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2012年6月25日 (月)

殿中でござる

池宮彰一郎「忠臣蔵夜咄」を読む。忠臣蔵にまつわる随筆と対談などを収録したもの。「四十七人の刺客」や「最後の忠臣蔵」執筆の裏話が聞けてスラスラと読み進める。二日ほどでほとんど読んだことに自分でも驚く。普段は集中力が続かないのだ。

「四十七人の刺客」は小説で「最後の忠臣蔵」は映画でと僕が触れた媒体は異なるが、予備知識があるから読み進め易かったのだろう。こうして池宮流の思考に知らず知らずの内に染まっていく訳だ。

とはいえ、全部が全部正しいとは思わない。5万石の大名が千数百両の捻出に汲々としているのに討入り費用を数万両と見積もったりしている。

塩の専売で裏帳簿が云々と推測しているが、もしあったとしてもそれは開城前に逐電した大野九郎兵衛だろう。僕自身には「四十七人の刺客」で描かれた大石内蔵助は完全無欠でナルシストと見え、あまり好きになれず一度は途中で投げている。

実際に鎖帷子を着用したりされたのではないかと思う。動くと思いの外熱いので真冬に討入りの時期を定めるといった筋立てにしている。「四十七人の刺客」の面白いところは内蔵助と色部又四郎の知恵比べで、切れ者の色部だが若さ故に策士策に溺れるといった追い詰め方は見事。色部は赤穂浪士は必ず討入りに来るという前提で動いており、来るか来ないか分からないという迷いは一切無い。よくよく考えると、それなら何故警護の者たちに防具を身につけさせなかったのかという疑問も湧いてくる。

浅野内匠頭が殿中で刃傷沙汰に及んだ理由、僕自身は合理的な説明がつかないのなら錯乱したと考えるのが自然ではないかと思う。

討入りに関しては、亡君が討ち漏らしたということもあるが、喧嘩両成敗に持ち込むのが狙いだろうか。なら吉良家も取り潰しとなる。ということは、上野介本人か当主の吉良義周の首を獲らねば単なる押し込み強盗と変わらなくなるか。

忠臣蔵を最初に通しで視聴したのはNHK大河ドラマ「峠の群像」だった。といっても当時は浪士個々人の知識が無く、ほとんど記憶していない。国語の先生が「現代の価値観で当時を描いている」と苦言を漏らしたことくらい。もしも今の若い人たちが入りにくいと感じるとしたら登場人物の多さ故だろう。逆にポイントを押さえればそれ程難しくはないのだけど。

姫路市に三年、加東郡滝野町(現在は加東市)に三年ほど住んでいた。赤穂城には行ったのだけど、その他の浪士所縁の地や室津(瀬戸内有数の港町で遊郭もあった。現在も観光地として賑わっている。女性客も多いとか。海沿いを国道が走るので車窓から覗く景色は良いです)などには行かなかった。残念。

実は年末大型時代劇はほとんど見ていない。恥ずかしながら高校時代に日本史を履修しなかったためか、思考回路が形成されておらず、すっと頭に入ってこないのだ。大学時代、同級生たちが大河ドラマの会話をしていて、ついて行けない自分に驚いた。その後、横山光輝の漫画で読んで補ったりはした。

要は原作小説を読めば理解度が全然違ってくるのですけど。大河ドラマじゃないけど、たとえば「項羽と劉邦」は司馬遼太郎の小説を読んだので比較的理解している(「項羽と劉邦」はアレですね、帝位についた後の劉邦も描くべきだと思いますが、絶頂期で終わらせるのが司馬史観の特徴だとか)。

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