鑑賞の手引き

2017年3月10日 (金)

感情の変化/関係性の変化――ハリウッド・リライティング・バイブル

リンダ・シガー「ハリウッド・リライティング・バイブル」(田中裕之/訳)について記事を書いていないことに気づく。ハリウッド映画のシナリオ教本だが、リライティング~とあるように元々は脚本のリライト、直しについて書かれた本だった。改訂され、一般的なシナリオ教本としても利用できるようになった。

ハリウッド映画の脚本なので、よく知られる三幕構成についても触れられているが、肝心なのは登場人物同士の感情の変化、関係性の変化だろう。映画「アフリカの女王」を題材にして詳細に述べられている。

「アフリカの女王」はアフリカの女王号というオンボロ船で一組の男女が川を下ってドイツの戦艦に立ち向かう物語である。川を下るにつれて二人の関係性が変化していく、具体的には初めは無関係だった二人がより親密になっていく様が見事で、まさに教材としてうってつけなのである。

「ハリウッド・リライティング・バイブル」を読む前にまず映画「アフリカの女王」「トゥッツイー」「刑事ジョン・ブック/目撃者」を観ることを勧める。この三本さえ観ていれば理解が容易になるように書かれているのである。

「アフリカの女王」は登場人物の感情の変化/関係性の変化についての教材、「トゥッツイー」はサブプロットがメインプロットと上手くかみ合った好例として、「刑事ジョン・ブック/目撃者」は著者が実際に脚本のリライトを手掛けた実例として取り上げられている。

 

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2014年7月25日 (金)

逆らえない

押井守監督の「勝つために見る映画」(※要ID登録)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20120614/233355/
というインタビュー記事を読んでいて、「ロンゲスト・ヤード」という映画に触れていた。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20130605/249185/
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20130605/249190/

インタビューの全体的な流れだと中ほどなので、監督独自の組織論・中間管理職論については最初から読んだ方がよいと思うが、それはともかく、

「ロンゲスト・ヤード」が1974年、「がんばれ!ベアーズ」が1976年なので、ロンゲスト・ヤードの方が先行作品だった。テレビで見た記憶があるのだけど、内容はすっかり忘れている。

舞台は刑務所で、囚人と看守のフットボール対決という図式。押井監督は刑務所の所長という絶対権力者に着目して語っている。

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2013年11月 8日 (金)

データマン

片岡力『「仮面ライダー響鬼」の事情 ドキュメント ヒーローはどう<設定>されたのか』(五月書房)

「仮面ライダー響鬼」はテレビ朝日系で2005年1月30日から2006年1月22日まで放送された特撮ヒーロー番組(全48話)。本書では2004年2月下旬の新番組企画スタートから第1・2話の準備稿・改定稿が上がるまでの約10ヶ月、文芸チームでどのようなディスカッションが行なわれ、新ヒーローが形作られていったか、文芸チームに所属した著者の視点で叙述されている。

通常、一般の視聴者にとっては完成品である実際に放映された番組が全てだ。制作の舞台裏が詳細に公開されることはまずなく、雑誌やムック本の関係者インタビューや各種資料などで垣間見える程度だ。

本書は主に文芸面でどのような作業が行なわれていたのか明らかにしたもの(※ただし、東映でも一般的なやり方ではないとのこと)。一口に「文芸」といっても会社によって職掌の範囲は様々であり、響鬼の文芸チームでは新番組のコンセプト立案から各種設定の策定、プロット案の提出、年度を通じた構想など「シリーズ構成」と被る機能も果たしている。

新番組の叩き台となる様々なアイデアが(そのまま採用には至らずとも)どういう意図を持って出されたか、その一連の流れ、思索の過程が公開されている点に特徴があり、インタビュー集とはまた異なる魅力がある。ボツ案の提出意図まで詳述されていて、類書は無いかもしれない。

……という訳で、特撮ファンにとっては貴重な証言集でもあるのだけど、個人的にはそれ以上の意義があった。僕の目には著者の片岡氏は優秀・有能なデータマンとして映るのだ。

「データマン」は和製英語で、

データマン
〔和 data+man〕
作家や週刊誌の編集者などの依頼に応じて資料・情報を集める人。(大辞林 第三版)
データ‐マン
《(和)data+man》
週刊誌の編集などで、アンカーが執筆する前に取材し、資料を集めて原稿の材料を提供する記者。(デジタル大辞泉)
とある。フィクションの場合、ネタを探すだけでなくプロット案提出もあり得る。

データマンと書くと「データマンではない」と言われるかもしれない。謂わばヒューマン・データベースで、プロデューサーの求めに応じて(採用されるか否かは別として)叩き台となりうる有意有用な回答を即座に引き出せる人材なのだ。

『「仮面ライダー響鬼」の事情』(以下「響鬼の事情」と略)を読んで驚かされるのが、新番組の企画スタートから放送開始までわずか一年ほどしかないことだ。通常なら数年かけるところをわずか一年あまりでやってしまう圧縮されたプロセスで、レスポンスの良さと精度の高さを両立させないと仕事として成り立たない。

ドラマとしての響鬼のコンセプトは「ジュブナイル×バディもの」だろう。この核となるコンセプトが提示、採用されて以降、初めは叩き台に過ぎなかったプロット案がグンと魅力を増していく。

著者の強みとして「NHK少年シリーズ」や「NHK連続人形劇」が引き出しにあることが挙げられる。ウルトラシリーズ第一期のファンであった世代は成長するにつれて第二期シリーズの作風が合わなくなっていった。センス・オブ・ワンダーへの飢餓感を埋めたのが「NHK少年シリーズ」だったとのこと。

特撮系ライターである著者の詳細なプロフィールは公開されていない。文化人類学や民俗学の知見がさり気なく織り込まれていて、おそらく大学では人文科学系の学問を専攻したのではないかと推測できるが、それだけに留まらず、映画、スポーツ、自然科学など幅広いジャンルからアイデアを拾ってきている。

本書では極力客観的な視点で描くよう努めているけれど、持論への固執も若干感じさせる(無論、そうするだけの理論武装はしている訳だが)。途中から大石真司が文芸チームに参加する(※「クウガ」「響鬼」では脚本家としてクレジット)。大石氏自身、特撮番組のヒューマン・データベース、生き字引的な存在でもあるが、設定考証を上手く「トボケる」ことで閉塞感を打開、「番組全体のパッケージ感」が強まっていく。これ以降は大石氏に主導権が移った様に見える。

結局、著者は途中(※1・2話の準備稿・改定稿とマスコミ向けの撮影会まで)で「響鬼」文芸チームから外されてしまうのだけど、番組中盤でのプロデューサー降板とそれに伴う文芸チームの一新からは距離を置くことができ、本書の執筆にあたっては結果的に良かったとも思える。

読み終えての個人的な感想だが、これまで自分の中でバラバラにしか存在しなかった関心事の幾つかが「データマン」というキーワードで紐付けされ、それまで単体では(何のためにその知識はあるのか自分でも分からず)無意味に思えたことが一気に意味を持ってきた様に感じる(※別に悟りを開いた訳ではないし、一銭にもならない)。

インターネットの発達で個々人の頭脳を離れて巨大なデータベースが外部記憶として確立された(※信憑性の問題があるため、図書館で文献・資料を探すことも従来通り意義がある)。だが、やはり自分の中にデータベースが確立されていなければ外部記憶も十分に使いこなすことができない。

そして「一度忘れることで記憶を断片化、無駄な情報を除去した上で再読・再視聴して記憶を強化・再構築するプロセス」が肝要ではないかと考えはじめた。そういう意味で読みはじめる前は全く予期していなかったのだけど(まさか、本来はキッズ向けの特撮番組を取り上げた本でこれまでぼんやりと考えていたことが一つにまとまるとは)、特別な一冊となった。

余談。
データマンという用語は義兄から聞いて知った。結局、得手不得手もあって上手くいかなかったのだけど、「データマンはここまでやる/できるのだ」と見せつけられた思いがする。

ウルトラ第二期世代の自分は「NHK少年シリーズ」そのものの記憶はなく、再放送はあったはずだが、ジェネレーション・ギャップと言えるかもしれない。「少年シリーズ」の幾つかはNHKオンデマンドで配信されている。

「仮面ライダー響鬼」は現在、バンダイチャンネルの月額1,000円見放題サービスで配信中。

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2013年7月 4日 (木)

歪んだ表情

氷川竜介「フィルムとしてのガンダム 」(太田出版 )

ちょうど「坊やだからさ」までなのだけど、「機動戦士ガンダム」の初期エピソードに焦点を当てた演出論と言えばよいだろうか。当時はまだ「世界観」ではなく「設定」という用語だったらしいけれど、「設定を絵で見せる」こと等が詳しく解説されていた。

例えば、第一話でジオン軍に襲撃を受けた住民たちがスペースコロニーの緊急避難用のブロックに逃れるのだけど、アムロが出入りする際、扉が二重ドアであることがさり気なく描かれていて、そこが地球ではなく宇宙の人工的な空間を舞台としていることが説明ゼリフに依らず動画として描かれている。

映像作品のメリットとして、絵なら一瞬で設定が理解できるのだけど、そう簡単な話ではないことはその後の作品でも時々見受けられる。おそらく監督等キーマンの中にビジュアルイメージが無いとそうなってしまうのだろう。

本放送寺、著者の氷川氏は大学生でアニメ業界にアルバイトとして出入りしていた。アニメ雑誌に掲載するカットを選んだりもしていたのだけど、選ばれたのは戦いの最中歪んだアムロの表情が多かった。これは僕自身雑誌で読んだ記憶があって、フィルムを一枚一枚確認して意図的に選ばれたものだと知って驚いた。そういった感情や恐怖・緊張を如実に示す表情が多数描かれているのも1stガンダムの特徴だったかもしれない。

他、記憶しているのでは、外国人記者たちに日本のアニメを説明する際、先ずセルと背景を重ねたものを提示(※ホワイトベースの艦橋でブライトが指揮しているカット)、そしてそこに枠を当てはめると、途端にそれらしく見えて驚かれたことなども記されていた。

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お節介焼きの幼なじみと来れば

星山博之「星山博之のアニメシナリオ教室」(雷鳥社)

お節介焼きの幼なじみというと、世代的に「機動戦士ガンダム」のフラウ・ボゥを連想する。フラウは主人公であるアムロのお隣さん。第一話でのちょっとしたやり取りでも分かるけど、母親のいないアムロの面倒を何くれとなく見ている。

結局、戦士として覚醒していくアムロにフラウは取り残されてしまうのだけど、「もう、何々なんだから」とか「何々なのね、アムロ」とか、フラウが時々発するちょっとしたセリフが印象的だった。そこら辺のノウハウは「星山博之のアニメシナリオ教室」でその一端が窺える。

余談。
テレビ版だと日本も通過しているのだったか、アムロ山陰出身説というのがごく一部であった。「星山博之のアニメシナリオ教室」にちょうどアムロと母が再会する回のシナリオが掲載されていて、柱に「サンインの街」と記されていたのが出所らしい。実際描かれた風景は日本のものとは思えず、北米のどこかという方がしっくり来る印象だった。

※故・星山博之は1stガンダムのチーフライター。

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2013年5月24日 (金)

オタク(古株)の精神史?

日本特撮に関する調査報告書
http://mediag.jp/project/project/tokusatsu-report.html

149ページもある長大なレポート。写真や図解の類は無いけれど、一冊の本(評論・特撮史・人物名鑑)として出せる濃い内容。

『2.2. 「特撮」プロダクションの変遷 ~会社と人の系譜~』(27-97P)は特撮史と人物名鑑を兼ねる貴重な史料(※このレポートの核となる部分)だけど、古い特撮映画に馴染みの無い人はとりあえず後回しにしてもよいかもしれない。

※そういう自分もタイトル名だけ知っていて未見のものは沢山ある。白黒映画が地上波で放送されることは希だから。流石に初代「ゴジラ」は観ている。子供向けの図鑑だと写真も添えられていて雰囲気は理解できるのだけど、このレポートでは生憎とイメージを喚起する写真の類は無い。

特撮の舞台は映画からテレビへと移っていくのだけど、テレビ特撮・アニメの黎明期は「テレビまんが」という呼称で特撮・アニメ・人形劇は一括りに扱われていたという重要な指摘がある。

『2.1.3. アニメーション等、近接ジャンルとの相互影響』では、

このように「メディア芸術」の発展史を考察する上で、「アニメ」という1ジャンルのみの作品年表をにらんでいては、変化・進化の関係性や要因が厳密に分析できない。その意味でも、立ち遅れている「特撮」の研究とジャンル、分野の認知は急務なのである。(26P)

という指摘もなされている。この項の執筆者はアニメ評論家の氷川竜介氏だけど、ちょうど漫画・アニメ・特撮で育った第一世代に該当するか、そういうジャンルの成長・発展、それから「特撮」「アニメ」へ別ジャンルとして分かれていく、それらの動きと共に歩んできた人としての視点だろう。

僕自身は漫画・アニメ・特撮で育った第二世代か第三世代か(※テレビゲームは第一世代か)。要するにジャンルが興隆して技術や演出が発達・洗練されていく過程と、自分が児童から少年へ、少年から青年へと成長していった時期が重なる。なので、特撮番組の宿命とも言える本編と特撮パートの質感の落差は特に気にならないタイプ。

※特撮では実景と合成したカット(※ビルの向こうに怪獣がいるイメージなど)が挿入されることがあるけれど、そういうハッとする映像が1カット、数秒でもあれば、それで良しとしてしまう。それは特撮ファンでない人たちにとっては理解し難いだろう。

1960年代では概して「ギャング団」のレベルに過ぎなかった「悪の組織」を、漫画『サイボーグ009』(1964)によって「武器を敵味方の双方に売る死の商人」と、経済行為を行う近代的組織に規定し直したのも、同じ石ノ森章太郎であった。『仮面ライダー』もその系譜にあり、悪の組織の裏切りサイボーグという設定は、『サイボーグ009』からの流れも汲んでいる。(24P)

という指摘もある。昨年、『サイボーグ009』は映画『009 RE:CYBORG』としてリメイク・劇場公開された。セルルックな3DCG(※リミテッドアニメーションと同様の手法)で描かれたことは手描きアニメの未来に関しても示唆的と言えるかもしれない。


余談。
個人的にはアニメ「まんが日本昔ばなし」が当時の視聴者であった児童・少年少女たちへ及ぼした影響も多々あって語られるべきだと思う(※川内康範に育てられたと言えるかもしれない)。ただ、1460話を超える膨大なエピソード数で、その内映像パッケージ化されたエピソードは240話くらいだったか、視聴の手段が限られるため、やはり体系だった研究・評論は手つかずのままではないかと思う(※個人レベルでデータを収集・公開しているサイトはある)。

他、メディア芸術から外れるけど、当時出版されていた世界名作文学全集も外せないと思う。うちの場合だと小学館「少年少女世界の名作文学」シリーズ全50巻。こういった全集本は少子化で売れなくなってしまい、現在は絶版となっているものが多い。ただ、依然根強い人気はある。

人形劇も懐かしい。昔、NHKで放送していた「紅孔雀」とかまた観たいけれど、素材が残っていない可能性が高い。

ちなみに「このアニメ野郎!」by高寺Pというネタはジャンルが分けられていることが前提となる。

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2013年5月21日 (火)

「勃てる」でなく「起てる」でした

小池一夫「人を惹きつける技術」(講談社+α文庫)を読了。有名な「キャラをたてる」は「勃てる」ではなく「起てる」だった。「漫画=キャラクター」論。

ライトノベルは「キャラクター小説」と呼ばれることがある(※エンタメ系でシリーズ化した作品だと大抵の場合キャラが確立されているものですが)。

これは経験則だろうけど、漫画の場合、冒頭7ページでキャラを起てるのが鉄則とのこと。これが「漫画=キャラクター」に至った理由の一つなのだろう。

「あれ?」と思ったのは漫画の三大要素。「構成」「構図」「消去」の三つ。「構成」はコマ割り。「ネームを切る」等。「構図」はコマの中に描く絵の構図。イマジナリー・ライン的なものも含めてだろうか。

「消去」はコマとコマの(間の)時間の流れを省略すること。カッティングとも。売れていた漫画家が次第に売れなくなる原因は作品のテンポが時代に合わなくなるからとのこと(※テンポ自体は時代によって変わっていく)。僕自身は昔の漫画の方がテンポが速い様に思うのだけど。

耳に痛い話として「マニアはプロにはなれない」という項目があって、漫画だけ読んでいても駄目だそうで、実際に読んでいて知識の豊富さ、そして未だにどん欲さが感じられる。

キャラクター論を応用したプロファイリングもそう。例えばビジネスの現場で相手が何を考えているか、「この人ならこうだろう」といった思考・読みが全くできなかった。悲しいかな、脳の一部の機能が死んでいると感じる。ブログだとある程度時間を掛けることができるから、あれこれ練ることもできるのだけど。

そういえば以前、Twitterの公式アカウントで「文字もキャラクターなのだ」とツイートがあって、笑ってしまったことがある。キャラクターの語源はギリシア語で「印刻」「押印」を指すもので、そこから意味が広がっていったとのこと。極論すると、森羅万象の全てがキャラかもしれない。

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動画の一目惚れ

沼田やすひろ『「おもしろい」アニメと「つまらない」アニメの見分け方』(キネ旬総研エンタメ叢書)を読む。取り上げられた作品で未見のも結構あって、全てのページに目を通してはいない。

◆一目惚れ
『キービジュアルに「一目惚れ」できるか?』という項目があって、最近の作品だと第一話に必ず作品のキーとなる画を入れてくるのだとか。

実はボーイミーツガールものの(主人公のモチベーションとなる)「一目惚れ」の解説だと勘違いしていた。ここで取り上げられる「一目惚れ」は視聴者である僕たちの一目惚れのことだ。それはキャラデザだったりイメージボードを元に起こされた一枚絵だったりする。

この項を読んでいて思いだしたのが1stガンダム。機動戦士ガンダムのプラモデルは爆発的にヒットしたのだけど、プラモデルに手を入れて名場面のジオラマを作るのが流行った。第1話のビームサーベルでザクを仕留めたガンダムとか、赤ズゴックに腹をぶち抜かれるGMとか。街のおもちゃ屋さんが主催したコンテストもあって、入賞作は長くショーケースに展示されていた。

「機動戦士ガンダム」はそういう印象深いカットが盛りだくさんだった。それ以降のシリーズでジオラマが流行ったかどうかは知らない。一概に言えないけど、初代ガンダムは地上戦が多いのもあったのだろうか。そういう意味ではライダーのみならず、ロボットも飛んじゃいけないのかもしれない。

◆リマインダー主義と筋立て主義
この本では、(それを見た)視聴者の感情を揺さぶる画創りを感情リマインダーと定義している(※リマインダーという言葉自体はハリウッドの脚本用語か)。例えばセリフに頼らず画そのもので感情を揺さぶることのできる人は優れた演出家だろう。

で、
リマインダー主義:リマインダーのみを重視して筋立てを重視しない
筋立て主義:リマインダーも筋立ても重要視する
と分類している。

リマインダーと筋立てとを両立した優れた作品として、ジブリ映画(※「ハウルの動く城」以降はリマインダー主義に傾いていくと解説している)やピクサー作品を挙げているので、全く逆のベクトルという訳ではない様だ。……両立できたら誰も苦労しないか。

◆継続視聴の決め手
ミステリーとサスペンス、「謎」と「はらはらする危機」を合わせた造語として「ミスペンス」というキーワードが用いられている。単なる謎と異なり、何らかの「危機のある謎」で、これをストーリーの冒頭に持ってくることが継続視聴の鍵となるとのこと。例えば「天空の城ラピュタ」で「シータはなぜ追われているのか?」等。


こういう分析って実際には無意識レベルでやってることなんだろうと思う。13もフェーズを分けられると直ぐには記憶できない。

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2013年3月24日 (日)

疑似ドキュメンタリーの魅力

小中千昭「ホラー映画の魅力 ファンダメンタル・ホラー宣言」(岩波アクティブ新書)

ホラー映画の理論書。僕自身は疎く、小中氏の和製ホラーへの貢献度が今ひとつ理解できていない。90年代に「本当にあった怖い話」や「学校の怪談」を手がけていたそうだけど、当時の僕はあまり関心がなかった。

「ホラー映画の魅力」で取りあげられた映画は有名なものが多く、子供の頃に観た記憶のある作品もいくつかあった。

個人的に面白く思ったのは疑似ドキュメンタリーに関する考察。要するに矢追純一のUFOものとか「第三の選択」(人類は既に火星まで到達していた。そして火星への脱出計画という内容で、英国ではエイプリルフールに放送されたもの)とか。要するに大嘘をもっともらしく語っちゃうのだけど、メタフィクションと相性がいいと思う。

余談。
小中氏は自身のことを「ジャンル脚本家」と宣言している。それしか書けないはずはないのだけど、ジャンル作家だからそれしか書きませんということで、潔いと感じた。

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2013年3月22日 (金)

特撮の要

切通理作「地球はウルトラマンの星」。

いわゆる平成三部作「ティガ」「ダイナ」「ガイア」に携わったスタッフ・キャストへのインタビューを主とした本。三部作の制作時期からそれほど離れていない時期のインタビュー集なので、関係者の記憶も鮮明で制作の裏側が垣間見える。若干のネタバレ要素ありなので、三部作(※ガイアは連続ストーリー的要素も強い)を視聴してからの方がいいかもしれない。

平成の世にウルトラマンを復活させる、それは「ウルトラマンとは何者なのか?」と根底から考え直すところから始まった。結局、昭和のM78星雲から来たウルトラマンとは別世界の物語として位置づけられた。ティガとダイナは同じ世界だけど、ガイアは再度リセットされた別世界。

これは著者も書いているのだけど、脚本で小中千昭を起用したことが大きいだろう(※別に1話・2話の脚本家が悪いという話ではないけど)、作品世界に広がりと陰影を持たせた。他、長谷川圭一、太田愛といった人達はこの平成三部作で脚本家デビューしている。

それから、まとめ役として制作プロデューサーの存在が大きいのだろう。平成三部作では笈田P。特撮番組ではエピソード毎に監督がクレジットされる。一方、シリーズディレクターとしてクレジットされる人はいない。ウルトラシリーズはオムニバス的な一話完結作品が主で、シリーズ構成はダイナからのクレジットとなる。

平成三部作はテレビ作品としては破格の予算が掛けられていて、それ以降の作品と単純な比較はできない。でも、「ガイア」で一定の方向性を示し堂々完結したのも確か。

余談。
丸谷P(MBSの製作プロデューサー)のインタビューを読むと、小中千昭氏はキレる人らしい。それだけ真剣に話し合っているということか。個人的にはキレる人とは関わり合いになりたくない(小心者なので)。

ちなみに小中千昭は「ティガ」「ガイア」「マックス」と三本の最終回の脚本を執筆していて(※ティガは連名脚本)、野球でいうクローザーみたいな役割も果たしている。

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