ・サル・キジを使役するという一見すると逆転現象が起きるのだが、「逆-桃太郎」というアイデアが出て矛盾が一旦解消された。
が、これで鬼と敵が同じルーツを持つという流れに変わる。作中用語だと「プソイドDNA」(※"pseudo"プソイドは偽ものの意味とのこと)というウイルスに似たふるまい・性質を持つ設定が提出される。おそらくウイルス進化説に着想を得たものだろう。
結局、鬼と敵の関係は棚上げ状態となり、敵は妖怪モチーフの怪物、そして和風コンセプトに集約されていく。「和」のコンセプトは「番組全体のパッケージ感」を高めるのに効果的だったと言える。
なお、鬼の他、昔話・伝説からモチーフを得ようという試みも行なわれたが、プロデューサーの関心を惹かなかったとのこと。
◆バイクと聴覚
音で戦うコンセプトは意外な弊害ももたらした。企画スタートの時点では新番組は「変身忍者 嵐」のリメイク・リファインが想定されていた。途中で「次も仮面ライダー」とロールバックを余儀なくされたが、バイクに乗って戦うライダーのイメージは、聴覚を研ぎ澄まして索敵するコンセプトとバッティングした。
その辺りの迷いは実際に放映された番組でも現れている。当初、響鬼は自ら運転せず、サポート役の女性が運転する乗用車で移動する。もっとも、途中からバイクも登場する。
この辺りのエピソードを読むと、ホンダに取材しなかった?という疑問も湧く。ホンダは「仮面ライダー」シリーズのサブスポンサーでもあり、おそらくエンジンと電動モーターとのハイブリッド式バイクも先行開発しているのではないか。電動モーターならエキゾースト・ノートとは無縁で走行できる。それらしい外見に改造して、走行中の効果音を差替えることで対応できる様に思えるのだが。
◆ジュブナイル×バディもの
「響鬼」のジュブナイルかつバディ(相棒)ものというコンセプトは、紆余曲折はあったものの最後まで守られた。バディものは幾つかのパターンが挙げられるが、「響鬼」では師弟関係として描かれている。
参考にした映画として「薔薇の名前」が挙げられている(※ショーン・コネリー主演)。弟子の視点から見た響鬼像が想定されていたが、テレビ本編中では若干薄くなった。
響鬼は少年にとって師匠に当たる存在で、細川茂樹がキャスティングされた。三十路の主役ライダーは初めてで、中堅俳優のもたらす安定感が「響鬼」の特徴となっている。
本書ではジュブナイルは物語のスタンダードの一つとされている。パターンとして、
(1) 青少年が、
(2) 大切なパートナーと出会って、
(3) そのパートナーと一緒に非日常的な冒険や経験をし、
(4) そのことを通して精神的に成長するが、
(5) 最後にはパートナーと別れる。
と列記されている(74-75P)
パートナーとの別れが「せつなさ」をもたらす、これが狙いだった。ただし、テレビ本編では当初の想定とは異なる結末となった。
弟子の少年と学園という場の有り様については高寺プロデューサーと片岡氏の間で意見の相違があったようだ。
なお、ロードムービーも構想されたが、ロケの難しさで採用されなかった。とはいえ、自然の中で戦う場面は多く、当初のコンセプトは活かされていると言える。
◆プロデューサー降板
本書では触れられていないが、番組中盤で高寺プロデューサーが降板、代わりに白倉プロデューサーが急遽登板する。白倉Pは当時、次番組「カブト」の企画を進めていた。降板の詳細な理由は明らかにされていない。
プロデューサーの交替に伴い文芸チームも一新された。これは番組の作風の変化をもたらし、前期/後期でファンが分裂してしまう結果となった。僕自身の印象だと前期は各駅停車/後期はジェットコースターで、両者の中間くらいが良かったのに、くらいの感想。
◆響鬼のその後
当初、高寺プロデューサー(当時)が掲げた「東映/石ノ森ヒーローのリメイク・リファイン構想」は数年後「ディケイド」でリ・イマジネーションとして、更に劇場版で歴代のヒーローたちのクロスオーバーが実現、花開いた。この辺り、白倉Pの用意周到さが窺える。
◆余談
本書の出版は2007年。発表当初、響鬼ファンの間でも話題になった。書店でみかけたことがあり、手にとってみようと思いつつ、時間が経ってしまった。ただ、読んだのが今で良かったという気がする。