2018年5月22日 (火)

芸北神楽の創造性――新谷尚紀『映像民俗誌論ー「芸北神楽民俗誌」とその制作の現場から』

新谷尚紀『映像民俗誌論ー「芸北神楽民俗誌」とその制作の現場から』『歴博大学院セミナー「民俗学の資料論」』という論文がある。書籍に収録された論文なので著作権の関係上、半分までしかコピーできなかった。コピーしたのは『三 「芸北神楽民俗誌」制作の現場から』という章である。これも写真や資料のページを削って規定枚数に収めた。

基本的には映像制作に関する論文である。その中で実例として芸北神楽の事例が取り上げられる。

このような神話を脚色した神楽の導入の背後には、通称安芸門徒と呼ばれる浄土真宗の圧倒的な影響下にある芸北地方でそれに対抗して氏神祭祀と神祇信仰を広めようとした神職たちの意図があった。(81P)

石見神楽をルーツに持つ芸北神楽だが、終戦後、GHQの統制で神楽は打撃を受けた。その中で新舞と称される創作神楽が生まれた。旧舞に比べてテンポが速く、一世を風靡したことが挙げられている。旧舞が駆逐される勢いであったとされる。

二つの事例が取り上げられる。一つは千代田町の有田神楽団。「神降ろし」「天の岩戸」「八岐大蛇」が県指定無形民俗文化財として指定された。そのことによる権威化で、地元の神楽競演大会で特別出演の扱いを受けている。その他、ホテルでの上演やテレビ出演など露出する機会が増えた。ただ、時間の制約で本来であれば一時間半かかる「八岐大蛇」を時間を短縮せざるを得ない状況も起きた。

神楽競演大会の晴れ舞台で特別上手な演者の登場によって華やかに脚光を浴びて一世を風靡してはやがてその演者の体力の衰えによって姿を消していく神楽団が多い中で、保存と伝承こそが自分たちの役目だとする自覚が有田神楽団には明確に存在する。(87P)

もう一つ、千代田町の中川戸神楽団の事例が「創造」として取り上げられる。高度経済成長によって農村から都市へ若者が流出し、神楽の担い手が不足するようになった。が、中国道の開通で町に工場が出来、若者が戻ってきた。そして芸北神楽はスーパー神楽なるものをも生み出すのである。

大衆演劇と神楽の間にコネクションが生じ、新たな神楽を創りたいという欲求が生じる。それは「大化改新」という古台本を元とした「板蓋宮」という演目だった。神楽の舞台に縄で縛られた罪人が登場する、そして神が鬼に殺される、「天蓋引き」の応用で切られた鬼の首が宙を舞うなど衝撃的な演出であった。

が、この「板蓋宮」は神楽競演大会では全く評価されず、社中のメンバーたちは落胆した。そこに企画会社が声をかける。審査員に評価されないなら、観客に評価されればよい。賃借料や広告費などで500万円もかかる広島市内での大ホールでの興行を決行、結果的に大成功というサクセスストーリーのような展開を見せる。

この「創造」については肯定/否定の両面からの見方があるだろう。芸北神楽は遂にスーパー神楽なるものを生み出したが、行き過ぎた演出は最早神楽とは呼べないのではないか、どこかで線引きをしなければならないのではないかという気もする。この事例の場合、文芸面では大化の改新の古台本を元としているのだから、特に問題はないとは思われるが。

例えば「石見神楽の創造性に関する研究」という調査報告書には島根県下の社中の創作神楽を取り上げた一覧表がある。それをみると胸鉏比売八色石などの地元の伝説を神楽化したものが見られるのである。また、櫛代賀姫命という地元の女神が登場する創作神楽もある。そういう地域に根差した題材であれば積極的に創作するのも理解できるのであるが、そうでない場合などだと逸脱を感じさせてしまう。基本、神話劇という枠はあるのではないか。

ただ、江戸里神楽では桃太郎や浦島太郎などの演目があることもあり、実は制約など無いという見方も可能だろう。だとしても鬼とのバトルに偏っている気はするが。

一方で、現に「生きている」伝統芸能としての芸北神楽という見方もあるだろう。保存と伝承に汲々とする地方が多い中で、伸びやかに創造性を発揮させている……という見方も可能なのだ。

◆参考文献
・新谷尚紀『映像民俗誌論ー「芸北神楽民俗誌」とその制作の現場から』『歴博大学院セミナー「民俗学の資料論」(国立歴史民俗博物館/編, 吉川弘文館, 1999)
・「石見神楽の創造性に関する研究」(島根県古代文化センター, 2013)(島根県古代文化センター, 2013)

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2018年5月19日 (土)

篳篥は何と読む? 中本真人「宮廷の御神楽―王朝びとの芸能―」

中本真人「宮廷の御神楽―王朝びとの芸能―」(新典社)を読み終える。宮廷で催される御神楽(みかぐら)についての入門書。

当然のことながら、御神楽に関しては全く知識が無い。一部の地域の里神楽だけである。本田安次「日本の伝統芸能 神楽Ⅰ」に書かれていたが、折口信夫、西角井正慶、本田安次の三名があるとき特別に御神楽の拝観を許されたとのことである。錚々たるメンバーである。

御神楽の記録が残っているのは平安時代からであって、それ以前の御神楽についてはよく分かっていないらしい。古の時代には天鈿女命の子孫だとされる猿女君たちが神楽に奉仕していたものと思われる。その後、時代が移り変わり、御神楽の担い手は男性となったのである。

篳篥という笛の一種があるが、「ひちりき」と読むのは知らなかった。

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2018年5月18日 (金)

獅子舞に曲芸――丸一仙翁「江戸太神楽」

丸一仙翁「今を生きる日本の伝統芸能 江戸太神楽」を読む。ページの半分は英文で正味100ページ程なので、すぐに読めた。おおよそ獅子舞と曲芸に関する本だった。ジャグリングの世界大会に出場したこともあるそうである。娯楽の少ない田舎と違って、江戸では曲芸方面で芸を磨いていったようだ。著者の少年時代が語られる。七歳で養子に入って芸の道に入った。中学卒業とともに芸人としての生き方を選んだとのこと。「源三位頼政」「天鈿女の舞」「七福神宝入船」といった演目もあるが漫才に近い内容。茶番とされている。

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2018年5月 8日 (火)

出雲流の根拠

森林憲史「関東地方の神楽囃子について―楽曲から神楽の系譜を辿る試み―」「民俗芸能研究」第42号を読む。関東地方の太々神楽、里神楽に広く分布する「テケテットン」と呼ばれる三つ拍子の分布状況および伝播の過程を考察。他、印を結ぶ、反閇(へんばい)を踏むなど共通の所作がある。反閇はマジカルステップとも訳され、大地を踏み鎮める呪法である。

関東地方に於いて執行される神楽は「神代神楽」或いは「出雲流神楽」と呼ばれ、出雲・佐陀神社の佐陀神能に源を発する能舞から派生した土師一流催馬楽神楽(鷲宮催馬楽神楽)がその起源とされる。(41P)

とある。執り物神楽を出雲流神楽と分類するのは本田安次の説だろうけれど、この「出雲流」という根拠についてはっきりしないのである。本田の著作に当たっても根拠がはっきりしないし、当時「出雲流」と名乗る伝承者から伝授されたということなのだろうか。

◆参考文献
・森林憲史「関東地方の神楽囃子について―楽曲から神楽の系譜を辿る試み―」「民俗芸能研究」第42号(民俗芸能学会, 2007)pp.41-81

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民俗学の現在と過去

コピーしていた「山陰民俗研究」の資料を読み終える。石塚尊俊の講演が幾つか含まれているが、昭和の時代の高度経済成長で様々な民俗が失われてしまった。民俗学は現在学であるはずが、過去を扱う学問へと後退を余儀なくされているようにも思える。橋本裕之「民俗芸能研究という神話」、大月隆寛「民俗学という不幸」といった当時若手の研究者たちが懸念していたことが、柳田国男に師事していた石塚からも語られるといえばよいか。

「とにかく、石見から安芸にかけての、ことに山間部にはヨコの連絡による大きなエネルギーがあるように思われます。そのことに関してここに二つ、神楽と大田植とに関する図を出しておきました。神楽は中国地方の大部分で今なお盛んです。しかし、石見・安芸の山間部ほど盛んなところはありませんここでは今なおムラをあげて盛んなのです。そして盛んなあまりどんどん改作されていきます。鬼が出れば必ず火を吹きますし、大蛇はどんどん長くなっていって、しかも今や文字通り八頭も一時に出すようになっています。
 曲目もどんどん新作され、神楽といいながら神話とも縁起とも関係ないものがもっぱら賞翫されるに至っております。」
・石塚尊俊「地方にいて思う民俗学の過去将来」「山陰民俗研究」第3号(山陰民俗学会, 1997)p.26

神楽としての一線を引くとしたら、それはどこまでなのだろうか。神話劇であることだろうか。しかし、江戸の里神楽では桃太郎や浦島太郎という演目があり、それは多分子供むけなのだろうけれど、実は制約なんて無いんじゃないかという気もする。能舞偏重で儀式舞軽視ではないかという見方もあるだろう。競演大会の演目リストを見ると、塩祓いから始めていないものもある。

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石見神楽における六調子と八調子に関する音楽的な分析

藤原宏夫「<塩祓い>のリズム構造―島根県石見神楽・美川西神楽保存会を事例として―」「民俗音楽研究」第26号、藤原宏夫「石見神楽における六調子と八調子―その定義と八調子の成立について―」「民俗芸能研究」第43号という論文を読む。コピーしたのはレシートを見ると1月で、4カ月近く放置していたことになる。

「<塩祓い>のリズム構造」はその名の通り、石見神楽の基礎的な演目である塩祓いのリズム構造についての論考。「石見神楽における六調子と八調子―その定義と八調子の成立について―」は石見神楽を分類する上で代表的な六調子と八調子についての論考。八調子は六調子から生まれたものであり、明治期の神楽改正の影響を受けたものを八調子、受けなかったものを六調子と分類している。八調子の中でも神囃子は六調子、鬼囃子は八調子に分類されるとしている。

ここで、中上明「石見地方神楽舞の芸態分類に関する調査報告及び考察」「山陰民俗研究」第1号を読んでみる。中上論文では石見地方の神楽を
・邑智郡と那賀郡東部の六調子神楽
・那賀郡西部・美濃郡の六調子神楽から八調子神楽へ
・鹿足郡六調子神楽
と分類している。美濃郡の六調子神楽をみると、大太鼓のバチ数を増やすと八調子神楽へ移行していく連続性が見られるとしている。詞章も邑智郡・那賀郡東部のものと那賀郡西部のものでは異なると推察している。

那賀郡西部は明治の神楽改訂の影響を最も早く受けた地域であり、中上論文と藤原論文の主張には重なる部分が見られるのである。

◆余談
残念ながら、楽譜が読めず、音楽的なことはよく分からない。「トントコ」と「トコトコ」と言われれば何とか分かるけれど、その程度でしかない。

子供の頃、実家に電気オルガンがあって、習いたいと思ったのだけれども、音楽は女の子のするものという思い込みがあって言い出せなかった。まあ、小学校の学校音楽が身についていないのだから、習っていても早い段階で挫折しただろう。

◆参考文献
・藤原宏夫「<塩祓い>のリズム構造―島根県石見神楽・美川西神楽保存会を事例として―」「民俗音楽研究」第26号(日本民俗音楽学会, 2001)pp.41-52
・藤原宏夫「石見神楽における六調子と八調子―その定義と八調子の成立について―」「民俗芸能研究」第43号(民俗芸能学会, 2007)pp.80-96
・中上明「石見地方神楽舞の芸態分類に関する調査報告及び考察」「山陰民俗研究」第1号(山陰民俗学会, 1995)pp.39-52

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戦前の神楽研究本――西角井正慶「神楽研究」

西角井正慶「神楽研究」、本文を読み終わる。昭和9年の発行で戦前の本。若き日の牛尾三千夫が編集に携わったとのこと。早川孝太郎「花祭」、小寺融吉「芸術としての神楽」の方が先行しているが、神楽のまとまった研究書としては黎明期の段階の本だろう。

先ず宮廷で催された御神楽に言及される。里神楽はそれからだ。西角井正慶は折口信夫門下生とのことで、基本的には折口説で解釈している。といっても、僕自身、折口信夫の著書はほとんど全く読んだことがないで想像を働かせる他ない場面もあった。

要するに神楽を鎮魂と解釈する説と言ってよいだろうか。天岩戸神話の解釈に顕著である。天の岩戸神話を自然神話(戦前に既に日食説があったことが分かる)と葬祭説との解釈に別れるとし、一方で折口信夫の鎮魂論で解釈、古代の死の観念は生と死の境が曖昧なもので、一種の眠りと捉えていた。そして天照大神の身体から離れた魂を鎮魂(たまふり)で再び身体に付着させ蘇らせたとする。

「神楽研究」は西角井正慶が34歳のときに出版されたもので、まだ若い時期のものである。そういう意味では研究の集大成として出した本ではなく、新進気鋭の研究者として叩き台となる本を世に問うたという段階か。

資料集も200ページほどあり、読むのに骨が折れた。広島十二神祇神楽の荒平と九州の三宝荒神の関連を窺わせる神楽の詞章も収録されていた。

以前手にしたときは石見神楽にしか興味がなく、石見神楽に関する章がないので興味のあるそうなページを少しだけコピーするに留まった。今回は最初から最後まで読んでみることで、戦前の研究の水準を窺い知ることができた。

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2018年5月 1日 (火)

民俗学は二度死んでいる――大月隆寛「民俗学という不幸」

大月隆寛「民俗学という不幸」(青土社)を読み終える。大月隆寛という人は「消えるヒッチハイカー」の訳者として知っていたのだけど、橋本裕之「民俗芸能研究という神話」を読んで、その論文が度々引用されていることを見て試しに注文してみた。「民俗芸能研究という神話」よりはこなれた日本語だと思う。

柳田国男が確立した日本民俗学だが、「無方法の方法」とも呼ばれていて、西欧の学問の様な確固たる理論体系はなかったようだ。「民俗」や「常民」という概念ですら、厳密にその内容を検証していくと、まるでらっきょうの皮を剥く様に(芯が無い)実は論理的に詰められていなかったことが明らかにされる。

 なお、

1. 理論の体系性が無く個々の仮説にも否定的だが、成果は利用する価値ありとする立場。
2. 理論の面は無視して、成果だけを積極的に利用した立場。
3. 理論の面で一部評価しつつも、決定的な欠陥ありとする立場。
4. 理論の面も成果も積極的に評価する立場。

と「日本の知識人の柳田学への評価は大別して四つの型に分けられる」としている。(129-130P)

ただ、当時の民俗学が対峙していたのは唯物史観である。唯物史観も冷戦の終結で存立基盤を失ってしまった。現在だと、このことについての検証も必要なのではないか。

「都市民俗学」批判もある。多分、高度経済成長で民俗の多くが失われていって、やることが無くなってしまったのかもしれない。民俗学は「都市」に目を向けるが、それは「現在」を扱うことに他ならず、民俗学とは眼前に現前する事象を扱うことであり、自家撞着を起こす。「都市民俗学」という括りは意義を失っていく。

最終章はニューアカデミズム批判だ。記号論と価値相対主義の組み合わせが猛威を振るった。なんでも<>でくくって二項対立にすればいいみたいな勢いがあった。僕自身、かじった程度だったけれども影響を受けたものである。もっとも、思うに、大月氏も「消えるヒッチハイカー」翻訳で、ニューアカを担う一人として認知されていたのではないだろうか。浅羽通明「ニセ学生マニュアル」は僕も読んだことがあるから、批判的な立場ではあるとして。Wikipediaで大月氏の経歴を確認したところ、タレント学者、評論家というカテゴリーにも分類される人の様である。

橋本裕之「民俗芸能研究という神話」からの流れで「民俗学という不幸」を読んだのだけど、初心者がいきなりこんな本を読んでしまって大丈夫なのかという気はする。僕自身の関心のあるのは口承文芸や神楽といったところで、民俗学の一部でしかない。1992年の出版だからもう30年近く前の本になる。執筆当時30代だったろう大月氏だが僕とは10歳くらいしか違わなかったのである。

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2018年4月27日 (金)

もう一度読めば少しは分かるか

柳田国男「伝説」(岩波新書)を読み終える。柳田国男の著作は記述は平易なものの、何が言いたいのか自分にはピンと来ない。戦前の文章ということもあって、リテラシーが足らないのかもしれない。

伝説を調べると、広範に分布しており、どれが元で他は伝播したものだとは言い難い。その伝説を信じて守っている家系もあるのだが、それにしてもたった一つしかないはずの話が広く伝播してしまうことはどういうことだろうか……といったような内容だろうか。島嶼の伝説なども引き合いに出して――島だと容易には伝播しないから――論考している。伝説の場合、岩や寺社の由緒として実際にあったこととして人が記憶しているのもあり、歴史とも接近する。

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2018年4月22日 (日)

牛尾三千夫論が掲載されている――橋本裕之「民俗芸能研究という神話」

橋本裕之「民俗芸能研究という神話」(森話社)を読み終える。図書館で本の出庫を請求していて、その待ち時間に偶々手にとった本。その本の中に偶然、牛尾三千夫論が掲載されていた。本論で取り上げられる牛尾は詩人としてのそれであったり、田植え歌の採集家・研究者としての立場から述べられている。神楽から接近した自分とは正反対のルートを辿っている。

本論文では民俗学者としての牛尾の真骨頂を「美しい村」という著作に求めている。田植え歌を採集する中で歩いた村の光景が美しい姿として牛尾の脳裏に焼き付けられている。そしてそれは高度経済成長で農業が機械化されるにつれて急速に衰退していった民俗芸能でもあるのだ。牛尾は哀惜の念を込めつつも、それを論文として上梓することはなく、あとがきに記載する程度に留めていたとのことである。

日本の今日以後の稲作栽培を始めとして、農村のありようを、如何にせば、その能率を高め、収穫を増やすばかりでなく、もっとも安心して、心楽しく、親の譲りの宝の田を耕作するに可能なりや、という問題を今考え見るべき時に迫られている。農村に魅力がなくなる時、若い者はいなくなるだろう。それは物質文明の進歩に比して精神文化が追従しないからである。そして農村の現状を見通すだけの力のある文明批評家がいないということでもある。早急に国の識者は農村から離れゆく青年子女をくい止める方策を考究しなければ、農村の危機は目に見えて早く来るだろう。私はこのことを杞憂するものの一人である。
牛尾三千夫「大田植と田植歌」265P

と、牛尾の著作が引用されている(94P)。1968年出版の本だが、現状を見事にいい当てている。農村に嫁のきてがいないとしばしば嘆かれることである。

本書は「民俗芸能」という民俗学に隣接するジャンルでその「民俗」と「芸能」という二つの概念の繋がり方を模索していると言えばいいか。例えば芸能は芸術まで昇華されていない段階のものを指す。民俗芸能は郷土芸能という言葉でも代用される。郷土に根づいた、芸術までは昇華されていない段階の技芸である。「神話」とは「脱神話化」である。

大学の専門課程で学ぶ学生か、むしろ大学院生クラスを対象にした論文だろう。民俗学は柳田国男がそうであったように平易な記述のものが多いが、本書は観念論的で抽象的な議論に終始する。正直、大学の一般教養レベルの自分には厳しい面もあった。民俗学は未だ入門者レベルである。それでも(内容を理解していないなりに)一気に読んでしまったのだから、自分にとっては面白い本だったのだろう。

自分の知っているジャンルに引き寄せて考えてみると、例えば神楽だと、学者の興味関心はその始原に向けられる。大抵の場合、江戸時代に唯一神道流に改訂されているのだけど、それ以前の両部神道流を残している奥三河の花祭りなどが重要視される訳だ。一方で神楽の現在については関心が薄い。八調子石見神楽やそれよりも更に先鋭化した芸北神楽などはあまり扱われない。繁昌しているのだから、敢えて保存する理由もない訳だ。だけど、神楽は現に観光資源となっている。

ネットで評判を確認したところ、生憎レビューの類は無かったが、本田安次賞を受賞したとのこと。

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