書籍・雑誌

2025年5月 8日 (木)

精神分析と美学――筒井康隆『着想の技術』

筒井康隆『着想の技術』を読む。本書に収録されている記事の初出はいずれも昭和。僕は小説読みではないのでよく知らないが、実際に実現可能な実験的手法は筒井氏辺りの世代がやり尽くしてしまったのかもしれない。

筒井氏は大学で美学を専攻されたようで、卒論は美学と精神分析とを絡めて論じたものだったそうだ。美学はアートへ、心理学はフロイトやユングからは離れてしまったようだけれど、文学の解釈という面ではあまり変化していないかもしれない。

昭和の時代の大御所の話らしく豪快だなと思ったのは、ミレーの画を個人で購入したというエピソード。僕の実家には昔「落穂拾い」の複製写真が額縁に入れられて飾られていた。子供の頃の僕はそれを見て、その絵が最高のものだと何故か思い込んでいた。

夢分析のくだりは長く面白くないと感じた。本来はちょっとずつ連載されていたのだろうけれど、まとめて出されると、他人の夢というものは筒井氏ほどの手練れの作家でもそのままでは面白くはならないようだ。

ハイライトでメモしたのは、「バルザック的細密描写が写真や映画にとって替られて以来、」という箇所。たまたまちょっと前に「サラジーヌ」という中編を読んであまりの描写の濃さに却ってストーリーを追う阻害要因となってしまっているように感じたから。

あと、「この某中村とうようという人は文章には平気で他人の悪口を書き、その人と会ってもまるで悪口など書かなかったかのようにやっぱり平気、やあやあという調子で話しかけるというので有名な人である。」という箇所。少々分析した後で田舎者と切り捨てている。音楽評論家の中村氏はミュージックマガジンという自分の媒体を持っていたし、何か書いたからといって今と違って炎上する時代ではなかったから、無頓着でいられたのだろう。

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2025年4月 2日 (水)

デジタル・デトックスで河岸を変える――樋口恭介『生活の印象』

樋口恭介『生活の印象』を読む。兎野卵氏のKindle本(随想集)で紹介されていたもの。樋口氏はSF作家らしいが、若い頃からTwitterにのめり込んで炎上を繰り返した。で、それに嫌気がさして日々生まれる断章を河岸を変えてGoogleドキュメントに綴っている……といった経緯らしい。

面白いと思ったのは作家の佐川恭一氏のエピソード。佐川氏はプロの作家であるが、公募コンクールへの投稿も続けているとのこと。作風もあって一次か二次で落ちてしまうらしいが、構わず続けている。無駄になる原稿なのだが、それでも書き続ける姿勢がパンクなのだ……といったところだろうか。

僕自身はパンクはよく知らない。最低ゆえに最高となる。転倒である。

……僕がTwitterのアカウントを取得したのは2010年、サービスの存在が知られるようになって二、三年といった頃合いだった。なのでアーリーアダプターという訳でもない。それから長らく使っていなかった。どう使えばいいかよく分からなかったから。まともに使うようになったのは去年から。今は距離を置かなければ……と考えている。ネットの世界で数字を追求するようになると、手応えのある人ならともかく、そうでもない人間が必死になることはないと考えている。

<追記>
樋口氏はディスコードで自分の「部屋」を運営する方向性に行っているようだ。部屋なら自分の意思で統制が効くかららしい。昔の個人運営のホームページには大抵の場合掲示板が設置してあって交流が見られたのだけど、掲示板という仕組みはスパムにからきし弱くやがて廃れていった。SNSがその受け皿となったという見方もできるか。ただ、ホームページの時代から大幅にユーザー数が増え、有名人だと見知らぬ人に絡まれることも増えたようだ。

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2025年2月24日 (月)

再読する――兎野卵:『TXT01』~『TXT05』

兎野卵というKindle作家の創作に関する随想集『TXT01』~『TXT05』までを再読する。約70万字の大ボリューム。

兎野氏は漫画で商業誌に掲載された経験がある。連載には至らなかったそうだが、短編を収録した単行本は刊行されており、れっきとした商業作家である。ただ、現在は成功を目指す競争のステージからは下りていると明言している。

現在ならアプリで連載という形式も普及して、そこからヒット作も出てきているので、時代のめぐり合わせが悪かった面もあるかもしれない。

一気に読み返して思ったが、著者氏は突出こそしていないかもしれないが、結構なハイスペックの持ち主なのである。一流大学の建築科を出ている。建築科ではデッサン必須だろう。絵に対する技能は高いと推測される。デジタルの描画ツールも問題なく使いこなせるだろう。一眼レフを所有しており、そちら方面の知識とスキルもある。写真趣味があるということは、作画のための資料収集の側面もあるかもしれないが、外出する動機も持ち合わせている。音楽についても、楽器が弾け作曲もできるそうだ。文章についても自己を客観視できており、中庸さを維持するよう自己抑制しつつ、大量にアウトプットし続けている。背景にある知識量も相当なものと推測される。プログラミングもできるらしい。料理もできる。マルチな才能とまではいかなくとも、並みの人よりできる幅が広い。現代社会で有利なスキルは十分以上に持ち合わせている。現在は都市に在住しているそうだが、実家は別にあるらしい。そこが田舎なのかまでは分からない。単に関西圏というだけかもしれない。

著者氏の目下の悩みは、自身で納得のいく作品が描けていないことのようだ。何か欠落がありそれが原因ではないかと考えているのかもしれない。生涯のモチーフ、人生の杖、メタファーといったキーワードがそれらを示唆している。そういった指針となるものを渇望している。

非才の僕からすると、むしろ才能、スキル、知見、人脈とも他人より恵まれている。使いこなせるツールもあるし、インドア派ではあるもののアウトドアにも出かけている。思いつく限りの要素を考慮し、自身でほぼ解答にたどり着いている。穴となっているジャンルはあるかもしれないが、それは誰にでもあることで問題とはならないだろう。

こうなると運か偶然の要素が大きいのかもしれないが、運を引き寄せるための努力も欠かしていないようだ。これ以上何をすればいいのかと傍目からも思う。

むしろ、本人の資質と人生の指針となるメタファーが上手くマッチすることが稀なのかもしれない。ちなみに、偶然は案外馬鹿にならない。

創作の才能とハイスペックさにどこまで相関関係があるのか。ある程度はありそうだが、強い相関関係ではないのかもしれない。僕の義兄は専業の漫画原作者/小説家で、マイナー誌ではあるが週刊連載1000回を達成した。そういう意味で代表作はある。だが、特にハイスペックという訳ではない。

また、義兄は漫画原作では医療ものを書いていたのだが、現在は時代小説にシフトしつつある。これは本人が歴史好きだからだが、時代小説は年配の作者でも読者に受容され易いという理由もあるだろう。人生のステージに応じてジャンルをシフトしていくことも時に必要だろう。

<追記>
ルーチンワーク、
・ルーチンワークに落とし込むことで手順を確立させる
・ルーチンワーク化させる過程で努力していることを意識させなくなる
……といった方向性にもっていける。その過程で試行錯誤することでTipsというかちょっとしたノウハウが身についていくし、漠然とした想いが浮かび、それを膨らませていくことも場合によってはできる。

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2024年10月27日 (日)

当分の間、積読だが

ハヤカワ文庫のSFの電子書籍がセール中なので何冊か買う。僕はSF読みではないので「こんな基本中の基本も読んでないの?」と呆れられるかもしれない。人間、可処分リソースというものがあって、更に本の場合、保管スペースという問題もあったので。

高校生のとき、夕方に「火星年代記」のドラマを再放送していて、気に入ったのでブラッドベリの原作小説を読んでみたのだが、合わなくて途中で手が止まってしまったことがある。

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2024年8月17日 (土)

構造は骨格に過ぎない――兎野卵『「好き」を言語化する:フィクション編』

兎野卵『「好き」を言語化する:フィクション編』を読む。本書で挙げられる作品、筆者はタイトルこそ知っているものの、読んだことのないものが多い。ジェネレーション・ギャップかもしれない。漫画読みと呼ばれるためには一万冊くらい読破しなければならないのだろうかと考えたことはある。

著者は作品の構造分析を行っていた時期があるものの、それは骨格に過ぎず、自分の「好き」を言語化、そしてその解像度を上げる必要があると考えるに至った。それで実際にどんな要素が好みか列挙していったのが本作である。

仮に好きだと思う作品に出会ったとして、そこから得たものが一滴のエッセンスとなって降りてくるまでには数年以上かかる。それだけ待ってようやくオマージュしたと胸を張って言える作品が書けるようになる。焦って書き急ぐと影響されたのが露骨に分かる不出来さとなってしまうのである。余計なことは忘れるのも大事なのである。

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2024年7月 8日 (月)

精神は明晰――市川沙央『ハンチバック』

市川沙央『ハンチバック』を読む。僕は近現代の自然主義小説はほとんど読まない。芥川賞受賞作くらいは読まねばと思いながら結局読まずにこの年まで来た。まあ、直木賞作品も読んでいないが。直木賞作家の本なら読んだことはあるが。

で、この作品の主人公および作者さんは常に苦痛にさいなまれ、呼吸器を外せば即死の危機に瀕する。自室から出ることも叶わない。リアルな世界が広がることもない。極限状態に置かれている訳で誰もケチをつけることができない。が、読んだところ、主人公も作者さんも精神の明晰さは保ち続けている。それは素晴らしいことではなかろうか。もちろん、身体が徐々に壊れていくのに精神は平常であるという恐怖もあるだろう。だが、不幸のあり方は人それぞれである。

僕自身は他人の不幸に興味関心がないので私小説の類は読んでいなかったのだが、まあ、純文学がそういう作品ばかりという訳でもないし、これからはもう少し意識して読んでみようとは思っている。

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年齢的にはさほど違わない――唐木厚『小説編集者の仕事はなにか?』

唐木厚『小説編集者の仕事はなにか?』を読む。実は僕と唐木氏とでは年齢はさほど変わらない。唐木氏は悠々自適モードなのだが、僕の方はさっぱりである。著者の唐木氏はおそらくプロジェクト・アマテラスにも関与されているはず。「(全部は読み切れないから)作者が一番面白いと思う部分だけを提示してください」という形で運営されていたから。小説投稿サイトには運営上、特有の問題点があって、それがサイトの閉鎖につながったのではないかと推測するが、そこら辺についても赤裸々に語って頂きたかった。それにしても価格が高くなったと感じる。

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2024年5月26日 (日)

ポップコーン、散らず

ChatGPT4.0に画像を生成させてみる。駄作映画を見た観客がポップコーンを劇場内にまき散らすイメージを指定したのだけど上手くいかず、ポップコーンが飛び散る様が描画できない。代わりにあ然とした表情の観客が描画できたので、これを代わりに採用する。

生成AIに関してXでイラストレーターのポストを読むと、かなりナーバスになっている。死活問題だからだ。僕が今回テストしたのは写真風だけど。

映画館で駄作映画を見た観客があ然とする姿を生成AIで描画
上映終了後、床に散乱したポップコーン

Amazon Kindleストアで無料配布している小説にA+コンテンツを付加した。逆販促になるかもしれないが、元ネタというか洒落が分かる人に通じればいいか。知らずに読んでミスマッチで低評価を付けられるのは避けたい。

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2024年4月12日 (金)

少年漫画の王道――荒木飛呂彦『荒木飛呂彦の漫画術』

荒木飛呂彦『荒木飛呂彦の漫画術』を読む。『ジョジョの奇妙な冒険』などの作者による創作論。基本的には少年漫画の王道についての解説がされる。基本的には上げ、上げ、上げで展開すべしとのこと。マイナスからのスタートはOK。荒木氏はジョジョ第一部と第二部の人気は低かったと認識しているようにも読める。記憶の限り、ジョジョの掲載順位は真ん中の上くらいだったか、ランキングで言えばそれほど上位ではなかった。といっても当時の掲載陣は凄い顔ぶればかりだったのだが。おそらく第三部でスタンド(幽波紋)を編み出してジョジョの世界が確立されたということなのだろう。スタンドは超能力の視覚化、キャラ化だったからその後の異能バトルに多大な影響を与えた。弱者は弱者なりの戦法をとり得るというのも荒木氏の地頭の良さによるものだろう。

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2024年2月17日 (土)

偶然にフォローしてしまう

兎野卵「偶然が創作を支配する: コントロール不可能なものを巡る思考」を読む。この著者は手が滑ってフォローしてしまった。偶然である。イレギュラーである。で、読んでみて中々いいことを書いていると思った。例えば、マイケル・ポランニーという科学哲学者は暗黙知という概念を提唱したがその中に創発という概念がある。また、最近の脳科学では脳のデフォルト・モード・ネットワークという状態が注目されている。それらについて調べてみればいいのではないかと思う。また、将棋の棋士は三十手くらい先を読むと言われているが、何億とある手の中から無意味なものは除外して思考しているはずである。これらを併せて考えると有益なのではないか。

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