AmazonのKindleストアで電子書籍をセルフ出版してます

AmazonのKindleストアで下記の電子書籍をセルフ出版しています。

(石見の文芸シリーズ)
石見の姫神伝説:乙子狭姫、胸鉏比売、天豊足柄姫命、櫛代賀姫命など
https://www.amazon.co.jp/dp/B09BM11H6G/
石見の伝説:伝説の地を巡る
https://www.amazon.co.jp/dp/B09RJZVPQF/
神楽と文芸(総論): 石見神楽、芸北神楽、神代神楽、太々神楽など
https://www.amazon.co.jp/dp/B09MRFXFWS/
神楽と文芸(各論):神楽の重要演目・人気演目
https://www.amazon.co.jp/dp/B09PH6L1RG/
神楽と文芸(各論2):鬼退治
https://www.amazon.co.jp/dp/B09TK1GZ4R/
神楽と文芸(各論3):神話・歴史・エトセトラ
https://www.amazon.co.jp/dp/B09WW1R6N6/
昔話はなぜ面白いか(上)
https://www.amazon.co.jp/dp/B0BX5JWSG5
昔話はなぜ面白いか(下)
https://www.amazon.co.jp/dp/B0BX5KC15V
(その他)
ブログから電子書籍までニッチ戦略の執筆術
https://www.amazon.co.jp/dp/B09RTZHP4K/
三泊四日の大腸ESD入院記
https://www.amazon.co.jp/dp/B0C7G952CT/

キンドル・アンリミテッド会員なら無料で読めます。

| | コメント (0)

2025年7月10日 (木)

批評家は世代交代しつつあるが――『いま批評は存在できるのか』

三宅香帆, 森脇透青, 松田樹, 大澤聡, 東浩紀, 植田将暉『いま批評は存在できるのか』(ゲンロンセレクト 007)を読む。

批評とは個々のコンテンツを通じて社会を論じるあり方とある。また「奇妙に思弁的な散文」ともある。フォーマットが定められた論文とは異なる自由な書き方が認められている執筆活動ともとれる。

メインコンテンツは座談会。三宅さんを男性陣が挑発したところ、苛立った三宅さんの反撃を喰らい、以降、三宅さんのペースで進む……といった感じか。

僕自身は、蓮見―柄谷―浅田というラインが好きではないので(※読み込んだ訳ではないが)、その系譜が先細っても別に……といったところではある。東氏はまたキャラが異なるが、第二次トランプ政権発足直後のSNSでの右往左往っぷりをみると「ひとり勝ち」と本当に言えるのだろうか。

令和の時代、文壇や論壇の重鎮に収まったところで、銀座の高級クラブでちやほやしてもらえる訳でもなかろう。批評の担い手は現在三十代の若手に世代交代しつつあるようだが、彼らが目指すところは何なのか。

|

2025年7月 7日 (月)

「らくいち」に行く

キヌヤ長澤店近くのラーメン店「らくいち」に初めていく。改装されたばかりだったか、店内には清潔感があった。看板ではちゃんぽんを売りにしていたが、普通のラーメンもあった。豚骨、味噌、醤油、塩、辛味、カレーの5種類から選べる。とりあえず無難な線で醤油ラーメンと餃子を注文する。スープは作り分けているのか知らないが、家系のような豚骨醤油スープではなく普通の醤油ラーメンだった。僕は味の良しあしが分かる舌の持ち主ではないけど、競争の激しい首都圏のラーメン店と比較しても特に変わりない。お値段はこの物価高騰のご時世ではやむを得ないだろう。

|

2025年7月 2日 (水)

寝落ちしてしまったので内容は把握していないが

2022年6月に「ゲキ×シネ『狐晴明九尾狩』」を映画館で鑑賞した。ちなみに「きつねせいめいきゅうびがり」と読む。劇団☆新感線の舞台のライブビューイングを録画したものと思われる。

実は途中で寝落ちしてしまったので、内容は把握していない。この頃、「犬王」「東京2020オリンピック SIDE:B」と三連続で寝落ちしてしまったので疲れていたのかもしれない。

ショーアップされた舞台だったのを思い出した。劇団☆新感線の舞台はAmazon Prime Videoでもいくつかレンタルで視聴可能。三時間くらいあるので視聴は大変だが、舞台なので何幕かに分かれているかもしれない。

|

2025年6月21日 (土)

渦中にいてはよく見えないこともある――河合隼雄、村上春樹『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』

河合隼雄、村上春樹『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』を読む。頻出するキーワードとして、オウム、地震、湾岸戦争が挙げられるので、対談は90年代半ばに行われたらしい。30年後の今から振り返ると、ちょうどインターネットの普及が始まった時期でもあり、ネット以前/以後の分水嶺ともなっている。潮目が変わった時期と言える。

そんな訳でそれらの事象は序章に過ぎなかったとも言える。今はAIの普及が始まった時期で、やはり何十年か後にならないと渦中にいては明確に見えてこないこともあるだろう。

箱庭療法は面白そうだなと思う。僕自身は樹木の図を描いたら、あまりに手抜きで心が貧しいと診断された。

ノモンハンも頻出するキーワードである。僕自身はよく知らないが、ボロ負けして自分たちが時代遅れになっていることを思い知らされたにも関わらず隠ぺいされてしまった……といった象徴的な出来事だろうか。浜田城山の護国神社の境内に事件の記念碑があるので、浜田連隊も関わっていたようだ。

|

2025年6月19日 (木)

未来社『石見の民話』二周目ロールバック作業中――那賀編終了

未来社『石見の民話』分析二周目のロールバック作業、那賀編まで終わる。107/163といった進捗状況。残すは石西編だけだが、収録話数が多く、ノートラブルで進行しても八月下旬までかかりそうだ。

|

2025年6月17日 (火)

三次盆地から流れてきたポスター

ゆめタウンに寄ったら、とある神楽団のポスターが掲示されていた。神楽団とあるので広島なのだろうけど、公演会場(旧小学校とあった)の住所は記載されていなかったので、ローカルな範囲を想定したものなのかもしれない。後でネットで検索してみたら、三次市の団体だった。……過去にJR三江線の車窓の風景の動画を撮って、幾つかの駅は安芸高田市の立地だったので、三次近辺は安芸と備後が隣接している地域らしい。

|

2025年6月15日 (日)

日本列島は北方ルートと南方ルートの交差点――後藤明『世界神話学入門』

後藤明『世界神話学入門』を読む。神話や民話がいかにして伝播したかの研究は、インド―ヨーロッパ語族という枠組みが見い出されたのと軌を一にして発展してきた。つまり言語学と深い関わりがあるのだけど、本書では近年の動向として、遺伝子の変異から人類の大移動の時期を推定し、それを神話論の裏づけとして援用しようという思潮が紹介されている。

仮説と断りは入れているが、近年の有力説くらいの位置づけにはあるかもしれない。

ユーラシア大陸に分布する神話は創世神話を持つなど体系化されている。つまり、それらは高度な概念が芽生えた後に生まれたお話と考えることができる。一方で、サハラ以南のアフリカ大陸やメラネシア、ポリネシアといった地域の神話には創世神話を持たないといった特徴が残されており、人類の思考の古層を残していると考察している。

新大陸もユーラシア型の神話なのだそうである。僕自身は読んだことがないが、マヤ、アステカの神話は体系化されたものだそうである。ちなみに、南米最南端、つまり人類大移動の最果ての地では古い型の残存が見られるとしている。

ユーラシア大陸でも人類の移動経路には北方と南方の二つのルートがあり、日本列島がその交差する地点となるのだそうだ。本書では海幸山幸の神話が取り上げられる。

……テクノ・リバタリアンが世界を引っ搔き回しているご時世である。理数系の素養を持ち、技術の動向を読める人材が有利な世の中であることは覆せないだろう。一方で、本書では狩猟採集民の神話からささやかながらも自然観の転換が模索されている。

|

2025年6月12日 (木)

芝居小屋の雰囲気がよく伝わってくる――仲野マリ『地方の芝居小屋を巡る』

仲野マリ『地方の芝居小屋を巡る』を読む。地芝居(農村歌舞伎)の舞台を取り上げた電子書籍。写真はカラーで芝居小屋の雰囲気がよく伝わってくる。岐阜県に地歌舞伎の芝居小屋が多く現存しているそうだが、最寄り駅から車で数十分といった具合で交通の便はよくないのだとか。

地芝居はテレビに押された等の理由で昭和40年代には衰退してしまったとのことだが、地方自治体の無形文化財保護行政が本格化したのはおそらく1970年代以降なので、タイミングが合わなかった側面もあるかもしれない。

歌舞伎も人気低迷していた時期があったとは知らなかった。

首都圏の神楽師は面芝居という芸能も演じていたと聞く。今はやらなくなっているようである。厚木市の垣澤社中の台本を収録した本を参照したが、タイトルから判断するに農村歌舞伎に近いものが多いと思われる。収録はされていなかったが「魚屋宗五郎」もやっていたらしい。酒癖の悪い宗五郎がとある事情でちょっとだけと飲み始めたら止まらなくなる様が面白い演目。映像が記録されているかは知らない。台本があるので復活上演は可能なはずだが、当時を知る人が少なくなって復活させるには相当なエネルギーが必要かもしれない。

|

2025年6月11日 (水)

リズムに内包される予測誤差――千葉雅也『センスの哲学』

千葉雅也『センスの哲学』を読む。千葉氏の著書の中では美学に相当するか。「判断力批判」の判断力は感性のことと知る。翻訳は難しい。

リズムに内包される予測誤差を言い換えると「そう来たか!」といったところだろうか。漫画だと『HUNTER×HUNTER』の冨樫義博氏がそういった展開を得意としているらしい。僕は氏の近年の作品を知らないが。

ジャンルからの逸脱、僕自身、たとえば芸北神楽とは上手く折り合いをつけることが現状できていない。元々は特に深く考えていなかったのだけど、次第に違和感が大きくなっていった。では感性が老化したのかというと、2.5次元舞台なんかは見たりしていて、それはそういうものとして受け入れている。

|

読書の阻害要因はノートパソコンのファンの音だった

ノートパソコンのファンの音が読書の阻害要因ではないかと気づく。ファンレスのChromebookを買ってようやく気づいた次第。

前々から読書が進まなくなっているとは感じていたのだけど、それは引っ越しに伴う疲弊感が抜けていないからだろうと考えていた。で、たまたまノートパソコンの電源を落として読書したら思いの外進むのである。

元々は新品のスリムデスクトップパソコンを買っていたのだけど、それはTVチューナー付きだったので家族に回した。で、修理中の暫定措置で買った再生ノートパソコンを継続使用していた。スペック的には問題ないのだけど、かなり発熱するらしくファンが常時唸っている状態。対症療法的にスタンドを買ってみたりしたが、完全には抑制できない。

……とはいえ、今のタイミングでパソコンを買い替える訳にもいかないし、どうしたものか。Chromebookだとそこまで高価でもないのだけど、WinかMacでないと動作しないツールもあって、環境が分裂してしまうことになってしまう。

|

«型どおりには進まない――佐藤郁哉『リサーチ・クエスチョンとは何か?』