熱海の金目さん、アニメ化
はっとりみつる「綺麗にしてもらえますか。」2026年にテレビアニメ化されるとのこと。金目さんがピンのヒロインなので、キャラデザの仕上がり具合と配役に掛かっているだろうか。
……今はヒップは描いてもいいけどバストトップはNGという時代なのだろうか。
はっとりみつる「綺麗にしてもらえますか。」2026年にテレビアニメ化されるとのこと。金目さんがピンのヒロインなので、キャラデザの仕上がり具合と配役に掛かっているだろうか。
……今はヒップは描いてもいいけどバストトップはNGという時代なのだろうか。
「ざつ旅 -That’s Journey-」第三話までバンダイチャンネルで視聴する。この作品を見ていると、ほりのぶゆき『旅マン』を思い出す。週刊誌に連載された漫画で、ヒーローっぽい主人公が毎回取材を兼ねた小旅行に出かけるのだけど、最新回は前回よりも遠い場所でなければならない。それが守れないと主人公は自爆して死んでしまう……といった設定で、当然、連載が進むにつれて状況は厳しくなっていった。愚痴も増えていった。で、最後ら辺はよく訳の分からない状況で終わってしまった……といった作品。
漫画の電子書籍版は解像度が粗いという不満があることは聴いていたが、Amazon Kindle Fire HD10を買って実感する。10インチの大画面を縦置きにして漫画を表示させると描線がかなり太くなる。横置きにして見開きにすると線は細くなり違和感はなくなる。HD8だと気づかなかった。まあ、7~8インチくらいの画面表示、文庫本や単行本程度のサイズ感でご覧くださいということで、雑誌掲載時や原画に近いサイズで鑑賞してもらう意識は版元には無いようだ。……高解像度版を別枠で作ったら売れるのではないかと考えたが、海賊版などの絡みもあって消極的なのかもしれない。
石黒正数『それでも町は廻っている』の電子書籍版を読了する。以前、Kindle Unlimitedで最初の何巻か読んで気に入ったもの。アニメはレンタル扱いでまだ見ていない(※レンタルだと一話ごとに決済なので心理的ハードルが高い。まとめ買いすると得てして期間中に視聴できなかったりする)。丸子町が舞台だから多摩川沿いだったか、東横線沿線が舞台のモデルらしい。丸子町の商店街に突如できたメイド喫茶を拠点にメイド探偵を自認する女子高生の歩鳥が活躍するお話。……といってもミステリではないが。どちらかというと緩い日常系か(※作者は頭の切れる人と見受けられるが)。圧倒的な画力で魅せるといったタイプではなく、肩の力が抜けた感じが漫画らしくて好ましいと思った。歩鳥の弟が作者の分身っぽい印象は受けた。
若木民喜『結婚するって、本当ですか』を読了する。電子書籍版。アニメの続きが読みたくて買ったもの。アニメはちょうどきりのいいところで締めくくっていたのだなと思う。本城寺さんの横顔が何となく「めぞん一刻」の響子さんを連想させるというか、そういう可愛らしさがあったような気がする。アニメは声をあてた早見さんの力が大きいと思う。
「結婚しませんか?」と不意に持ち掛けた時点で本城寺さんは大原君のことが無意識的に好きだったのかもしれない。
「NHKスペシャル 新ジャポニズム 第1集MANGA わたしを解き放つ物語」をNHK+で見る。ネットによる動画のオンデマンド配信サービスの普及で日本のアニメはようやく海外から製作資金を回収するフェーズに入ったようだ。今はタブレットがあれば漫画は制作できるようで、海外の人も漫画を描くようになっていた。紙はまだしもスクリーントーンとかアナログの時代だとこうはいかなかっただろう。……何気に進撃の巨人のネタバレを喰らう。
いみぎむる『いみぎむる ART WORKS fruits』の電子書籍版を読む。僕は詳しくないのでアレだが、おそらく『この美術部には問題がある!』からのイラストが主体だと思う。思うに、美術部の後で『リコリス・リコイル』や『負けヒロインが多すぎる!』のキャラクターデザインを手掛けられたのだろうけれど、リコリコやマケインのキャラデザは「これが欲しい」と購買意欲をそそるデザインとなっている。画風そのものにはほとんど変化は見られない。何が違うのか分からないのだが、ある意味格段の進歩を遂げている。今や現代日本のサブカル方面をリードするイラストレーターの一人と言っていいだろう。
「推しの子」第16巻を読む。最終巻。転生ものの要素を含む芸能界を舞台にしたサスペンス劇。ジャンプ+で既に読んではいたのだが、今回はKindle Paperwhiteでまとめて読んだので画面が大きい分、話は分かりやすかった。
「それぞれの孤独のグルメ」第11話をTVerで見る。今回はポップな絵柄と連載をしばしば落とすことで伝説的な実在の漫画家が登場、その連載を若手女性編集者が担当することになったが……というお話。連載を落とすのは僕が若かった頃から有名な話だったのだけど、伝説は現在でも健在であったという話。才能が枯渇したとかではなく、現在も画業を生業とされている訳だから、それはそれで幸せな話だ。
「らーめん再遊記」(久部緑郎・河合単)を電子書籍版で最新巻まで読む。作中のセリフで芹沢の年齢が50代であることが分かる。芹沢というか原作者の趣味だろうが、どう考えても僕と同じくらいの世代としか思えなかったので得心がいく。漫画なので見た目は少し若く描かれているような印象はある。当初40代くらいの年齢だと思っていた。
……以下ネタバレあり。
10巻に「現代の大衆文化において、どうして偽物のほうが大きな人気を獲得するケースが多いのか?」というセリフがあった。偽物には「フェイク」とルビが振ってある。これがこの作品の核心的なテーマだろう。
例として挙げられている一つがプロレス。格闘技のフェイクと位置づけられている。実際、オリンピックなどで柔道やレスリングの試合を見れば分かるが、一瞬も気を抜けない展開で勝負は一瞬でつく。テレビだとクローズアップされた画像がスローモーションで再生されるから何が起きたのか分かるが、それが無かったら、僕のような動体視力の低い人間には何が起きているか分からないかもしれない。プロレスは本来は間をとって技を大きくゆっくりと見せるものなのである。技を受ける方も無理に逆らわない。逆らうと逆に怪我をするリスクが高まるのである。
90年代に総合格闘技が台頭してきて、プロレスラーはその当て馬にされた。惨敗したレスラーも多かった。そんな訳で失望して去ったファンも多かったのではないかと思うが、その後、プロレスはエンタメ路線に舵を切って何とか生き延びている。僕の世代からすると、「ストロングスタイルvsショーマンスタイル」の不毛で空虚な論争は何だったのだという想いはあるが。
で、芹沢はその疑問に対する考察として「そのジャンルがもっとも活性化し人気が更に拡大するのは、そうした偽物から脱皮し本物になろうとあがく過渡期にあるんじゃないかということだ。」というセリフを持ち出す。そして過去に遡ってしまうが、「才遊記」のラストで芹沢は「ラーメンとは…フェイクから真実を生み出そうとする情熱そのものです。」と一旦結論づける。「再遊記」では、その芹沢が自身を時代に追い越された人間と認識し悩みはじめるところから始まる。