構造は骨格に過ぎない――兎野卵『「好き」を言語化する:フィクション編』
兎野卵『「好き」を言語化する:フィクション編』を読む。本書で挙げられる作品、筆者はタイトルこそ知っているものの、読んだことのないものが多い。ジェネレーション・ギャップかもしれない。漫画読みと呼ばれるためには一万冊くらい読破しなければならないのだろうかと考えたことはある。
著者は作品の構造分析を行っていた時期があるものの、それは骨格に過ぎず、自分の「好き」を言語化、そしてその解像度を上げる必要があると考えるに至った。それで実際にどんな要素が好みか列挙していったのが本作である。
仮に好きだと思う作品に出会ったとして、そこから得たものが一滴のエッセンスとなって降りてくるまでには数年以上かかる。それだけ待ってようやくオマージュしたと胸を張って言える作品が書けるようになる。焦って書き急ぐと影響されたのが露骨に分かる不出来さとなってしまうのである。余計なことは忘れるのも大事なのである。